1.研究のねらい

1.1 昨年度までの研究の経緯

 100校プロジェクトの特殊教育における実践研究では,各学校種別ごとにそれぞれ将来の情報化社会に生きる障害のある子どもたちにとっての教育に大きな意義と成果があることがさまざまな事例を通して報告されている。

 ところが,こうした特殊教育におけるインターネットをはじめとした広域ネットワークの活用を進めるにあたっては,現在のインターネット環境や情報機器操作環境が,必ずしも障害のある子どもたちが操作することを想定していないために,その利用上の障壁を乗り越えるための支援の方策(アクセシビリティ)を講じる必要があるということが大きな課題として検討されてきた。

 そこで,100校プロジェクト研究指定校の実践では,主として視覚に障害のある子どもたちがGUI(グラフィカルユーザーインターフェース)であるブラウザ画面を読みとれないため,その視覚情報を代替えする支援方策の研究と,運動機能に障害のある子どもたち(肢体不自由児)がマウス等のポインティングデバイスを操作できないため,それをどう補うかといった事例を中心に,障害のある子どもたちの広域ネットワークを用いた教育の可能性と方向性を探り,多大な成果を上げてきた。(平成6,7,8年度,CEC報告書参照)

 一方,こうした研究を進める中で生まれてきた新たな課題として,特殊教育を受けている児童生徒の中でも数的には圧倒的多数を占める知的な障害のある子どもたちに対する支援方策や,知的障害と運動機能障害など複数の障害を併せもつ子どもたち,すなわち重複障害のある子どもたちに対する支援方策,および広域ネットワークを用いた教育の可能性についての検討が十分なされていないのではないかということが指摘された。

 そこで,平成9年度の「高度化教育ワーキンググループ,特殊教育部会」では,こうした問題意識から重複障害のある子どもたちにスポットを当て,重複障害のある子どもたちの中でも知的障害と運動機能の障害を併せもつ子どもたちを想定し,これらについてのインターネットを活用した教育の在り方と,支援方策についての理念的な研究を行った。

 この理念研究の中で,こうした重複障害の子どもたちに対する支援方策は,特殊な機器やソフトウェアの開発ばかりが求められるのではなく,どのようにわかりやすく,操作しやすいインターネット環境を考えるかという,ごく本質的な命題に迫るものであることが確認された。また,この観点で研究を進めることは障害のある子どもたちのためだけに意義のあることではなく,幼児や高齢者,コンピュータ操作に不慣れな者など,今後考え得る広域ネットワーク利用の上で支援ニーズをもつさまざまな年齢,対象者にとっても意義のあることと結論づけられた。障害者が使いやすいということは,誰にとっても使いやすいものであり,工業デザイン的にも,誰もが利用できるように配慮して設計,製作が行われるべきであるという,"ユニバーサル・デザイン"の考え方の大切さが改めて示された。

 こうして平成9年度ワーキンググループにおいて検討を重ねた結果,これまでの100校プロジェクトの実践研究成果もふまえて,知的な障害を併せもつ子どもたちをも含めて障害のある子どもたち一般にとっての情報教育の意義は,主としてコミュニケーションの可能性を広げ,時間的,空間的制約を超えたかかわりを経験することにより,社会との関わり方を体験的に学ぶところにあるのではないかという結論を得た。すなわち,「関わり合う楽しみ」「つながりあう喜び」を基盤にして社会性そのものを伸ばし,その単元的な学習の過程で「他者からの情報を正確に受容し」,「提供された情報を読みとり,理解し」,「他者に向けてわかりやすい形で発信する」という情報処理の基礎的な流れとリテラシーを体験的に身につけることができるものと考えた。

 そこで,平成9年度に検討した重複障害のある子どもたちにとって必要と考えられるインターネット環境の構想の中から,メーラを中心にしたコミュニケーションツールに焦点を当て,具体的な仕様のあり方とコミュニケーションを育てる教育実践について研究を行うこととした。

 たたき台として,どのような仕様・デザインのメーラなら知的障害を併せもつ障害のある子どもたちにもコミュニケーションの楽しさを体験させ,さらなる学習課題につなげられるかを検討し,その意見を集約してプロトタイプの簡易メーラソフト「キッズメール(仮称)」を開発した。

 平成10年度はソフトの試作までで終わったため,平成11年度の研究は,このソフトを用いての実証実験と,全国の学校における試行結果を通しての仕様の再検討が必要と考えた。

1.2 本テーマ設定の理由

 こうして試作されたメーラソフト「キッズメール」を実際に学校現場に協力を依頼して試用してもらい,前年度まで考察した理念の確認と,よりよいメーラの仕様を実践的に検討しようと考え,本年度の研究テーマを設定した。

