島踊りコラボレーション

瀬戸内町立与路中学校

 

 奄美は独自の文化を持ち,長い間その文化を守ってきた。ところが現代では文化の伝承が行われなくなり,子供達にとって自分たち独自の文化に触れる機会が少なくなっている。奄美の文化に触れるとともに私たちの文化を広く世間の人々に紹介する目的でインターネットを利用した。奄美の文化は,直接的な身振り手振りによって伝えられてきたため文字であらわすことがむずかしい。インターネットなら映像を流すことも可能なので島の独自の文化を伝えることができる。

 インターネットをとおした文化紹介で子供達に自分たちの島の文化を見直す機会としてほしいとねがい,また地域紹介をとおした他校との交流をねらいとしてこの学習に取り組んだ。

 本州の最南端佐多岬から南に340キロに位置し気候は亜熱帯であり,黒潮が直接に海岸を洗う南の島々である。年平均気温は21.3度と本土より4度高い。毎年夏には台風が襲来し平均すると一年に5個の台風が奄美に接近する。地質的には沖縄と一体をなす地域であり,ユーラシア大陸の淵で琉球弧を形成している。現在奄美群島は鹿児島県に位置しているが,歴史的・文化的には奄美は沖縄と一体であった時代が長い。気候も風土も言葉も沖縄と共通のものを持つ。その逆に同じ県である鹿児島本土とは言葉,生活,文化が全く違う。

 歴史をひもとくと奄美が鹿児島に属するようになったのは関ヶ原の合戦以後である。関ヶ原の合戦で西軍に組みした島津氏は薩摩の国の北方拡張政策を断念し代わりを南方の琉球,奄美侵略した。平和の民であった琉球王国が戦国時代最強とうたわれ朝鮮出兵のおりも朝鮮の人民を震え上がらせた島津氏の敵ではなかった。琉球王はとらえられ,奄美は琉球王国から切り離され以後薩摩が直接支配する植民地として江戸時代を通じて隷属させられる。

 島唄や島の踊りは琉球奄美とも中国や大和の影響を受けて発達したものであるが,形の上で独立国として存在できた琉球国の民と比べ,薩摩の直轄地となった奄美の人々の生活は苦しく,そのことが唄や踊りにも強い影響を与えている。

 琉球の踊りが琉球王朝のもと踊り頭(ウドリガシラ:現在の文部大臣に相当,琉球王朝では大きな力を持った)を筆頭として王朝舞踊を発展させたことに比べ奄美では貧しい島民の楽しみとして集落単位で集まり踊る形をとった。琉舞に比べてより素朴なのはこの歴史的要因に由来する。

与路島請島双方に伝わる島の独特の踊りを共同で調べ,資料をパソコンに取り込む。インターネットビューカムを使って撮影した島の踊りをホームページ公開できるように加工した。