メディア統合の進展と教育

稚内北星学園短期大学
教授  丸山 不二夫

  1. はじめに ------ 歴史的回顧

  2. 1.1電子的メディアの歴史
    1.2メディアとしての教育


  3. メディア統合の展望
  4.  この間のインターネットの急速な普及は、日本の社会が本格的なネットワーク社会への転換を開始しつつあることを示している。「情報化」の進展が、コンピュータによる情報処理の単純な拡大ではなく、ネットワークによる情報の分散と共有の一層の発展を本質とするものであることは、今や、多くの人々の共通の認識となりつつある。
     インターネットの技術を企業内の情報化に応用する「イントラネット」の導入、実際の貨幣を用いずにネットワーク上で電子的な決済を可能とする「ディジタル・キャッシュ」の試験的な運用の開始、世界的な規模での通信・放送・コンテンツ業界の再編・統合の進行、こうした動向は、「情報化=ネットワーク化」によって、社会経済のシステム全体が、急速に変化しつつある事を示している。
     21世紀を特徴づけるであろう人類史上の、このような大きな変化を、「メディア統合」の発展として捉えることが出来る。すなわち、ネットワークの高速化・高帯域化が進む中で、これまで別々の歴史と技術と市場を持っていた、出版(書籍、雑誌、新聞)・放送(ラジオ、テレビ)・通信(電話、郵便)といった旧来の諸メディアと、インターネット(WWWe-mail他)などの新メディア、さらには、貨幣・金融システムまでもが、一つのものに融合してゆくと考えている。
     ネットワーク上で統合されたメディアは、近い将来、人間のあらゆる社会的な生活にとって、人間らしい生活を営む上で必要不可欠なツールとなるだけでなく、それがカバーする領域は、どんどん拡大を続けるだろう。それは、知的な情報の担い手になるだけでなく、諸企業・諸個人の経済活動の場となり、諸集団・諸個人の多様な表現活動の舞台となり、各人の娯楽の場ともなる。

