一般ボランティアも参加して教育用日本版ネチケットをつくる
『わかなプロジェクト』

東金女子高等学校

ネットワークでネチケットを考える
 子どもたちがネットワーク環境を得たとき、基本的なマナーをどう習得していったらよいのか、そもそもいきなりネットワーク社会に入り込んでいいものだろうか…。大人の社会でもまだ十分議論が尽くされていないこのテーマに、教育的なスタンスで取り組んだのが、東金女子高等学校の高橋邦夫先生です。高橋先生は、ボランティアなど一般の人たちも巻き込みながら、この難問に向かっていきました。その最初のステップとなったのは、1995年7月4日にスタートした『ザ・ナインプラネッツ日本語版プロジェクト』です。
 「1995年5月に100校プロジェクトで線がつながってネットワークを見て回り、アメリカで見つけたのが『ザ・ナインプラネッツ』(*1)です。太陽系のガイドなんですが、非常におもしろい。アメリカの子どもたちが小さい頃からこんな内容を読んでいるんだから、日本の子どもたちにも何とか読ませてあげたいと思ったんです」
 高橋先生がさっそくインターネットで翻訳ボランティアを呼びかけたところ…。北は青森から南は沖縄まで、大学教授、翻訳業、天文ファンの会社員など全国から30人の申し出があり、全約90ページの翻訳が4か月で完成してしまったのです。
 「社会的に貢献する活動なら、ネットワークで呼びかければ集まってくれる人がいる、認めてもらえるという大きな体験を『ナインプラネッツ』で得ることができました」
 一方で、高橋先生は、子どもたちにインターネットを使わせるには、ネットワーク独自のマナーやエチケットを教える必要があることに気づいていました。しかし、その当時、日本ではネットワーク上でのエチケットについて明文化されたものはありません。何か手がかりになる資料はないかと模索した結果、高橋先生は、インターネットでアメリカにネチケットガイド資料があることを捜し当て、翻訳プロジェクトを結成。こうして、11月1日から『FAU ガイド&ネチケット日本語版プロジェクト』(*2)がスタートしたのです。『FAU ガイド&ネチケット』(ザ・ネット:利用者の指針とネチケット)を翻訳しているうちに、高橋先生は、アメリカで『ネチケットガイドライン』が出たという情報を入手。さっそく作者にメールを送り、翻訳版の公開の了承を得ました。
 この『ネチケットガイドライン』を公開したのが1996年2月。反響は予想以上でした。1日に1,300件のアクセスがあり、東金女子高校の回線容量では生徒が回線を使えなくなるため、『ネチケットガイドライン』のサービスを100校プロジェクトのサーバに移してもらったといういきさつもあります。ちなみに『ネチケットガイドライン』には、今も1日1,000件のアクセスがあるとのこと。その意義は大きいのですが、アメリカのガイドラインをそのまま日本に適用していいのか、高橋先生は疑問をもちました。
 「内容は日本の社会にも十分適用できるが、国内で何の議論もされないまま用いられるのはおかしい。しかるべき合意形成を図る必要があるし、項目も時代にあわせて修正していく柔軟性が大事」と考えた高橋先生。さっそく学校教育用ガイドラインづくりのコンセンサスを得るべくネットワークで働きかけました。『わかなプロジェクト』の立ち上げです。賛同してくれた先生と夏休みに準備委員会をつくって企画案を検討し、1996年9月10日に呼びかけ文を公開。教育関係のメーリングリストを始め一般の人にも参加を呼びかけていきました。

有害情報と子どものアクセス権
 現在、高橋先生の授業では、3年の2学期に情報処理の授業でインターネットを扱い、最初の授業でネチケットも含めたネットワーク・ソフトの使い方と、コミュニケーションマナーを教えています。オリエンテーションを終えた生徒たちは、ネットワークの概念や扱い方を具体的な活動を通して学んでいきます。たとえば、ある生徒が、ある大学生の作っている姓名判断のホームページに自分の名前とメールアドレスなどを入れたところ、後日その生徒宛てに電子メールが届いたということがありました。表向きは姓名判断のページが、じつは友だち募集のページとつながっていたのです。こうした事例が起きるたびに、高橋先生はそれを一つ一つ教材として授業でとりあげるようにしているといいます。
 「純真な高校生のときからネットワークのマナーを学んでくれれば、彼ら、彼女たちが社会人になった将来にはきちんとしたネットワークマナーが普及することが期待されます。また、きちんとネットワークマナーを獲得してネットワークを使いこなせるようになれば、家にいても多くの情報を得られるし、仕事もできる。そういうことが生徒たち自身もよく分かっていますね」
 むろん、『ネチケット』も、『わかなプロジェクト』も、一朝一夕に運んだわけではありません。プロジェクトの実現という面で高橋先生が腐心したのは、学校教育以外の一般の人たちをどう取り込むかでした。特に、『わかなプロジェクト』では、教育分野での合意形成をねらいとするだけに、逆に外からみた見解も入れた議論が展開されることが重要と考えたのです。教育関係以外のメーリングリストやニュースグループものぞいて、投げかけたほうがいいと思われるフィールドでプロジェクト参加を呼びかけたりしていきました。
 「『わかなプロジェクト』では、有害情報は子どもにアクセスさせるべきではないという声が教師の間に強いのに対して、人権問題に詳しい一般の参加者からは子どもの知る権利を守るため何でも規制すべきではないという発言があるなど、広い視点での議論ができました。そのプロセスをネットワーク上で公開したことに意義があると考えています」
 さらに、高橋先生は、教育の場で安心してインターネットを活用できるようにするため、学校教育用サーチエンジン『学校検索』の構築や、情報モラル、セキュリティなどインターネットの陰の部分について調査研究や啓蒙活動などを率先して実施していきました。他方、100校プロジェクト推進上の難関は、他校同様、体制の問題でした。
 東金女子高校では、コンピュータ担当者が3人体制となるまでは、教科指導からサーバ管理、教材データベースなどコンテンツ作成……と、一人何役もこなさなければなりませんでした。たびたびダウンする初期型のサーバも苦労の種だったとも言う高橋先生は、今後の方向性として、学校経営の視点でネットワーク管理のできる人材の重要性を強調しています。
 「ネットワーク環境もどんどん変わっていきますから、走りながら考えるしかない。社会的に貢献できるプロジェクトですから、今後も多くの人たちの参加を得てやっていけるように、後継者を育てて少しずつプロジェクトを渡せるようにしています」
 一貫して自由度をもち、生徒や参加者の主体性を重んじながら推進してきた高橋先生の成果は、何より教育インターネット利用上重要なインフラ整備のレールを敷いた点だと言えるでしょう。ネットワークマナーを習得した生徒たちの将来の活躍が注目されます。

 

(取材対応者:高橋 邦夫先生)


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