インターネットの教育利用
−量から質への転換期を迎えて−
東京大学教育学研究科
市川 伸一

 コンピュータネットワークの先進国であるアメリカで,クリントン大統領が「2000年までに,全国のすべての図書館と教室をインターネットに接続する」という構想を打ち出したのは1996年1月であった。ヨーロッパ各国も,2000年から2002年を目途にすべての学校からインターネットが利用できるようにするという方針をあいついで発表した。我が国も,やや遅れをとったものの,2001年までにはすべての小・中・高校をインターネットに接続することとなっている。すでに接続されている学校でも,この間に端末の台数は増加し,ますます普及することになることは間違いない。
 こうしたインターネット利用の量的拡大はもちろん望ましい方向である。しかし,実際に利用できるようになって,子どもたちの学習にどのようなメリットがもたらされたかというと,けっして楽観視ばかりはできない。100校プロジェクトと並んで実験的なインターネット利用として有名な「こねっとプラン」の参加校に対して,昨年実施されたアンケートがある。「児童生徒の変化」という項目への回答を見ると,「パソコン等に関するスキルが向上した(61%:数字はその項目をあげた学校数の比率。以下同様)」と「多くの情報を簡単に入手できるようになった(56%)」は比較的高いが,これはいわば当たり前の結果である。「学習に対する意欲が向上した(25%)」となると,だいぶ低くなる。さらに,「情報の取捨選択ができるようになった(17%)」,「入手した情報から自分の意見を作れる(9%)」,「他の生徒と議論が活発化する(4%)」となると,がぜん低くなってしまうのである。
 コンピュータがはいれば,とにかく触るようになるから操作には慣れる。もの珍しさもあって,ただ聞いているだけの授業より,満足感も高まるし意欲も出てくる。しかし,学習そのものの質が上がり,子どもたちが望ましい力をつけるようになるかどうかは,また別の問題であることをあらためて考えさせる結果といえそうである。
 インターネットを使うことによって,学習の質がどのように高まるかは,インターネットそのものやそこにあるコンテンツで必然的に決まるわけではない。そのような課題状況の中でインターネットを利用するかということや,利用に伴う操作法以外の学習スキルの支援にかかっている。たとえば,「エネルギー問題」をテーマにするとすれば,単に知識を得ることだけを目標にするのではなく,自分の主張を明確にすることを課題にすれば,賛否両論の検討,論旨の組み立て,わかりやすい発表の仕方,批判に対する反論の仕方などが,活動目標としてはいってくる。また,これらが得意でない子どもたちに指導・援助を行うことも必要になってくる。
 どれだけ多くの子どもたちがインターネットを使えるようになったかという量的な普及から,子どもたちの学習がどのように変化し,それがその後の学習をどのように促進するかという質的な問題を重要視する時期にいよいよさしかかってきたように思う。操作面だけの問題であれば,大人になってからでもすぐに使えるようになれるだろう。また,小学生という時期に,あふれるような量の情報にアクセスすることが必要なことなのか。あるいは,WWWで不特定多数の人に向けた情報発信を行うことが必要なことなのか。こういった疑問に対して答えられるだけの実践を出していかなくてはならない。

 『インターネットを利用した授業実践事例集』も,はやくも第V集となった。
本年度は,量も増え,学校現場での活用がなされはじめてきているように思う。内容についても,一段と充実したものになったように思う。しかし,これも量的な増加を直ちに喜んでいるばかりではいけないだろう。こうした事例の検討を通じて,さらに質の高い実践が生み出されていくことが本書の最大のねらいである。
 例年と同様,「インターネット利用の意図」をはじめに掲げて,そもそもの教育的な目標はどこにあり,なぜインターネットを利用したのかという考えを述べていただいている。そうした意図がどれくらい実践において達成されるものなのかは,一つの事例だけではなかなか明らかにはならないし,それぞれの学校の条件によっても異なってくるだろう。インターネット先進校のそうした経験を寄せ合うことによって,2001年の本格的な普及までに,どのように学習の質を高められるかという指針やヒントが充実することが望まれる。そのための議論や検討の素材としてこの事例集を使っていただくことが,編集者,執筆者一同の願いである。