学校におけるインターネット導入から運用までの実際

(なぜ学校にネットワークが必要か)

北海道旭川凌雲高等学校   奥 村  稔
okumura@ryoun-hs.asahikawa.hokkaido.jp
1 はじめに
テクノロジーはこれまで、社会の構造を変革し、人々の考え方や行動の様式を転換させてきた。教育に携わる人間も同様で、これまでの枠からだけものごとを発想していてはいけない。新しいテクノロジーについては吟味し、その良いところは積極的に取り入れ、教育の改善に尽くさなくてはならない。
 学校のコンピュータ導入にあたっては、ネットワークが構築され、インターネット接続も当たり前とされる本格的活用の時代が目の前に迫ってきた。これは、世の中の情報化に伴う自然な流れと捉える必要があろう。校内のネットワーク化で学校の業務のやり方が変わり教師の発想が変わる。そしてインターネットの普及によって生徒が変わろうとし、教育の質が変わろうとしている。社会や教育を考える上でのパラダイムの転換が起こっているのである。
 本来教育では、いろいろな能力を持った人間が協力をしあって作業を進め、他の人の考え方に触れ、その良さを理解し、互いを認め合うことが重要であり、多用な価値観をそこで共有することが求められている。そのことを人間関係や社会との係わりの中で実現する社会的分散認知という考え方が、生涯をかけて自分を高めていくことへと動機づける。

2 何を求めるか
コンピュータが「道具」とはよく言われるようになったが、ネットワークは「環境」であり、その活用を考えることは文化や思想を語ることに近い。緩やかな捉え方の方が、具体的な活用方法を柔軟に発想することができるであろう。またそれらがそのまま教育的に有用というわけではなく、教師の働きかけによって子どもたちの興味関心を引き出す動機付けが出来てこそ本当に役立つ。子どもの自律の種を蒔くのはごんべいさんとしての教師である。教育活動の主役は、子どもであり、それを支える人間としての教師である。
ネットワークの教育利用を考えたとき、校務の処理に活用する場面、また教師の教材研究や生徒の学習活動に活用する場面という切り分け方があろう。しかし本稿では大まかに、学校内部の活用に目を向けることと、学校の枠を取り払ったところで、外部とのコミュニケーションの中で活用することに分けて論ずることにする。

(1)
 内側に眼を向けたネットワーク
ワープロは、単なる清書マシンからドキュメントプロセッサ、あるいはアイディアプロセッサとして発展的に活用されるべきである。しかし、ワープロの使い方が清書マシンとしての域を出るためには、その人のものを考えるスタイルが変わることが必要である。
同じようにコンピュータも、スタンドアローンとして個人のこれまでの業務を孤立的に支援してきた使い方から、ネットワークの中で分散強調的に活用されるためには、人々が仕事や問題を解決するスタイルを根本的に改革しなくてはならない。
 コンピュータをネットワーク化して利用することのメリットは次の点などである。
○データ管理の一元化
○リソース(ファイルやプリンタなどの周辺機器など)の共有
○コミュニケーション
○コラボレーション(協調的作業)
 子どもの学習活動は、その学年が独自に行なうもので、次年度へ学習成果が継承されることはほとんどなかった。ネットワークが学習活動を支援する場合、それらはすべてデジタルデータとして記録される。つまり学習成果がデータベースとして蓄積され、次の世代の利用へと引き継がれていくことが可能になる。子どもの側から、おとなが思いもよらない研究成果が発表される日が来るかもしれない。

(2) 外側に眼を向けたネットワーク
インターネットの教育利用においては主に、子どもたちのリサーチ、ディスカッション、コラボレーションという手法で進められてきた。各地の先進的な意識を持つ教師の実践により、誰もがすぐに始められるような素地は固まってきたのではないだろうか。
しかし、すべての学校がインターネットで接続される日は間近である。そのときに、あるコミュニケーションを持ちたいと考えたときに、いちいちその対象を探し出してネゴシエーションを最初から行なうのはあまりにも非効率的である。そこで11のネットワークのトラフィックス増加に対処するためには、3層構造を導入することが効率的である。つまり、各学校のコミュニケーションのために前もって、学校間のゲートキーパーとして構造的な学習環境を準備しておくのである。日常的には、さり気ない学校間交流や子どもたちの自発的な調査や討論が行なわれている。カリキュラムの中で決まったテーマでのコミュニケーションが必要とされたとき、そこでスペシャル・プロジェクトとして企画運用を行なうのである。

