モバイルGIS(地理情報システム)を用いたフィールドワーク<野外調査>

ツールの開発

 

 今,学校の5日制に伴う学習内容の精選,さらに,「生きる力となる学習」として,小・中学校における社会科,理科や総合的な学習の場では,フィールドワークによる児童・生徒が独自の「環境地図」や「生活地図」を作成することがますます重要な学習活動となりつつある。例えば社会の地理学習における「身近な地域の調査」では,学校周囲の街の環境を表した「生活タウンマップ」,また,理科の環境学習においては,「自然度グリーンマップ」など,さまざまな主題性を持つ地図を作成することを通して,地域の自然や社会の現状と変化を認識し,地域の社会や生態の複雑系を実際のフィールド(現地)に赴いて,手に取って理解することが求められる。

 また,学校,教室では,コンピュータを使った情報分野において,教育のマルチメディア化が急速に進んでいる。文部科学省は,2005年度までに全国のすべての教室からインターネット接続が可能になる目標を掲げ,また,多くの学校では,光通信を用いた大容量の双方向の情報送信が可能になるなど,学校教育におけるIT化が進む見込みである。こうした高速情報ネット,個別学習を前提にしたPC利用環境が整うことが現実味を帯びてきた。今後,こうしたIT環境に対応した情報教育を実践する学習として,地理学習の手法を用いた「自分たちの住む地域を知り,その地域に学ぶ学習」が求められている。2001年度から導入される「総合的な学習の時間」は,こうした情報教育を横糸に,環境,国際,福祉と言ったテーマ性を持つ学習領域が設定されている。児童生徒には,自分の住む「身近な地域」に眼を向け,地域の持つ問題・課題を発掘する能力および解決に向けた個々人の取り組みが求められる。

 「GIS学習」はこうした「身近な地域」を地理的に観察し,情報を収集し,空間的に解析し理解する手法として,PCを用いた情報学習にとって最適の学習教材であると言うことができる。教室で学んだ知識を活用し,外に出て野外で現実世界を観察し,調査,データの収集を行う一連の学習は,バーチャル(仮想空間)とリアリティー(現実世界)を容易に結びつけることができ,今後,児童・生徒の成長にとって最も必要な学習領域ともなる。モバイルGISシステムを用いた学習は,こうした教育における地域学習と情報技術学習の接点に位置する教育活動と言える。その為に,モバイルPCによるフィールドワーク簡易機材,及びソフトを開発する必要がある。

 本プロジェクトでは,財団法人 日本建設情報総合センター(以降:JACIC)において学習用に開発された簡易なGIS(地理情報システム)である「GISノート」をベースとして利用し,それと連携させるモバイル(携帯型)の電子手帳型フィールドノート「モバイルデジタル地図を用いたフィールドワーク・システム(以降:「モバイルGIS」)」を開発し,デジタル地図(数値化された地図)を用いて,総合的に連携させることによって,マルチメディアを利用した新しい地理教育と環境教育のフィールドワークによる授業形態を模索することにある。

学習場面として,まだ子どもたちはGISが野外学習でどのように使えるかがわからないので,GISの研修とともに,紙地図をつかった野外学習を実施した。

 野外では,主に自然科学である地学(地形学,地質学,気候学など),植物学,動物学などの調査活動のデータ記録に用いられている。「フィールドノート」の「フィールド」とは「野外」という意味であって,野外で記録するノートが「フィールドノート」になる。もちろん,野外で用いるのであるから,人文分野の研究調査でも,考古学や実際に現場に赴いてデータをとる市場調査などで用いるノートも「フィールドノート」と言えるだろう。しかし,どの野外調査でも,土壌であれ,植物であれ,また,街の商圏動向であれ,その場での記録が重要になることには違いない。「フィールドノート」には,この「オンサイト(現場)」での記録が重要になる。

紙地図等を使った煩雑な手作業から学ぶべき点も多数存在するが,限られた授業時間の中でのフィールドワークで全授業において手作業を行っていては,フィールドワークにおける教育効果を充分に獲得することは困難である。

いわゆるモバイル(Mobile)といわれる概念であるが,これにマルチメディア(画像,音声,動画)を加え,フィールドワークに適用することにより,より高い教育効果と新しい授業,新しい教育への展開が期待できる。従って,モバイルGISの開発方針は「GISノートの入力機能を受け継いだマルチメディア対応入力ツール」とした。

そこで,財団法人 JACICの広報活動のひとつとして,教育分野へのGISの普及を目的として,教育現場に無償で提供し,自由に使用してもらう為のGISソフトを開発した。

