4.5.3 教育利用についての効果、課題
4.5.3 教育利用についての効果、課題
将来的にインターネットが、広域ネットワークにおける学習支援環境を 実現するとしても、その根底において必要とされるのは人間同志の信頼関係である。そういった人間関係をどう構築していくかが、これからの情報化社会に必要とされる教育であろう。この観点に立って本企画では、それ ぞれの高等学校でのインターネット活用の実践を基盤とし、それらが全国 的に交流していくことでどの様なコミュニケーションが展開されるかに焦点を当ててきた。
本企画の「ねらい」でも述べているように、インターネットが「インターラクティブなコミュニケーションを支援する環境」であるという立場
から、その総合的な活用方法を探り実践し、効果を検証する。ここではそれらの視点から成果と課題をまとめる。
《ねらい1》
インターネットを補助的な手段として全国の高校生がコミュニケーションを持とうとするときに、生徒たちの内面や行動にどんな変化
が生じて来るのだろうか。
限りない情報へのアクセスや、全く自由な個別での情報のやり取 りは、学校や社会においての新たな問題を生じさせる。ノートパソコンの学校への持ち込み。ネットワーク上での政治的、あるいはモラルの問題としての発言の扱い方。ネットワーク管理上のプライバ シーの問題など。しかしこれらは問題というよりも、新しいコミュニケーションの創造における、避けて通ることの出来ない当たり前の検討事項であるとも言える。
(1)メール(メーリングリスト)での生徒のコミュニケーションについて
電子メールが持つ特性と従来の手紙や電話が持つ特性とは、明らかに異なったものであることを、生徒達は実感したのではないだろうか。メーリングリストに参加する動機付けとしては、初期 の段階はやはり自分宛のメールがたくさん来ていることに尽きるようだ。来たものには返事を書かなくてはならない、というコ ミュニケーションの第1歩は、高校生としては持ち合わせている ように思われる。
学校内のメーリングリストに、不特定多数のメンバーが読むというのにもかかわらず、普段顔を付き合わせている時の個人的な関係を持ち込む生徒がいる。不特定のメンバーの中での関係を認識できないのだろうか。それとも、不特定の中に個人的な関係を持ち込むことで注目されようとしているのかは分からない。そのような生徒は、今度は全国の生徒とのメーリングリストでも同じふるまいをする。個別に注意をすると治まるので、一過性のものかもしれない。
メーリングリストそのものに慣れていない様子も見受けられた。どうしてもそれぞれが考えていることを発言してしまい、一つの話題に対してみんなで意見を出し合い、焦点を絞っていくという使い方はまだまだのようだ。話題は収束するどころか発散の様子さえ呈し始める。自分の意見をそれぞれが持つのに精一杯で、相手の考えを咀嚼して対する考えを述べるような、対話的な討論なりがなかなか出来ないようだ。また、メーリングリストを友達募集の掲示板と勘違いしており、すぐ個人的なメールのやり取りに走ってしまう状況がしばしば見られた。最初の指導が十分なものではなかったのかもしれないが、外に向かって行動や意識を広げていこうとするよりは、個人的な世界に収束していこうという現 代の生徒の行動様式の表れなのかもしれない。
特徴的な行動の事例として、社会問題について冷静さを欠いた形で提言した生徒に対して、他の生徒が「自分の考えを述べる」ことの大切さを説いてあげたりとか、本人の意を汲んでやる優しさだとかが伝わるやり取りもあった。
メールの練習の段階では、しりとり遊びをやり始める生徒もい た。何でも遊びに転化してしまう生徒の発想の柔軟さを見たような気がした。
見学旅行に行った生徒が作成した見学旅行記をWebで見た「八つ橋」の関係者から、メールを戴き興味深い交流を行った事例がある。来年度の見学旅行への取り組みが面白いものに なっていくかもしれない。
(2)ビデオ会議を使った生徒のコミュニケーションについて
現実のコミュニケーションの補助手段としてのインターネットであるが、インターネットの活用が頭にあるとどうしても仮想的 なコミュニケーションに偏りがちになる。Face to Faceのコミュ ニケーションと、Virtualなコミュニケーションはどの様な関係にあるべきであろうか。
本企画の初期段階は、北海道旭川凌雲高等学校・川崎市立川崎 総合科学高等学校・京都府立工業高等学校の3校によるビデオ会 議(CU-SeeMe)であった。始めての体験というインパクトもあったが、それにもまして、それ以後の3校における交流に対して大きな影響力があったものと考えられる。やはり顔見知りになるというのは大切なことで、明らかにコミュニケーションの質が濃くなる。後のメーリングリストでの交流を見ても、明らかにその効 果を見ることが出来る。実際にはさらに後のネットワーク・リー ダーズ・キャンプで顔を合わせたわけであるが、そこでは再会するという気持ちを強く持ったようだ。