2.研究の経過について

2.1 特殊教育ワーキンググループの発足

 知的障害及び肢体不自由障害を併せ持った重複障害のある子どもたちを対象としたインターネットの教育利用について,平成9年度調査した結果等から,まずはコミュニケーションを支援するメーラの仕様を検討することとし,平成10年度に全国にわたるメーラの活用やコミュニケーション支援の諸事例や,そこから導き出された基本仕様のアイディアを参考にし,たたき台としての「重複障害のある子どもたちが利用できるメーラ:キッズメール」が完成した。

 そこで,この試作ソフトウェアを利用して実証的な研究をし,メーラ仕様のさらなる研究を進めるために平成11年9月14日に「特殊教育ワーキンググループ」(以下,ワーキンググループという。)を発足させた。

2.2 委員構成

 特殊教育分野でインターネットの教育利用を試行・実践している教育関係者から構成されるワーキンググループにより本研究を進めた。(表2.2参照)

表2.2 高度化特殊教育ワーキンググループ委員名簿表(敬称略)

番号

区分

氏名

所属・役職

1

主査

金子 健 明治学院大学教授

2

副主査

伊藤 守 東京都立綾瀬ろう学校 教諭

3

副主査

松本 廣 国立特殊教育総合研究所教育工学研究部室長

4

委員

三室 秀雄 東京都立江戸川養護学校 校長

5

委員

金森 克浩 東京都立光明養護学校 教諭

6

委員

苅宿 俊文 大東文化大学 文学部教育科 専任講師

7

委員

島 治伸 徳島県立ひのみね養護学校 教諭

8

委員

小野 龍智 佐賀県立教育センター 研究員

9

委員

田村 順一 神奈川県立平塚ろう学校 教頭

 

2.3 委員会議論の経緯

 ワーキンググループ委員会及びメーリングリストを活用して検討を進めた。

表2.3 特殊教育ワーキンググループ委員会の実施状況(平成11年)

番号

委員会

開催日

議事概要

1

第1回

9月14日 ・主旨

・年間計画について

2

第2回

10月22日

・メーラの評価および改善検討(1)

・支援機器活用相談ネットワークセンターの検討(1)

3

第3回

11月22日

・メーラの評価および改善検討(2)

・支援機器活用相談ネットワークセンターの検討(2)

4

第4回

12月18日 ・メーラの評価および成果報告書執筆について

・支援機器活用相談ネットワークセンターの検討および成果報告書執筆について

5

第5回

1月21日 ・成果報告書のまとめについて(1)

6

第6回
2月19日 ・成果報告書のまとめについて(2)

 

 

2.4 メーラ調査項目と日程

 調査項目は「対象者の状態」「入力機器」「仕様形態」「使用内容」「使用時間」「使用結果」「改良点」「評価者の感想」である。調査項目は評価シート(図4.16)の形で配付した。

 調査日程は「評価者リスト,シート作成:10月」,「評価セット(メーラ,使用手引書,評価シート)の配付:11月」,「キッズメール試用評価:11月,12月,1月」,「報告書作成:1月」とした。

2.5 参加校と評価者

 メーラの評価依頼先は公募と各委員からの紹介で決定した。

 メーラ試作時の主たる対象者は知的障害と肢体不自由の重複障害者であったため,対象校は公募が1校,養護学校が13校となった。 表2.5に評価者と学校名を示す。

表2.5 評価者と学校名(敬称略)

No

評価者

学校名

1

中島 康明 大阪府立盲学校

2

大前 洋介 神戸市立友生養護学校

3

幸地 英之 沖縄県立森川養護学校

4

福島 勇 福岡市立南福岡養護学校

5

佐古 真吾 和歌山県立たちばな養護学校

6

北村 順 三重県立北勢きらら学園

7

立花 裕治 神奈川県立瀬谷養護学校

8

武富 志郎 宮崎県立清武養護学校

9

酒井 裕市 宮崎県立宮崎養護学校

10

末原 順二 宮崎県立日向養護学校

11

小塚 雄一郎 石川県立七尾養護学校

12

杉森 義英 石川県立七尾養護学校

13

深町 俊善 佐賀県立金立養護学校

14

田倉 章良 東京都立南大沢学園養護学校

 

3.対象児とその教育支援の意義

3.1 障害児教育における教育支援の意義

 本研究ワーキンググループは,「運動障害と中・軽度の知的障害」のある子どもたちを対象に,情報化社会の中での教育支援について研究を進めてきた。ことばの理解はできるが,まだ文字の読み書きのできない子どもたちを対象としている。こうした知的障害と運動障害のある子どもたちは,肢体不自由養護学校ではかなり多くの割合をしめている。小学校・中学校に在籍している例もある。言語障害を伴うことも多く,意思を伝えることが難しい子どもたちもいる。