 ソフトの特徴としては,地図データの読み込みからデータの入力,解析,出力といったGISに必要な機能を持ちながら,誰でも簡単に扱えることを目指しており,作業フローに沿ったボタンメニューや,ガイダンスメッセージなど,「マニュアルなしでも使える」ことを目標としている。本ソフトでは,日吉地区のJACIC TOWNデータをサンプルとしてCDに添付しているが,配布先の希望で,独自に地図データが欲しいとの要望があった場合,JACIC TOWNの廉価提供を考慮している。

 本プロジェクトの開発内容は,GISノートをベースにした入力用端末の開発とGISノートと入力端末モバイルGISとの連携機能の開発となった。モバイルGISはペン入力が可能なノート型PC以下の小型のものが想定されるため,大量のデータ保持および処理は現実的ではない。従って,GISノート側で調査範囲の地図データ(調査地域データ)を切り出してモバイルGISに渡し,モバイルGISで入力したデータ(調査結果データ)をGISノート側で取り込む方式とした。

モバイルGISはノート型PC以下の小型のものが想定されるため,大量のデータ保持および処理は現実的ではない。しかしながら調査対象によっては一度のフィールドワークにおいて,飛び地のような調査範囲の存在は否定できず,また狭い調査範囲ながら盛り込まれる地図データが非常に細かくデータ量が多いケースも考えられる。

そこでモバイルGISで読み込むデータはGISノートで1地域毎に切り出され,地域毎にファイル化されることとし,モバイルGIS側からは読み込むデータファイルを選択することによって,任意の調査地域データを取り込むことができる。地図表示されている画面からペン入力装置により任意の図形を選択し,選択した図形の属性情報を表示する。調査範囲毎にモバイルGIS用の地図データ(調査範囲データ)を出力することができる。カシオペアは携帯性は良いが,CFカードスロットが一つでPCカードスロット等が無いため,調査範囲データおよび調査結果データ格納用にCFカードを使用せざるを得ず,デジタルカメラが取り付けられなくなる。

モバイルGISGISノートの操作性を引き継ぐが,基本的に入力用端末であることを考慮し,地図表示機能と入力機能がメニューや他のウインドウ等を開かなくても即座に使えるよう設計した。

実証実験内容:エリアは平均的な東京大都市圏のベッドタウン「日吉」の街中の地図化を実施。慶應普通部は,慶應義塾の一貫教育における全日制の中等教育前期(中学校)に位置する私学男子校である。1学年は,小学校(幼稚舎)から進学する70名に加えて,中学段階から一般入試で入学する170名の計240名,5クラス(48名クラス×5)の学年規模である。本実証実験は,最終年度の3学年の2学期・3学期に実施した。学習単元は,「身近な地域(日吉)の調査」である。配当時間は2学期の約12週(計24時間)の内,24名を1クラスとして分割学習する6時間を当てた。「身近な地域の調査」を扱い,日吉の街の調査に時間のほとんどを掛け,従来手法のGISデータ・フィールドノートによる調査,データシートの作成・提出,さらに一部のグループ(PCリテラシーに強いグループとそうでないグループ)を被験者にしたモバイルGISによる,調査,データ入力を実施した。また,3学期には,「データのGIS化・解析と地図化」を扱い,PCにインストールされたGISノートを用いて調査データの入力,データの整理,データ解析,地図化を試みた。

放置自転車・バイクの分布,自動販売機の種類と分布,ゴミの集積所とカラスの分布,飲食店の分布,主婦の立ち回る店,学生の立ち回る店,コンビニエンス・ストアーの分布ファーストフード店,本屋の分布,公衆電話の分布と種類,マンホールの分布,電柱の分布,交通標識の種類と分布,日吉タクシーの不法停車,自家用車の不法駐車,日吉の緑の分布など

本プロジェクトにおいてモバイル端末にGPS装置を接続して,現在地を取得・表示する機能を開発したが,実証実験エリア(鎌倉,日吉)でGPS装置から位置情報を取り出せたケースは少なかった。これは街中での使用が多く,建物等がGPS衛星からの電波を遮蔽していたためと考えられる。

モバイルGISを用いた学習の前提には,従来型の紙によるフィールドノートを用いた「身近な地域調査」等,既習のフィールドワークを行った生徒・教員共に授業経験のあることが前提になる。従来型の中等教育では,教室学習が主であるため,モバイルGISの導入には,フィールドワークを取り入れた授業自身の試行錯誤を伴う可能性が高い。

現在のフィールドにおいて生徒達がモバイル機器を持って調査する姿は,一般的ではない。そのため,調査対象フィールドの適切な設定や,調査対象フィールド周辺の関係者(地域自治会,大学キャンパス管理者等)との関係作りも必要となる。