  5. メディア統合を展望した教育の課題
  6. 3.1メディアと社会
     こうした変化は、様々な軋轢を伴いながら、これまでの社会的な枠組みのいくつかを解体し、組織と個人、個人と個人の関係のあり方を、ひいては国家や社会そのものの組織のあり方さえをも変革してゆく可能性を内包している。統合されたメディアは、それらの前身である、新聞とテレビと電話とインターネットというメディアが20世紀に与えた以上の影響を、21世紀に与えるのは確実である。
     現実に生起しつつある具体的な問題をあげてみよう。製作者の権利・経済的インセンティブの重視と、新しいメディア上での情報の自由な流通の促進とが矛盾しないような、著作権と知的所有権をめぐる問題。ネットワークに対する不正アクセスやデータ盗用、システム破壊に対する対応。プライバシーの保護とエレクトリック・コマースを可能とする個人の認証・セキュリティシステムの構築。行政情報の公開の問題。いわゆる「ワイセツ」情報等のコンテンツ規制と表現の自由の問題。通信の秘密の保持と放送の公共性の問題。グローバルな通信と放送をめぐる国際法と国内法の関係。メディアの強者と弱者の発生とその南北間・階層間・地域間での格差の拡大。新しいメディアへの対応を生涯学習として再教育する課題。
     これらは、ほんの一例である。新しいメディアの登場は、多くの新たな社会的な問題を生み出しつつある。重要なことは、ハードウェアについての知識や、数理的な情報科学に対する理解だけでは、言い換えれば、狭い意味での情報科学の専門性だけでは、これらの問題に十全に対応することは出来ないということである。
     同時に重要なことは、これらの「問題」への「対応」が、意識すると否とにかかわらず、個人と社会、個人と国家、国家と社会、民族と国家、個と共同性、民主主義的権利と国家の規制、自由と平等、私的な所有と共有といった、社会科学の基本的な諸カテゴリーに、新しい角度からの照明を投げかけるものにならざるを得ないということである。
     現代社会をどのように捉えるのか、その認識の枠組み自体の有効性が問われるだろう。必要とされるのは、新しい変化に、どのように従来の社会科学的知を「応用」するかということだけではない。むしろ、巨大な社会的な変動期に、柔軟に、かつ、創造的に行動するためには、トータルでリアルな社会認識が必要なのである。
     メディア統合の進行がもたらす「課題」の所在を的確に把握することは、課題に取り組む前提であり、多面的でダイナミックな社会認識の能力は、課題解決の第一歩を与えるだろう。こうした力が、例えば、新旧のメディア・ビジネスにとって、単に、理論的な認識能力としてではなく、きわめて実践的な能力として要求されていくことは確実である。また、一般の企業の内部でも、官公庁においても、教育の現場でも、新しいネットワーク・メディアの時代の、「新しい社会的常識」に対する需要は、ますます高まるであろう。
    3.2メディアと表現
     歴史的にいえば、双方向のネットワークのグローバルな成長と、それへの諸個人の自由なアクセスは、情報のダイナミックな共有を通じて、諸個人のグローバルで自由な協同と連合を可能とする。「メディア統合」は、こうした新しい公共性の技術的な基礎を提供するのである。こうした基礎の上で、諸個人は、多様な情報の網目を自ら能動的にたどり、多様なコミュニケーションを行い、獲得した情報を活用しながら積極的な情報発信を行う主体へと成長することが可能となる。
     20世紀のマスメディアの時代とは異なって、統合されたメディアの世界では、新しい情報発信の中核を、個人ないしは個人の自由な連合が担いうるのである。
     我々の外部にそびえ立つメディアではなく、我々自身の相互の関係性に他ならないネットワーク、我々がその構成要素であることが、それにとって必要不可欠であり、個々人の存在が、その内容の豊かさの源であるようなネットワークが可能となる。そこへと情報を「発信する主体」の成長が、「表現する個体」の成長に他ならないことにこそ、メディア統合が可能とする新しい公共性の特質の一つが認められる。少なくない個人が、統合されたメディアの上に、自己表現の場を見つけ出すであろう。
     電子的な通信・表現手段の拡大を大きな動因とする、表現行為の大衆化の進行は、コミュニケーションと表現そのものについての関心を高めている。科学論文から事業計画のプレゼンテーションまで、巨大なプロジェクトとしての映画制作から家庭のビデオクリップまで、あるいは、芸術としての芸術から商業的なコマーシャルにいたるまで、幅広い分野を通底して、よりよい表現を目指す「現代の修辞学」ともいえる領域がうまれつつある。もとより、そうした領域は、単なる「学」ではなく、多様な情報を感性的に統合する技術とスキルの体系であり、語の本来の意味で、「身体性」に根ざしたArtsなのである。 表現の領域では、豊かな感性と創造力とともに、訓練と習熟が必要なのである。我々は、こうした表現についての教育を、「現代のリベラル・アート」の中核の一つに位置づけようとしている。
     「表現」の問題は、決して「表現技術」だけの問題ではない。それは、表現すべき「自己」の問題であり、表現すべき「思想」の問題であり、あるいは、伝達されるべき「メッセージ」の問題でもある。芸術と表現、文化と思想に対して深い理解と関心を育てることは、新しいメディア上の「表現」の教育を行う上でも重要である。こうした観点は、「表現」行為を、私的ではない公共的な空間の定位と「他者」の措定、そこでのコミュニケーション行為として捉る見方に基づいている。
    3.3メディアとソフトウェア
    「メディアとソフトウェア」の領域で、本質的に重要なことは、将来にわたって揺るぎない学問体系の構築を目指すことではなく、不断の、そして、終わりない運動のただなかにある、情報科学とソフトウェア技術進歩と、それに起因する情報教育に対する社会的なニーズの変化に、速やかに、かつ、柔軟に対応することが可能な、研究と教育のシステムを作り上げることである。

    3.3.1高帯域でのメディア統合のソフトウェア技術 3.3.2高帯域でのネットワーク技術
  7. ネットワークが可能にする、生涯にわたる「新しい学校」

  8. 4.1全ての教育の基礎としてのネットワーク・リテラシー 4.2地域のメディア統合環境
    4.3ネットワーク上の生涯学習環境 4.4当面の課題
 5.おわりに

    メディア統合が、情報教育の課題を、その境界・関連領域に拡大するだけではなく、教育制度自身を、空間的にも時間的にも拡大すると考えるのは意味があるように思われる。