5.2. 実践事例2  情報教育・交流活動から総合的な学習を

− インターネットの活用をもとに −

小学校6年
熊本県阿蘇郡長陽村立長陽小学校
宮原尚智
miyahara@choyo-es.jhs.choyo.kumamoto.jp
http://aso.jhs.choyo.kumamoto.jp/choyo-es/choyo-es.html

1.  研究主題について

1.1 主題設定の理由

 本校では昨年度、「人とのつながりの中で心豊かな子どもに」というテーマのもとに情報ネットワーク活用を推進してきた。実践を続ける中で、インターネットを単なる百科事典として使うのではなくて、コミュニケーション手段の一つとして使えるようになったことが最大の成果であった。相手のことを知り、自分のことを知らせるという交流の基本形を持つこともできた。また、一つの学習をきっかけとした長期的な交流を持つこともできてきつつあった。パソコンを活用するだけでなく、パソコンという機械にも「ひと」を意識して向かうことができるようになった。そのことで、例えば電子メールをもらう感動を味わい、さらにこちらからも発信する意欲を持ってきたし、ホームページやさまざまな発表などでも、いろいろなことを知らせたいと思う子どもが増えてきた。また、一昨年度には交流活動を推進してきた。その中でなぜその活動を行うのか、その活動がどう生かされるのか考えたことによって、ただ単に交流活動を行うのではなく目的意識をはっきり持って実行できるようになってきた。

 昨年度までの2年間以前にも、情報教育・交流活動を重視した取り組みを進めてきた。その2点を総合的な学習の時間の観点からとらえ直し、実践を重ねることで、これまでの研究を有機的に結びつけることができるとともに、新学習指導要領へスムーズに移行できると考える。

1.2 主題のとらえ方と研究経過

 本年度、本校では「知り、知らせることで、自ら学び自ら考える力に」という校内研究主題で研究を進めてきた。各学年で、研究主題に基づき、テーマを持った実践が続けられてきたが、本学級では「みんなとケナフでなかよくなろう」をテーマとして授業や活動を行ってきた。

2. 研究の仮説

2.1 仮説

インターネットを活用し、追求する活動の中で情報を収集・選択・発信・交換し、人との関わりをもつ中で心に残ることが創造される経験を積めば、人間関係や存在の大切さを実感し、自分を表現しようとする態度が育つのではないか

2.2 検証の具体的方法

(1) 課題意識を明確に持たせることで、情報交換をする観点を子どもに把握させる。

(2) どうすれば自分の意図が相手に伝わるかを考え、相手の意図を正しくつかむ努力をする場を設定する。

(3) 課題を解決する過程で、さまざまな人との関わり合いが生まれる場を設定する。

(4) 教科、道徳、特別活動、創意の時間に関連を持たせた指導を充実させる。

3. 研究の実際

3.1 実践にあたっての思い

 私は、本学級を昨年度から担任している。昨年度は情報教育・交流活動という観点では、1学期から2学期にかけて、社会科の自動車工場に関しての学習で、企業のホームページを使って調べ学習をしたり、教科書や資料集、ホームページなどを使っても疑問が残ったことについて、電子メールで質問したりした。また、2学期に伝統工業の学習で地域に伝わるしめ縄作りを教えていただきながら体験するなどの活動、3学期には地域にある老人ホームを訪問する活動を行ってきた。しかし、「一人一人の子どもの生きる力」を育むという点で十分だったかと考えると、疑問が残る。そんな中で、ケナフが本学級に登場したわけである。電子メールのやりとりなどで、発芽共同プロジェクトのことを詳しく知り、大変有意義なプロジェクトであることがわかった。それに、本学級は本年度6年生となり、この1年間が小学校での学習のまとめである。下学年をリードする立場である。充実した活動をしたという思い出を強く心に持って卒業の日を迎えさせてあげたいし、私自身も迎えたい。その理想の実現のために、昨年度よりさらに活発な活動をしていきたいと考えて実践を続けてきた。

3.2 ケナフとの出会い

 本年度のプロジェクトの実施や参加について宮崎大学教育学部附属小学校に質問をし、担当者と電子メールのやりとりを続けていたこともあり、多量の種子と説明のプリントを送っていただいていた。本学級では、「みんなとケナフでなかよくなろう」をテーマに活動してきたが、子どもたちにとってのそのテーマへの出会いは、まず「ケナフ」という言葉であった。それはいったい何なのか、子どもたちにとって全く未知のものだった。しかし、送られてきた資料をもとに話をすると、子どもたちは「先生の話を聞いているとだんだん楽しみになってきた」(子どもの作文から)ということである。本学級の子どもたちにとっては、インターネットをきっかけにして電子メールではなくて、実際の「もの」が送られてくるのは初めてで、新たな驚きであった。未知の植物に対する関心もあったからだろうが、熱心にケナフの種子を観察していた。

