モデル校実践報告[2]

− パソコン通信のむずかしさ −

横浜市立元街小学校
6年担任 神田 重信


戻る 次へ
目次へ 総目次へ

キーワード 小学校,インターネット,ひろば,電子会議室,学校間交流

 今回のプロジェクトに参加して,何か教育的なことができたか,と振り返ると甚だ心もとない。ただ,それにはそれなりの原因はあるのであり,その点を考察することで,本レポートの骨子とし,今後の糧としたい。

 

1.トラブル対応が大切

     今回のプロジェクトが始まったのは11月初旬であった。この時点で本校のインターネット接続台数は実働7台(本来10台)あった。ところが,これが11月17日には2台にまで落ち込んでしまった。原因は設定がおかしくなってしまったのと,PCカードの破損とであるが,これはひとえに担当である私のトラブル対応が不十分であったためである。現に,17日に設定や結線を直したり,取り替えたりすることで7台可能なところまで戻すことができた。

     ただ,そのようなトラブルは指導中に起こるものであり,それがどのような原因で,どの程度のものなのかを把握し,その場で対応するのは,私の能力を超えていることであった。今でもなんの前触れもなく全然つながらなかったり,突然切れてしまったり,ということが頻繁にあり,それが壊れているのか,単なる機械の気まぐれなのかわからないことがよくある。もたもたしていれば,子供は落ちつかないし,気持ちはあせるし,で,結局リセット。子供が書いていた文章が全部ダメになってしまうことも珍しくなかった。

     よく,パソコンができない人間を食わず嫌いのようにいうことがあるが,今回の件で,それは違っていて,能力もしくは体質による部分が大きいのではないか,と思うようになった。無論,パソコンがどうしても必要不可欠ならばどうにかなるような気もするが,それより必要不可欠とおぼしきことが学校では次から次へと立ち現れるのが現実であり,この点は他の電化製品に負けない強い製品になるまでは,私のようにできもしないのに校内ではできると目されている教員が,膨大な時間と手間を費やして機械のお守りをしないといけないらしい。パソコン嫌いの人間にとってこれはたいへんつらいことだが,とりあえず教訓を得た。

     結局,パソコンはわかっているに越したことはない。

     

2.モノと時間を与える。そして身近さ。

     わが6年2組は41人いる。実働7台ということがどういうことになるかは火を見るより明らかだ。一斉にやれば1台に5〜6人ということになる。私はこれでは何もできない,と考えた。工夫次第だと言われればそれまでだが,それにも限度がある。例えば,時間ごとに区切って交代制でやることも考えられるが,3交代とすれば一人15分。残りの30分は間違いなく自習になる。そもそも15分ではつながって眺めて終わってしまうだろう。無論パソコンに関して「それ以前」の児童も多い。

     結局,私は休み時間にパソコン室を開放することで,それに替えた。これなら人数は多くないだろうし,こちらも対応しやすい。また,作業学習で一通りできあがった児童の自習代わりにパソコン室に行かせることもままあった。

     だが,総じてパソコン室まで距離があること,さらに部屋にカギがかかっていることがその回数を減らしてしまったことは否めない。会議でもそのような話題が出たが,物理的な距離が精神的な距離にもなってしまうようである。当初,「子どもの広場」のそれぞれの部屋に担当児童を割り当てて,その点をクリアしようと試みたが,うまく機能しなかった。

     結局パソコン室に向かう児童は,休み時間においては家でパソコンに慣れ親しんでいる児童,授業時間においては作業の速い,いわば器用な児童,ということになってしまい,これはこれで望ましくない結果となった。つまり,パソコンが十分に,しかも身近にあること。そしてそのためにムダに見えても時間をとってやることが大切である。

     

3.1 教師のビジョンと連携

     プロジェクトの参加に際して,子供達に本当にやりたいかどうかを聞いてみた。すると全員がやりたい,という。そして,「子どもの広場」に作って欲しい部屋もいくつか出された。つまり,事前の意欲は十分にあったと考えて良い。にも関わらず書き込みは少なかった。この点を考えてみたい。

     私は当初,うちのクラスの児童と「子どもの広場」との絡みがあるとすれば以下のようなところではないかと考えた。

     実際にその点に言及した児童もいる。

    Y(元街小)
    私達が住んでる元町の近くには,堀川があります! ちょっとだけ,汚いけれど,清掃船ががんば
    って掃除してくれてます!