3 導入にあたって
学校の実情によっては、次のようなタイプに分けられる。
 それらをインターネットにも接続したい。
 本格利用を行なうために、ネットワーク化して端末を増やしたい。

 前者には商業や工業の学科を持ち、トップダウン的に導入整備を考えている学校、後者には普通科の学校で、草の根的、ボトムアップ的な導入を考えている学校が多いかもしれない。またあまり望ましいことではないが、正規に手続きを踏むかゲリラ的に進めるかで悩んでいる学校もあるかもしれない。
少なくとも、コンピュータを導入することやネットワークの構築が目的そのものになるのではなく、教育効果を目標として据え、それに相応しい導入を図らなくてはならない。その目標として次のような項目が考えられる。
(1)事務の効率化を図り、教育本来の時間を取り戻す
既存の業務の置き換えを考えるのではなく、教育業務のあり方そのものを問い直した効率化を指向する。その結果生み出された時間を、教育本来の時間に振り向ける。業務効率化に伴う時間的、経費的、人為的な負担と、教育的成果とのコスト計算が必要。
(2)学校や地域全体としての取り組み
コンピュータが得意な一部の教師先導の時代は終わり、社会が当然のようにコンピュータやネットワークを導入する今日、教育現場においても組織的なシステム導入・運用が求められている。学校のみならず保護者や地域社会の企業までもが、教育を開かれたものとして地域に取り戻すためにも情報教育に取り組んでいかなくてはならない。
(3)管理・メンテナンスへの適切なコスト配分
可能であるならば外部にメンテナンス要員を確保する。教師は通常業務の範囲での管理をすることが望ましい。学校の分掌としての情報システム部は、どこまでやれるか、またやるべきなのか。

(4)能力を拡張するメディアとしての認識
 コンピュータやネットワークを活用するためには、今までの枠組みの中から授業を発想していてもダメであり、授業の目的・目標を考えることから始め、その中でどのように使うかを考え、それがどのような授業になっていくのかという検討が大切である。生徒のみならず、教師の可能性を広げるメディアとして捉えるべきであろう。

ネットワークの構築は、いくら個人が正当性を叫んでみて回っても、学校全体の了解が得られなければ実現するものではない。学校全体の了解という時には、管理職や事務方の理解も必要であるが、なによりもユーザである職員一人一人の納得が必要である。一部の人間だけの利用では、ネットワーク本来の力は発揮できない。
了解を得るための提案の一例として、次のような流れを示す。その根底に「教育的コスト感覚」を忘れてはいけない。

○問題意識(学習活動や学校業務でこんなことをやりたいが、今のままではできない。)
○教育事業計画書(現状分析 → 仮説 → 提案詳細 → コスト計算 → スケジュール)
○プレゼンテーション(管理職の説得、職員一人一人への働きかけ。)
○うまくいかなければ、最初に戻る。(チャンスを伺いつづけることを忘れてはならない。)

4 管理・運用に向けて
 一言で管理・運用といっても、その内容はため息が出るほど広く深い。ネットワークが動き始めるまでも一苦労だが、ネットワークが動き始めたらもうしめたもの、という考えは持たないほうが良い。ここでは技術的な管理・運用ではなく、その基本的な考え方について具体的に何点か述べるにとどめる。
  1. ダイアルアップ接続が良いか、専用線接続が良いか。
  2. インターネットに接続されても、それほど使われないのならダイアルアップの方が安価であるが、ひとたび順調に使われだすと、すぐに専用線の方が安価になってしまう。また専用線接続の方がインターネットの可能性を充分堪能できる。もちろんそれは技術力があってのことだが、パートナーであるプロバイダの選択の仕方によってはそれも可能となるかもしれない。
     電子メールのアドレスは大量の発行には料金がかさむ。共用の電子メールアドレスでは、コミュニケーション本来の意味を持たなくなる。そこで自前のメールサーバを持ちUUCPでインターネットに接続することで、ユーザ管理の柔軟性や経済性が増すことも考えられる。