3.3 全国とのネットワークのはじまり

 送られてきたその種子をまくわけであるが、インターネットを通じてつながった全国のたくさんの人たちが同時刻に同じように種子をまこうとしていると考えただけで、子どもたちは興奮していた。まく時刻の10秒前と報せただけで、子どもたちは自然と「5、4、3、2、1、0」と声をそろえていた。そして予定時刻となって、育苗ポットにまいたわけだが、全国各地の人々と自分たちがその一瞬を共有しているという内容の会話が周囲の子どもたちから聞こえていた。

 全国各地から、種をまいたという情報が寄せられ、その情報をもとに日本全国の友だちの学校がある都道府県に色を塗り、学校名を書こうと呼びかけたところ、ほとんどの子どもが自分がやりたいと手を挙げた。そこで、新たに参加校がわかったら数人ずつ交替でかきこむことにした。今まであやふやだった都道府県の位置に関する知識がしだいに確実になってきた。また、その日本地図は教室に常設し、社会科などの学習でも活用するようにし、一層子どもたちの意識の中に定着してきた。

3.4 ホームページの双方向性

 それらの活動をホームページで紹介したことで、他校から電子メールが届いた。この地図に自分たちの学校も書き込まれるのがうれしいという内容だった。本学級で、日本各地を意識するようにと始めたものが、逆に他校で意識化されるという結果を呼び、私自身もうれしかった。子どもたちにとっては、自分たちの活動が評価されたんだと、さらなる意欲につながって、ケナフの観察をした感想も、双葉や本葉をくわしく見て、正確に伝えようとする内容に変化を見せてきた。

 このように、インターネットが双方向性を持っているということを実感できてきたころに、参加全校のリストを送っていただくことができた。教室のケナフマップが北海道から奄美大島の学校まで広がり、電子メールで届いてくる、発芽や双葉、高さなどの報告がどこかの誰かの報告ではなく、ここの人から届いているのだと、電子メールひとつにしても、相手に対してより親近感を持つようになってきた。そのことは、前述のような、直接自分たちの活動に対する評価があったからに違いない。

3.5 全国とのネットワークの深まり

 今まで述べてきたように、電子メールを活用して本学級の子どもたちと全国の人々を結びつける取り組みをすすめてきた。しかし、それだけではなく、子どもたちの活動のために、教師同士の情報交換の手段としてインターネットが大変有効であった。例えば、本校のケナフの本葉についた斑点が病気の症状ではないのだろうかと、質問をこのプロジェクトのメーリングリストあてに送ったら、多くの人たちが育てているケナフで同様の症状が出ていることや、原因、対策法などを寄せてくれた。また、参加校のホームページアドレスやメールアドレスの一覧表、共通に利用できるイメージマップになった日本地図ホームページを作成し、公開してくれるなどの協力体制ができてきた。そのネットワークから本学級でのケナフリースの作成へとつなぐことができた。さらに、そのケナフリースからは他校での活動が創造され、テレビ番組で紹介するなどの発展が見られた。

3.6 人を意識した表現への変容

 夏休み、ケナフへの水やりをどうするか考えたときに、夏休み後には2mをこえることが予想されたので、ケナフは学校に置いたままにし、子どもたちが交替で来校して行うことになった。水やりの折りには、成長の記録や気付きをノートに記録していった。また、その記録は1学期と同様にホームページで紹介していった。また、印刷してケナフの花壇のそばに掲示し、見られるようにしておいた。自分の記録が紹介されるということを知り、相手に話しかけるような文章で気付きを書く子が出てきた。また、2学期になった頃から、私が活動の様子をデジタルカメラで記録しているときには、ホームページで紹介することを意識して、ここを撮って欲しいとか、こんなことを書いて欲しいと言う子どもが出てきた。