 情報化社会は,著しい進歩を遂げている。メールを利用した情報交換,インターネットを活用した情報検索だけでなく,買い物をはじめ,多くの日常生活がインターネットを通して行われる時代を迎えようとしている。まさに,コンピュータネットワークの時代が訪れている。情報化社会は,ネットワーク等の情報手段の活用により,障害のある子どもたちにも豊かな生活を実現する大きな可能性のある社会である。

 ところが,「知的障害のある子どもは,コンピュータで表現される内容は理解できない。教え込んでもコンピュータを操作することができない。」などの情報機器の活用について誤ったイメージをもつ者も多い。しかも,こうした誤解は,障害児教育に携わる者の中に多いことも事実である。ここには,2つの誤りがある。1つは,コンピュータで表現される内容を文字情報と固定的にとらえていることである。コンピュータでは,写真・アニメ・シンボル・音声など多様な表現が可能である。知的発達に応じて表現方法を工夫することにより,知的障害のある子どもも情報を理解することが可能である。むしろ文字に変わるコミュニケーション手段として活用できる可能性を持っている。また,1つは,コンピュータの操作方法を固定的にとらえていることである。コンピュータはキーボードでの入力だけでなく,音声や画面にタッチすることなど多様な入力方法がある。知的発達に応じて入力方法を工夫することが可能である。運動障害のある子どもたちは,入力装置の工夫により,能動的に動かすことのできる部位を利用し,コンピュータを操作することが可能である。文字を書くことのできない運動障害のある子どもたちが文字を書くことに替わる表現手段を得ることができる。

 誤解を生んできた背景には,障害に応じたソフトや入力装置などの開発が十分にすすめられてこなかった現状がある。ソフトや入力装置等を工夫することで,知的障害や運動障害を補い,障害のある子どもたちがネットワークを有効に活用することができるようになる。ソフトや入力装置等の開発とともに指導法を確立し,指導上の成果をあげることを通して,教師の意識改革を行ない,指導内容の改善をすすめることが必要である。

情報機器の活用は,絵を選択することなど多様なコミュニケーション手段を活用した広域コミュニケーションを可能にする。21世紀の重複障害のある子どもたちの教育は,ことばや文字の読み書きを中心とする教育から,障害の状態に応じた多様なコミュニケーション手段を活用し,主体的に社会参加することをめざす教育へと変わっていく。

3.2 新しい学習指導要領のめざすもの

 平成11年3月,盲学校,聾学校及び養護学校の学習指導要領が公示された。この学習指導要領は,情報化がすすむ21世紀を生きるために,コンピュータ等の情報手段の活用に関する指導の充実をめざしている。

 今回の改訂では,知的障害者を教育する養護学校の高等部学習指導要領の各教科の中に「情報」が設けられた。「コンピュータなどの操作の修得を図り,生活に必要な情報を適切に活用する基礎的な能力や態度を育てる。」との目標が示され,知的障害教育にも「情報」の指導の重要性が示された。

肢体不自由者を教育する養護学校の各教科で特に配慮する事項には,「児童・生徒の身体の動きや意思の表出の状態に応じて,適切な補助用具や補助手段を工夫するとともに,コンピュータ等の情報機器などを有効に活用し,指導の効果を高めるようにすること。」が示されている。

 学習指導要領の指導計画の作成等に当たって配慮すべき事項の中に「各教科等の指導に当たっては,児童又は生徒がコンピュータや情報通信ネットワークなどの情報手段に慣れ親しみ,それを積極的に活用できるようにするための学習活動の充実に努めるとともに,視聴覚教材や教育機器などの教材・教具の適切な活用を図ること。なお,児童又は生徒の障害の状態や特性に即した教材・教具を創意工夫し,それらを活用して指導の効果を高めるようにすること。」が示されている。情報ネットワークなどの活用の重要性が示されている。

 盲学校,聾学校及び養護学校の学習指導要領には,「各教科」「道徳」「特別活動」の他に「養護・訓練」の指導がある。今回の改訂では,「養護・訓練」の名称が「自立活動」に変更された。「個々の児童又は生徒が自立を目指し,障害に基づく種々の困難を主体的に改善・克服するために必要な知識,技能,態度及び習慣を養い,もって心身の調和的発達の基盤を培う。」との目標が示されている。内容としては「意思の伝達」が「コミュニケーション」と名称が変更され,新しく「コミュニケーション手段の選択と活用に関すること。」「状況に応じたコミュニケーションに関すること。」などの項目が示された。これは,児童・生徒が,多様なコミュニケーション手段により,状況に応じた,主体的なコミュニケーションの指導の重要性を示している。文字や言葉だけでなく多様な表現手段の活用を視点にいれている。

 以上のように,新しい学習指導要領には,盲学校・聾学校・養護学校では,小学校・中学校以上にコンピュータ等の情報機器を活用し,情報化社会を豊かに生きることのできる力を養う指導の重要性が示されている。重複障害のある子どもたちの教育支援について,実践的な研究をすすめ,指導法を確立することが課題である。


 次へ →