  3. ネットワークに関する校内組織
 とりあえずという形でネットワーク委員会が組織される場合が多いが、学校情報化に対する意識の希薄さや、他の業務との係わりの中で職務を全うすることは一般に難しい。学校が一つの方向にまとまって進むためには、分掌としての組織(例えば情報システム部)が必要であろう。学校内の情報の流れをスムーズにし、そのためのシステム構築を行う。情報を考えることで校務の処理の方法を提案し、変革していくのである(教育情報処理)。
 ネットワークは進化するものであるから、その方向性を見極めて計画的に整備をしたり、具体的活用の方向性も提示できなくてはならない。職員や生徒に向けての研修のあり方も、教育活動にどのようにネットワークを生かしていくかというビジョンによって決定される。
 牽引力としての情報システム部をサポートする形で委員会(例えばネットワーク委員会)が、学校の隅々までその情報化の息吹を伝えたり、エンドユーザの要求を的確に情報システム部に伝えたりすることが望ましい。

  1. Webの考え方、使い方
  2.  最近のWebには強力な検索サイトが数多く現われ、ポータルサイトと呼ばれるものさえ現れている。情報収集に際しては本当に便利になり、プラットフォームとしての役割は大きい。
     インターネットでは簡単に情報を発信できるといわれ、それがマスメディアから個人の手に渡った意義は大きい。ところがこのことは意外に難しく、情報教育の本質に係わっているといっても過言ではない。情報を公開するとはどんなことなのかを考え、自サイトをアクセスする人は何を求めているかに思いを馳せ、自分が欲しいと思う情報を自ら創造して公開するだけの気構えが必要であろう。
     Webにはこうした情報データベースとしての役割があるが、コラボレーションの場としての役割も見逃せない。ネットワークコミュニティにおける協調作業をWeb上に公開することで、多くの人間がその作業を共有できる。そのことで作業の効率と質を高めることができる。静的な情報を公開することよりも、動的な活用を図ることの方が、私たちの仕事に対する意識を変革するのには貢献するであろう。
     学校における個人情報保護の見地から、学校ホームページの運用も安易ではすまない状況になってきている。何でも一律に横並びというのも考えものだが、少なくとも学校としての見解はきちんとしたものにしておかなくてはならないだろう。

  3. ネットワーク上のモラル
 ネットワークが一般に普及しユーザが増えることで、そこでのモラルの問題が顕在化してくる。しかし注意深く観察すると、それは何もネットワーク上の特別なことではなく、現実の問題がそのまま映し出されているといってもよい。このことから、ネットワーク上のモラルはネットワーク上だけで議論されるのではなく、広く社会一般的な事象として検討されるべきである。
 現実のモラルの問題と同一視したときに、現代社会が求める規範を問い直す良い契機となるのではないだろうか。ネットワーク上のモラルの問題を特別視して扱うのは得策ではなく、モラルを指導する上での新しいモデルとして捉え、積極的に展開していく機会を私たちは得たと考えるべきであろう。

  1. セキュリティ

 外部と接続されるインターネットだからセキュリティが重要なのは論を待たない。インターネットのコミュニティにおいて、一人よがりな判断や行動は禁物である。校内のLANにおいても同様であり、個人情報が溢れている学校では、ネットワークのデザインから周到な準備が要求される。
 忘れてはならないことだが、ネットワーク以前の問題として、個人が持つコンピュータには子どもの個人情報が詰まっている場合が多い。このコンピュータが毎日家庭と職場を往復している。または無防備に職員室や準備室に置き去りにされている。このような状況がセキュリティ上、果たして許されることなのだろうか。ネットワークによって一元的に管理すべき情報、そしてそれを必要としない情報などと、明確な判断と管理は必要である。機械化という意味ではなく、意識の上での学校の情報化はやはり求められている。

5 まとめ
 これまで何度となく教育改革が行われ、その時々の世情を反映するお題目が私たちの頭上を通りすぎていった。言葉ではなるほどと理解していても、いざ具体的な行動として考えたときに私たちはどうしたら良いのかと首を捻ることが多かった。つまり教師は、従来の道具やメディアしか手元になく、これまでにない状況を目の前にして対処する術を持っていなかった。丸腰の教師に、今まで何ができたのか。しかしインターネットは、学校以外の仲間と連携を取り助け合い、世界の情報を瞬時のうちに手に入れ、自らの考えや実践を世の中に公開することなどを可能にした。やっと教師が教育の諸問題に対して本気で立ち向かうことができる舞台が整ったわけだが、幕が開こうとしている今、私たちの気構えは果たして本当に整っているのだろうか。
 トップダウンで降りてくることにとやかく不平を言っている時代は終わった。ボトムアップによって自らの環境を変革していくことが出来るメディアを手に入れた現在、私たち教師がこの可能性を力と見るのか厄介ものと見るのか。社会が、時代が教師を評価する時が来ている。