3.7 表現方法の工夫・多様化

 前述のイメージマップになった日本地図ホームページを使って、他校の取り組みを見せるようにした。そのときには、紙漉やケナフジュース、ケナフクッキーなどを知ることができた。その際に、普段からケーキやクッキーなどをよく作っている子どもたちは、その学校のホームページにあったレシピを印刷して持って帰った。そして早速、休み明けにはケナフクッキーを持って来てくれた。自分の得意な分野を積極的に生かした結果であった。
 12月に学習発表会が行われた。6年生は何を発表するか決める話し合いでは、全員一致で、「みんなとケナフでなかよくなろう」のテーマのもとで活動してきた取り組みについて発表することを決めた。それまでのホームページや観察記録などをもとに時期ごとにグループを分けて、発表原稿を作っていった。OHPで活動の写真を映し、他校のケナフと台風の被害を受けた本校のケナフを提示することで太さの違いを明確にし、作成したケナフリースを示すなどすることで、よりわかりやすく、自分たちのがんばった様子を説明できるようになっていった。練習の折りには、他県の校長会の参観を受け、緊張しながらも自信をつけることができた。学習発表会でも盛んな拍手を受けたが、参観の礼状が送られてきて、その中でも、自分たちの発表が評価されていたことに、子どもたちは満足していた。

3.8 学級における関係づくり

 特殊学級や他学年、老人ホームなどとの交流もあるが、紙面の都合上、ここでは学級のことのみについて述べる。取り組みを始めた当初から、子どもたちの心の中には、ケナフを使って紙ができるのであれば、それで自分たちの卒業証書ができないものかという夢があった。卒業までの1年間を通じて自分たちががんばったことが、最後に形になって出来上がるというその夢に、子どもたちは興奮気味だった。「私たちが始めたことが、この学校の伝統になっていったらいいね」(そのときの子どものつぶやき)という言葉が印象的だった。その夢に向かって、様々な苦労があったが、子どもたちは学級全体、班ごと、数人で、個人でなど、労を惜しまずに活動していた。土作りでは、暑い中、みんなで鍬を持って土を柔らかくし、臭い肥料を混ぜこんでいった。工事のために、2階にある教室のベランダと花壇とを、土がいっぱいに入った大きな鉢を持って何度も往復した。2mほどに成長したケナフを傷めないように、2人がかりで扉をくぐらせた。学期中はもちろん、夏休みにも、交替で水やりを続けていた。台風の後には、心配して見に来た。皮をはぐときには爪が痛くなってもはぎ続けた。繊維だけにするために、水につけて表面を腐らせた皮を、臭いのを我慢して削っていった。また、繊維を柔らかくするためにたたく作業では、保護者も交え、互いに、苦労を共有し、言葉を交わしながら、充実した時間を過ごしていた。

4. 研究の成果と今後の課題

 実践を続ける中で、リアルタイムで反応が返ってきて、私自身がとまどいながらも、大きな喜びを感じることが多かった。それはまた、本学級の子どもたちにとっても、全国規模のプロジェクトに参加し、全国の子どもたちや教師と共同学習をした実感として残っている。それに、コンピュータと自然にあふれた地域という、少し前までは、一見相容れないものが密接に関連付いてきた。と言うよりも、関連付くのが至極当然なのが「総合的な学習の時間」だとも言えよう。今回の取り組みで見る限りは、地域での交流がないならば学習そのものが成り立たないし、そこにインターネットがなければ広がりも制限されたものにならざるを得ない。本学級の子どもたちにとって、ケナフという言葉がこの1年間のキーワードになった。そのケナフを通じてインターネットを活用し、自分たちの活動に役立つ情報を取り入れることができた。また、取り入れるだけにとどまらず、伝えることで、ネットワークの向こう側の人の生活、活動に役立つことができた。それは、自分たちにとっても自信になるし、存在意義を実感できることにほかならない。しかも、ホームページで公開することで、その喜びは将来にわたって続く可能性を残すことでもある。事実、子どもたちの昨年度以前の活動への反応が、今でも届いている。課題の解決の過程では、直接ふれあうことができる身近な人々と話したり、ともに活動することが大切だし、遠くの人でも、一緒に考えて、共同で取り組んでいくことで、身近な人とは別の形で、ともに活動できることがわかった。また、そのような取り組みの最中に、道徳の授業でメディアリテラシーの話を扱った。相互に影響しあっているネットワークの世界で、発信側としての責任について、子どもたちは実感を持って考えることができていた。

 課題としては、「総合的な学習の時間」を展望して取り組んできたが、現時点では教科としての目標を達成する授業と、「総合的な学習の時間」のねらう授業では若干の違いがある。来年度以降、「総合的な学習の時間」として、教育課程に組み込まれてくれば、完全実施で105〜110ある時間を有効に使っていけるであろう。

 また、子どもたちの学習に協力してくださる地域の人材や、インターネット上で、質問に答えてくださったり、情報を提供してくださる人材の発掘が必要である。それには、教育委員会の委嘱の制度ももちろんだが、今回、保護者の協力体制、プロジェクトに参加した全国50余校の連携などがあったように、教師自身が多様なネットワークを活用していかなければならないことも事実であろう。


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