「卒寿とは寿命を卒える事か」2007.05.25
1)卒寿とは
卒寿を卒業する年齢になって、慌てて卒寿とは何だろうと考えた。八十八歳の米寿を祝って、二年してまた卒寿を祝うのは少々大袈裟過ぎる。それに今では九十でやっと年寄の仲間入りという感じである。
国語辞典によると、卒寿は卒の俗字を九十と書くことから由来するという。しかし言葉の意味は「寿命を卒える」こと、つまり卒寿とは「死ぬ年齢」のことである。余生を楽しむなどいう生易しいことではない。
死ぬ年を越えて生きてしまったら、どうしたらよいだろう。まずこの世の籍はなくなって「鬼籍」に入るに違いない。「鬼籍」を登記する役所はどこにあるのかしら。十万億土では行けないし、メールアドレスは分からないし。しばらくはこの世に不法滞在しますから、黙認。
漢文をやっている女婿の内垣雄幸に聞いたら、酔うや砕くの字にもつくりの卒が九十になっている異体字が中国で古くからあったそうだ。五世紀ころ北魏後期に楷書で書かれた墓碑に「八月重陽宮に(卒)す」とあり、卒の字が(九十)とあるから、昔の中国では卒を九十と書き、死の意味に使われたことは確かだ。今では九十系は使われていないし、卒の字は僅かに将棋の自分の歩の駒を卒、相手の歩を兵と言うだけだそうだ。
こういう訳で、卒寿や白寿は中国には無く、全く日本で字の形から連想されたものである。従って卒寿の意味も日本独自である。いま解釈がどうなっているか次に考察してみよう。
2)卒業と大学院
近年大学だけで足りず、大学院が大はやりである。いつまでも親掛かり人生を楽しみたいという大供や、子離れの出来ない親達のお気に入りのようである。
今は学校を出ることを卒業と言うようになったから、卒園、卒中、卒大とか言う方が適切だろう。学校に入ることも入園、入大、入院などとしたらよい。
今の欧米では 卒業を始業(Commencement)と言って、仕事を始める意味である。大学院(Graduate School)は大学を出て専門化した研究者や職業人になるための職業訓練をする段階の補習学校の意味が主である。法科大学院(Law School)などは正にそうである。
Graduateは新しい資格を取ることを言ったようで、Graduated Nurseは有資格看護婦だったそうだ。Graduate Schoolが我が国では大学院となって大学より上位の学校になった。
スポーツでは功成って引退する頃の年齢になって、若者が大学院を出てやっと社会に出るのはもったいない。それより一度仕事を経験して、問題意識を持ってから、学問的に高める目的で大学院に入院するのなら、大いに意味があると思う。近頃学位に挑戦する高齢者があるのは微笑ましい。
それとも始めから高度の技能を望むなら、象牙の塔で学ぶよりより、医学のように、学校内に現業部門を設置して、現場の仕事をしながら学習する制度の方が良いにきまっている。
大学教授の上位に大学院教授があるかのような、封建的な階級を導入して、世間も教授たちも嬉しそうななのはみっともない。幼稚園の先生は大学院より教えるのが難しい。ブラジルでは幼稚園の女の先生をプロフェッソラと呼んでいた。猪村では猪の芸を見せてくれるが、猪に教えるのは幼児に教えるよりもっと難しいに違いない。
3)再び卒寿について
卒寿を寿命を卒わるのでなく、寿命の階段を一つ登るGraduationなりCommencementの意味とすれば、九十を過ぎて大人の仲間に入る。御目出度い話になる。
考えてみると言葉一つでも面白いものである。百から一をとると白になるから、九十九歳を白寿とは洒落ている。では百歳はどうだろう。世紀にちなんだ名前がほしい。百歳をこしたら、一年上がる毎にお祝いする価値がある。百八の煩悩から解脱して仏にすなるから百八歳を仏寿などうだろう。調子に乗って坂元昴先生は百十一歳をゾロ目とかピン寿とか言ったらどうだろうと言われた。百二十歳位まで毎年の呼び名をお暇の方は考えてください。