    M(元街小)
    元街小学校にはアジアの人がいーーーーーっぱいいます。
    ほかの学校はどうですか。

     ただ,私には「その先」がなかった。つまりこれらの発言を授業の中にどのように生かしていくのか,が無かった(ついでに言うと,昨年度もこのような場に参加させていただいたが,その時よりも,なかった)。いきおい,誰がどのような反応をするかによって,あるいはこの児童がどのような気分でその答えに向かうかによって,先が大きく変わってくることになる。

     もし,私の中に「このような発言あるいはやりとりを授業のこの場面でこう生かそう,そしてこのような形で発信させてみよう」というようにビジョンがあったなら,また違った展開になると思うのだ。もっと端的に言えば,この単元で,このプロジェクトに参加することで,子供達にどのような変容を期待するのか,が,あるとないとでは大違い,ということである。

     無論このことは自分ではわかっているつもりでいた。が,今回の場合それがあまりに漠然としていたということだろう。今度またやる機会があれば,私は打ち合わせの段階で単元の略案ぐらい持っていかなければならない,とさえ思っている。そしてその場で同じように考えている相手校(できれば少ない方がいい。多いと教師も児童もついつい責任感が希薄になるようだ)の先生と入念に打ち合わせたい,と思う。

     打ち合わせる内容は,そこにお互いにどのような単元で,何をねらってどのようなメッセージを載せるようにするか,になるだろう。伝えたい内容がなければいくら手段があっても伝えようとしないだろうし,できたとしてもおしゃべりが関の山である。だから,お互いの情報が有機的に絡まり,お互いの授業を進展させていくようにするようにすることを主眼に考えるべきだろう。

     なお,誤解のないように補足すれば,私は何も自分の考えたレールの上を子供に走らせようというのではない。あらかじめそれがあったならば,どんな展開になっても対応できる,つまり子供を引きずり回さず,かつ子供に引きずり回されることなく実践が展開するであろう,ということである。無論,そこまで追いつめて考えなくともいい場合もあるだろうから,それを否定するわけではない。

     ところで,そのような状況の中で全く状況が進展しなかったかというと,そのようなこともない。他校の子供達が返事をくれる以外に,先生方,スタッフの方が,気を利かせて(あるいは私が作戦会議室でお願いしたりして),その子たちに対応して下さっている。

     例えば先ほどのMの発言に対し,

    T(御陵小)
    ぼくのくらすでは,中国人が1人,アメリカ人(?)(わからない)1人
    あんたの小学校では,アジアの人いーーーーっぱいいると,書いてありますが,何人いるんですか

    N(飯田北小)
    私の学校には,日本,中国,ベトナム,ラオス,カンボジア,ペルーの6ヶ国の人がいます。
    そんで,私のクラスには,日本,中国,ベトナムの人がいます。
    とっても楽しい人が,いっぱ〜い。

    との反応をもらったにも関わらず,こちらの行事の都合でしばらく返事ができないでいたところ,スタッフの山崎さんが

    Nちゃん,こんにちは!
    元街小や御陵小や飯田北小には,アジアの人達がたくさんきているんだね!
    そこで,ちょっと質問です。ことばは,学校では日本語を話しているんですか?
    友達どうしで遊ぶ時に,困った経験はありませんか?
    山崎由美子          

    というような形で話をつないでくれ,その後は宮崎ももどり,子供同士のやりとりが続いている。

     KIの場合は

    私は,韓国で生まれて2,3才に,日本に来ました。そして,この学校に転校してきました。「3年の
    とき」友達は,たくさんできたのですが,韓国人が,あまりいません。だけど,中国人はたくさんいま
    す。だれかアジアの人質問下さい。

    と書き込んだものの,反応がなく,あきらめかけたところへ,

    こんにちは! 私は日本人ですが,日本もアジアなのでお返事書きましたよ(^^;)
    今,学校では中国のお友達や日本のお友達と日本語で話しているんですか?
    みんなは,ことばが話せなくて困った事はないのかなあ?
    日本語ってむずかしいでしょう? (^^;)
    日本語をこんなふうにかんちがいしていて,はずかしかった事とかおもしろかった事とか,あったら教
    えてください!
    山崎由美子          

    という返事をもらい,これはまだ一対一だが,やりとりを続けてもらっている。いきおい,KIもパソコン室へ行く回数が増えた。

     御陵小の竹林先生の

    はじめまして。私は御陵小学校の竹林です。6年生の担任をしています。
    今,私たちは,地元でとれる玉ねぎについて調べています。
    そこで,みなさんに質問です。
    みなさんが住んでいる地域には特産物(伝統的につくられている作物)はありませんか? 特産物と
    はいえなくても,これから地域をあげて生産を増やしていこうとしている作物でもいいですよ。
     あったら教えて下さいね!
    作られているものから,みんなが住んでいる地域の様子が見えてこないかな?と思っています。