従来の紙地図ベースの授業に比べ,モバイルGISを用いた授業では,フィールドへ行く前の計画準備として,調査テーマの選定だけでなく,フィールドワーク後のデータ処理(GISノートでのまとめ方)を考慮した調査データの設計という緻密な作業が必要になった。この作業は,調査項目を明確にしていくことから始まるが,ある程度のGISの理解が前提条件となる。

今回のプロジェクトでは,JACICが開発した学習用GISGISノート」をベースとして連携機能を持たせ,野外調査用にGPSを装備した電子フィールドノート「モバイルGIS」を開発した。これにより従来のフィールドワークの中で,2・3時間から1週間も掛かっていた教室での準備作業とデータ整理が,大幅に短縮されることになった。授業スケジュール等の都合により,各作業に掛かった時間を計測できなかったが,モバイルGISからGISノートへのデータインポートに関しては,スムーズに行うことが出来た。

この一連のシステムは,学習者が独自のデータを入力できる自然環境GISデータベースが作成可能であり,一旦,入力されたデータはデジタルデータとして半永久的に保存が可能となり,また,データの格納,更新,出力の簡便性が明確化され,若い学生にも容易に使用できる環境を実現できると思われる。実証・実験では,操作性の問題,液晶を用いた表示が野外にはやや不適であること,GPSの利用効果が予想よりも低いことなどが確かめられた。今後の更なる改良が待たれるところである。

実際の授業での実証実験という意味では,実験期間が短かった点,およびGISノートの実験利用から本プロジェクトでの実験までの時間的差異が少なく,同時進行的に学習の場への導入へ移行してきた点から,生徒たちへの教育的効果が明確になるためには,更なる継続的な実験期間が必要と思われる。

少なくとも,今回,慶應義塾普通部生が実際に日吉の街に出て調査したデータは,土地利用や店舗立地のほか,自動販売機や公衆電話など今まで地図にされなかった物の分布,放射状に伸びる日吉の街路のバリアフリー状況,不法駐輪の自転車やバイク,順番待ちをするタクシーの停車位置,早朝ゴミをあさるカラスの多い地点など,中学生ならではの視点で収集したデータも多く含まれている。

GISを初・中等教育においてどのように導入して行くかについては,「GIS」が学校において極めて新しい概念であり,また,教育指導要領等における位置付け,教科書等での扱い等が明確ではない点からも,今後,学校の情報化がさらに進む中で,既存の地理学習との関係,「総合的な学習」における利用可能性等,さまざまな場においての多くの議論が必要となろう。用いる用語,既存の紙学習との関連,コンテンツの著作権,学習者への影響等確実に解決すべき課題も数多く存在するが,世界に先駆けて学校で利用可能なGISを開発する意義は大きいと考えられる。

教育現場では90年代以降,教育における情報教育の普及の中で急速にコンピュータが利用されてきたが,GISを用いた学習実践は皆無であった。GISノートと今回開発したモバイルGISは,地理教育における「身近な地域の学習」の単元における地図作成,環境教育における「野外における自然環境調査学習」の単元において,極めて高い教材としての視認性が見られる。従来の「紙地図」教材による学習とは大幅に異なる教育的効果を上げたと評価できる。今後,空間データの種類(レイヤー)数を増加し,さらに簡便な利用(データ入力・解析・出力)が可能な教育用GISの開発をめざす必要がある。

今後は,地域コミュティ等との連携を考慮した地域教育・環境教育をも視野に入れ,単に汎用的なツールではなく,「どの学年に何をどの程度学習させるのか」という授業目的および授業設計の問題を明確にし,教師側のサポートも含めたシステム化を検討して行きたい。

本プロジェクトでの成果は中学校段階での環境教育(川の調査や森の調査など)や地理学習における「身近な地域の調査(街の環境地図,商店街の変化など)」などの他,2002年より導入される「総合的学習」で利用できる。成果は生態学会,環境教育学会,地理教育学会,地図学会等で発表し,広く教育の場での新しいIT技術を用いた学習と従来型の野外学習,観察学習等,教育での経験や知識,新しい情報環境を利用した新しい形の教育の提言に役立つと考えられる。

 

※「GIS」とは,Geographical Information System(地理情報システム)の略であり,コンピュータ上のデジタル地図を用いて空間的に情報を取り扱うシステムのことを言う。元々は,ガス会社や電気会社などが自社の配管・電線など,都市のインフラを管理する電子地図システムとして開発したシステムで,先の阪神大震災では,GISが被害を受けたライフラインの早急な復旧においてその威力を発揮した。最近ではGPS(地球測位システム)の利用と共にカーナビゲーションとして,またマーケティングの分野では,新規店舗の立地分析に利用されるなど,新しいIT技術として注目され,現在急速に普及しつつある。