「継続は力なり」:国際交流で変わる生徒たちと学校現場

三重県立員弁高等学校 近藤多寿子
tazuko@seiryo.ed.jp

 

1.始めに

 私は、英語の教員である。「インターネット」を使って実践的授業をしたいと考え始めたのは、1昨年の秋であった。CECの「100校プロジェクト」や平成10年度「新100校プロジェクト」、東海スクールネット研究会の先駆的実践報告書等をながめながら、「こういう経験を生徒にさせたい」「英語を実際に使える場面を作りたい」「生徒に学校以外の活動の場を与えたい」という私自身の願いと、勤務校の事情が合わさって、昨年4月から1クラス20人の英語の授業が実現した。しかし、その時点では、インターネットに繋がるPCは1台のみであった。

図 1 1999年4月当初
図 2 1999年9月

        

ルータを購入してもらい、10-baseTのケーブルの作り方を三重県立菰野高校の浦田先生に教えていただいた。ハブを中心に、放射線状に10台のラップトップを設置した。一般教室であったので、週1回の授業の度に片付けた。他の教員を巻き込んで、1階下の職員室まで、ケーブルを引いた。

 四苦八苦して授業を行い、CEC後援の国際交流活動に参加させてもらっていると、9月に環境が激変した。インターネットに接続できる8台のPCを使えるようになった。何よりも生徒がよろこんだ。加えて、校内LAN構築の実験も始まった。授業実践に関しても、校務処理に関しても,勤務校における取り組みは最初の一歩をふみだした。


2.参加の経緯

 勤務校の三重県立員弁高等学校は、平成13年度には、8〜10クラス規模の大規模総合学科として、移転新設される予定である。情報マルチメディア系列や、国際理解系列等の設置にともない、マルチメディアパソコンが完備されたパソコン室や、LL機能を備えたパソコン室、キャド室など、多くのパソコン室と、校内のネットワークも完備されるにあたり、どのような使い方をするかが重要課題となるだろう。現在のPC環境は悪くても、将来にむけて、少しでも実験的な取り組みをしたいと考えてプロジェクトに参加させていただいた。

 CECの後援による国際交流事業に参加することで、生徒も教員も、学校現場も大きく変わった。研修の場として、受け入れてくださった東海スクールネットの皆さんをはじめ、CECのサポートに感謝している。


3.学校のネットワーク環境

 平成9年には、ISDN回線がひかれていたが、英語科準備室のPCがTAにて1台接続されているだけであった。

平成10年3月に、三重県の「全ての県立高校にインターネットを」事業によって、パソコン室にもルータが設置されたが、端末となるPCは1台も無かった。準備室のTAをルータに替え、そこからとなりの教室へ10-baseTのケーブルを延ばし、ハブを介して、借りた10台のラップトップをつないで授業を始めた。

 9月にかねてから要望していた、新しいPCが8台準備室のルータとつながった。コンピュータ開発教育センターの研究助成費でさらにPCと周辺機器を追加できた。その結果、20人の授業で2人につき約1台のPCが使える環境が整った。残念ながら、パソコン室のルータは、校内イントラネットの構築の実験に使うこととなった。現在では、校長室、事務室、3部屋の職員室と図書室がネットワークでつながっている。成績処理の実験的取り組み等が、試みられる予定である。

 もし、私がコンピュータ開発教育センターのプロジェクトに参加せずにいたとしたら、今年度のような、飛躍的な前進はありえなかったであろう。


4.生徒と先生の変容

1)Asian Youth Conference in Souel

 昨年のCECのアジアユースコンフェレンスの報告書を読みながら、ぜひ、生徒に経験させたいと思い、参加させていただいた。今回は「初めて」の上に「国外」、ということで、学校を始め、保護者にも了承を得るのに時間がかかった。参加してくれた2名の生徒達は、始めての外国、始めての一人っきりのホームステイ、始めてのパソコン操作…おまけに1年生、というようにすべてが始めての生徒であった。あらかじめ、メーリングリスト(ML)が運営されていたが、学校に使えるPCが無かったので、教員が自宅でMLを受け取り、コピーし、生徒に回した。

 西陵商業高校で、事前研修があり、生徒たちはMLで名前だけ知っていた友人たちと顔を合わせた。自分の高校でサーバを構築し、管理をしている生徒達や自分の家にPCを買って、MLに書きこむ生徒達と出会い、本校の生徒たちも「何もできないけど、何かやりたい」と言い出した.慣れないデジカメを扱い、プレゼンをつくる。英語が苦手な生徒たちが英語の原稿を読む。ほとんど話せない韓国語、英語の壁にとまどいながらも、同年代の女の子同士、たちまち仲良くなっていった。

過去の両国の不幸な歴史を前もって学習してでかけたが、新しい歴史をつくるのはこうした新しい生徒たちだと確信した。

[研修としての意義]