    という呼びかけに対して

    特産物って言うようなものはあまりないけれど,ぼくの町には中華街があるので,中国の有名なも
    のが沢山あります。          

    と反応したKTの場合は,社会科の授業と絡みそうだと考えた私が,作戦会議室でお願いをした。

    誰かそれに突っ込みをいれていただけませんでしょうか。
    「どうして中華街があるの?」とか「なんでそんなにはじめてのものがあるの?」とか・・・・・・。丁度社
    会科で開港のところをやるんです。          

     すると早速,KTに

    そうなんだあ,,,アイスクリームもビールも新聞も横浜からはじまったものなんだね! すごいよねえ(^^)
    でもさ,どうして横浜が発祥なんだろう?
    「ビールやアイスクリーム」はなんとなく『北海道』からはじまったものかと思ってたけど,,,
    どうして横浜が発祥の地なんだろうね???
    わかったら,教えてね!
    山崎由美子          

    という返事をいただき,これは今もやりとりを続けてもらっている。

     また,御陵小でもご指導いただき,

    K(御陵小)
    元街小の近くには中華街があるらしいけれど,いったい,どんな店があるのですか。

    という形で返事をもらっている。

     これは現在は途切れてしまったが,今,居留地の学習のまとめとしてビデオ作りをしており,今後,再びつながりがもてるのではないか,と期待している。

     そのようなわけで,つながりが幾分かにでも持てたことで,後々展開する望みは残っている。私の足りない部分をみなさんにフォローしていただいた形である。誠に感謝の念に堪えない。

     結論としては,教師のビジョンがなければ子供は動かない。しかし,なくても連携するなどしてなにかしら手を打てば可能性は残る,というところであろうか。

3.2 つまりは教材研究

     校内の研究で,社会科の教材開発をする機会が何度かあった。それらの経験を通して私が実感したものは,こちらがどのようにしたいか具体的に見えてこない教材は,いくらやっても子供達は乗ってこない,という至極あたりまえのことだった。が,それがわかるまで,自分の中では,多少の見切り発車であっても授業を展開していくうちに何か見えてきたり,子供が食いついてきて視界が開けてきたりするのではないか,という幻想があり,ぬぐい去るまでにかなりの時間がかかった。自分の中に確固たる教材観をもつことが何か子供の主体性を無視することにつながるのではないか,という罪悪感に似たものがどこかにあったのかもしれない。だが,そうしたところで,子供の意欲は向上しなかった。掲示を工夫しても,いくらアジテイトしても,むしろどうしていいか戸惑うばかりだった。

     しかし,ある時,教材研究をしていくうちに,その教材にのめり込んでいく自分がいて,それを楽しい,と感じた。すると不思議なことに子供達も授業に以前より意欲的に参加するではないか。無論押し付けはよくないけれど,学ぶ楽しさなど大人も子供も大して変わらないのだ,と思った。

     何が言いたいのかといえば,今回のプロジェクトも,そういうことだった,ということである。子供の中に,ああパソコン通信ってこんないいものなのか,とか,これは面白い,人に伝えたい,ということが生まれるためには,まず教師の側にそのようなものがあり,それを授業に組み立てていくことが肝心だと思うのだ。そうでないと,「子供たちの思い」の名のもとに,「いつまでも株を守ってまちぼうけ」になることは少なくとも私の場合,間違いない。

     教師自身が教材研究をしていく中で,一度はそれにのめり込んで,子供たちに何をわからせたいかをはっきりさせること。これを軽視してはならないことを,今回改めて学んだ。

     勿論,パソコン通信とどれだけの距離をもつかによって必要な条件は違ってくるだろうとは思う。子供に培わせたい認識がパソコン通信そのものとほとんど関係ないならば,子供が「ああ他の学校の人にも伝えたい」と思うような内容と組み立てを考えればよいし,パソコン通信の中の大切な要素(これが実を言うと私にはまだよくわからない)を盛り込む必要があるなら,先述のように,十分な量のパソコンとそれを児童が使っていく時間,そして教師の適切なトラブル対応能力が併せて必要となるだろう。

     

4.まとめにかえて

     さて,ここまでもっともらしく書いてきたが,今考えるとこれらのことはもともと自分の中にあったもののようにも思えてくる。ただ,それを実行することが主に自分の都合でできなかっただけかもしれない。

     今後の課題としては,せっかくそれを文章におこして明らかにしたのだから,いかにそれを実行に移すか,ということになるだろう。機器も自分の能力も含めて,現状で何ができるかをよく考え,常に問い直しながら実践を重ねていくことが大切なのだと考える。



Eスクエア プロジェクト ホームページへ