彼女のゼミでは,学生たちが「女性と仕事」とか「女性の自立」などのようなテーマを設定して,アメリカやイスラエルの人たちにネットワークでアンケートを出したり,研究の交換をしたりするのである。自分たちだけで話し合っているだけではとても出てこないような回答が返ってきて,問題の立て方を根本的に考えさせられるような経験をする。こうした活動を通じて,電子メールやエディタの使い方にも自然に慣れ,使える英語が身についていく。
この活動のようすを私はよく授業で学生に紹介する。そして,「いったい何のゼミだと思うか」ということで,「心理学/社会学/コンピュータ/英語」の中から選ばせてみると,心理学,社会学,コンピュータに答えが集中する。実は,これは英語のゼミなのである。三宅さん自身は認知心理学者であるが,たまたま当時英語の時間も担当することになっており,これは,三宅さんの考えるところの「英語教育」なのである。
三宅さんが当時好んで用いた用語に「機能的学習環境」というものがあった。今ではそれほど一般的に使われていないが,私はとても大事な概念だと思った。「機能的」ということは,「生きてはたらく」ということである。つまり,英語なり,コンピュータの技能なりが,自分のやりたいことを実現するために機能している。このように,学んだことがどう役に立つのかが学習者にとって見えてくるような学習環境というのが機能的学習環境である。
「コンピュータは道具である」とはよく言われる言葉であるが,道具には「使い方の教育」と「使うことの教育」とがあると思う。コンピュータを操作する技能だけを教えて「あとは,好きなように使ってみましょう」というのでは,生徒たちはそれがどのように活かされるのかを実感することはできない。むしろ,コンピュータを使うことによってワクワクするような活動が展開されるような学習状況を設定すれば,操作は意識しなくても付随的に学んでしまうのである。
ネットワークについても同様である。学校教育にネットワークが導入されるのを見ていると,初めの段階では,子どもたちはまず遠い地域の人たちと交信できただけで喜んでいる。そして,判で押したように「自己紹介」や「学校紹介」が始まる。ところが,さらに進むと,内容を伴った情報収集や情報発信が起きてくる。100校プロジェクトでも,しだいに多くの学校が,ホームページで研究紹介をしたり,CG作品を紹介をしたりするような使い方が増えてきた。これは,非常に望ましい傾向だと思う。
ただ,私は,もう一度三宅さんのゼミを思い起こすと,あのような対話,つまりコミュニケーションがもっともっと起きるようになるといいのではないかと思う。つまり,自分たちの作品をホームページで展示して,それを見てもらうだけでは,情報発信ではあるけれども,「対話」にはなっていない。
かつて,インターネットの全国的なニュースグループで,私は数学教育をめぐる話題で4か月ほどの討論をしたことがある。これは,ふだんはとても会 うことのできないような人たちとの,新しい出会いの場であり,私にとって新鮮な経験だった。そのときに,私が感じたネットワーク討論のメリットは,次のようなことである。
ネットワークが学校教育にはいってくるということは,学びを大きく広げることになる。そこでの学びとは,新しい出会いの中でコミュニケーションの輪を広げることではないかと思う。読んだり,書いたり,考えたり,… という活動が,「教師に評価されるためのもの」ではなく,実際に他者と触れ合う中で営まれるようなものとして学校でも展開される。そのような学習の大転換が現在起きつつある。100校プロジェクトはその第一歩として,大きな意義をもっている。