生徒:初めての体験ばかりで、大変刺激的だったようだ。事前に研修を受けたが、コンピュータリテラシーも低すぎた。最低限のパソコン環境は絶対必要だ。

教員:パソコンの扱いに慣れた高校生の中で、自分のできることを探した。英語での意志疎通の助け、課題の相談、できる限りの支援に努めた。

図 31999年7月ソウル  
図 41999年7月名古屋国際センター

2) World Youth Meeting in Nagoya‘99

 このミーティングは、1999年7月31日に、CECのサポートと名古屋ライオンズクラブの共催で、名古屋の国際センターで開かれた。世界6カ国の生徒が名古屋に集まり、300人を超える一般市民を含む人たちの前で、前日まで作っていたプレゼンテーションを英語で堂々とおこなった。英語のわからない一般の人のために、日本語の画面もあらかじめ用意し、生徒が操作した。会議の様子をホームページにした生徒もいた。前日から、顔をあわせ、共同でホームページ作りをしたり、合宿をしてお互いに交流した。また、会議の翌日は、バスで伊勢神宮に見学にでかけ、交流をふかめた。事前にMLで、自己紹介や、プレゼンテーションの内容の情報交換をしていたが、やはり、実際に出会った経験は大きかった。

[研修としての意義]

生徒:プレゼンソフトの操作に慣れた。自分が英語で話せるという自信をつけた。海外の生徒の積極的な姿勢を見て、自分もプレゼンをしてみたいという、積極性がでてきた。 

教員:英語の教員であるので、意思疎通には困らなかったが、自分自身のコンピュータリテラシーの低さを自覚した。ML〜Face to face 〜MLという一連の活動の中で、国際交流のあり方の原点を経験できた。事前にコンピュータ操作の研修も西陵商業で実施してもらった事が3日間のプレゼンテーション作りのサポートに大変役だった.このミーティングが縁となり、パソコンをジンバブエに送る手伝いをした。活動が単に国際交流にとどまらず、多岐にわたってきた。


3)教育とインターネット活用発表会12/12

 ワールドユースミーティングの活動の報告をするように言われた時、生徒がプレゼンをできるなら、いい機会だと思った。報告者として、活動の全容を紹介するよう努めたが、生徒も教員も力が足らず、発表としては満足のいくものとはならなかった。しかし、ワールドユースミーティングに集まった教員や生徒たちが遠くからにもかかわらず、会場に現れ生徒たちを励ましてくれた。このつながりを、継続して、さらに広げていきたいものである。

図 5 12月12日韓国のジョン先生と生徒


図 6 12月12日生徒プレゼンの様子

[研修としての意義]

生徒:プレゼンを自分達で作り、つたない英語にかえた。英語力の貧困さはいなめなかったが、4月からの進歩は驚くべきものであった。また、全体の活動を通して、積極性と自主性がついてきた。

教員:良い経験になった。私は単なる報告者だったので、次回は自分の実践発表をぜひ、やりたいものだと思った。そのためにこれから必要なことが、見えたような気がした。


5.活動状況と得られた成果

 この授業は、週に1回、OCA(オーラルコミュニケーションA)の授業の一環として、小人数によるTT(ティームティーチング)の形態で実施している。授業はすべて英語で行い、生徒に具体的な英語の使用場面を提供している。1年次に学んだことを土台にして、2年次には、カナダについて課題研究を行う予定である。3年次には、各自で卒業課題を決め、発表したい。具体的な指導案は割愛するが、簡単に述べると、フリーメール取得、友人とメール交換、海外とメール交換、検索練習、課題3つ、クリスマスカードの作成と発信、まとめて校内イントラネット上で公開、というように、段階的に授業を実施した。

 また、ボランティア活動も、上記の活動と共に行い、地域の社会福祉協議会、病院、老人ホーム、デイケアセンター、養護学校と交流したが、肖像権の問題等があり、現在はイントラネット上での公開となっているが、理解を求めていく予定である。日頃のボランティア活動に国際的な視点が入ったことが、大きな成果であった。

図 7 車いす利用者の方との共同ワーク
図 8 牛乳パックをリサイクルした しおりを渡す生徒たち


6.今後の課題と要望

 今回は、コンピュータ環境の悪さや、教員のリテラシーの不足等、さまざまな原因のために、理想とする成果は得られなかったが、継続して活動をしていきたい。

 インターネットを用いた活動に実際に参加させていただくようになったのは、昨年の7月東海スクールネット主催、CEC後援によるアジア交流プロジェクトからである。私のインターネット歴はわずか2年余りで、自分のコンピュータリテラシーの低さと、勤務校のPC環境の悪さを理由に、立ち止まっていた私の背中を押してくれたのが、名古屋市立西陵商業高校の影戸先生だった。面識もない先生に、調べればすぐわかるような、初歩的な質問をしたのだが、丁寧に答えていただいた上、学校現場の最初の1歩の踏み出し方をアドバイスいただいた。今考えると、この時が私の最初の1歩であった。私自身の研修を深めるとともに、将来、誰かの最初の1歩をサポートできる教員になりたいと思っている。先駆的な実践授業と、初心者へのインターネット普及の為の研修の両立は大変だと思うが、相互に効果を与えるものではないだろうか。特に、高校では、教科による取り組みを深める必要を感じた。


7.おわりに、これから取り組む学校へ

 いかにコンピュータ環境が無かろうと、いかに教員の知識が不足していようと、まず、足を踏み出してみたい。あとから誰も続いていかなければ、インターネットの教育利用の裾野も広がらない。勇気をもって、プロジェクトや研究に参加してみると、道は開けるかもしれない。2002年にはすべての学校が、インターネットに接続されるという。ハード面は遅かれ早かれ、システムに詳しい管理者によって整備されるであろう。その後、いかにインターネットやコンピュータを活用していくかが中心課題となってくる。多くの人間の最初の1歩が、先駆的な実践の価値を深めるのだ。私も、今回ほんの1歩をよろよろと踏み出したわけだが、引き続き、粘り強く取り組んでいきたい。


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