ビデオ会議による交流は、現在のインターネットでは力が足りないことは明らかである。無理をして画面を見ながら「交流」という柱にしがみつくよりも、あっさりと「顔が見られる」程度で納得し、(近い将来の基盤整備に希望を持ちながらも)他の手段でコミュニケーションを充実させることを考えた方が現実的であるかもしれない。こう考えるとビデオ会議は改まって考えるよりも、トラフィックスの件でお叱りを受けるかもしれないが、「ちょっとやってみようか」という日常性を帯びてきてもいいのではないだろうか。
《ねらい2》
高校生という自律性が高まる時期にあって、メーリングリストの運
営などに係わり、生徒たちがどの様にして自主的・自律的な運営を
行っていくのだろうか。
「枠組みと道具建てさえ与えれば、生徒達は彼らなりに何かを始める」というのを仮説として持っていたのだが、それ程簡単なことではなかったようである。この初期状態のままでは、「何か行動する」ことさえも出来ず、「何を考えていいのか」さえ分からない状 態でなかったかと思う。方向性を与えることと、最初に走り出すためのきっかけを与えることまでは是非必要であろう。
本企画の立ち上げが大きくずれ込んだため、メーリングリストで のやり取りや、コアになる生徒の意識が不十分なままにネットワー ク・リーダーズ・キャンプを開催するに至った。またメーリングリストの立ち上げが年末年始や学年末の考査などに重なり、各校が順 次参加するなど足並みが揃わない状況もあった。
この企画の主旨に対する意識の差を吸収するためには、企画のWWWを立ち上げておいて、参加する教師や生徒は必ず眼を通して理解しておくようにするなどの徹底が必要であるとの指摘もあった。
WWW上でそれまでのメールを掲載しておくということも検討されたが、内容がプライベートであるものが多いため見送られた経緯もある。代案として、コアの生徒のメーリングリストの内容の公開も考えられたが、議論がなかなか煮詰まらず、ネットワーク・リーダー ズ・キャンプまでには間に合わなかった。また電子掲示板の活用もコア生徒に提案してはみたが、その有効的な方法の模索は時間的な制約から、やはり厳しいものがあった。
コアの生徒も含めて、一般生徒のメーリングリストでは話題の方向付けをしてくれそうな生徒も出現し始めている。メーリングリストに対する慣れもあるのだろうが、何とか意味のあるものに自分たちがしていかなくてはならない、という自覚の表れであると考えら
れる。ネットワーク・リーダーズ・キャンプに参加してからのコア生徒の変化は顕著であり、進んで一般生徒のメーリングリストに建設的な話題を投げかけている。また3年生は、自分たちが高校を卒業してからの立場を考え、本企画のサポートに回ることを自発的に考え始めている。インターネットが本企画のように全国的な交流を可能にしているのであるが、ネットワーク・リーダーズ・キャンプにおける討論参観者のような応援団が、いろいろな世代に渡って広がろうとしていることも現実となろうとしている。閉じていた学校から開かれた学校へと学校教育が変貌を遂げたときに、教育が求め
る生徒の自律性というものもまた違ったものに変質しているかもしれない。
《ねらい3》
学校という枠組みにとどまるにせよ、全国的な展開の中で行われるにせよ、学年制度による従来の横割りの交流から、新たに人間性を主軸においた人間関係の形成が期待できるのではないか。
後からメールのやり取りに参加してくる生徒達に対して、古参の生徒達はそれなりに面倒を見てあげようという気持ちを持ち始めている。ソフトウェアの使い方や新しい技術についての講習会などを求める姿勢も現れ始めた。自分たちで主催しようという気持ちが芽 生えてくれば素晴らしいことである。学年間だけではなく、いろいろな場面においても新しい関係が生まれそうである。
教師と生徒との関係は、ホームルーム担任として、あるいは教科担当、課外活動顧問などとしてのものがほとんどであり、学校の規律の上に立ったものにとどまっていることが多い。それに加えて、教師と生徒とのメール交換も一部には見られるようになって来てい る。両者の関係が好ましいものだからこそ始まったのかは分からないが、さらに進展した関係になっていくことには間違いがないものと思われる。学校教育での新しいコミュニケーションの形ではないだろうか。教室内で孤立しがちであった生徒が電子メールを通して教師と打ち解けあい、生徒の知られざる内面を見ることが出来たという教師を身近に知っている。
新しい人間関係の形成は学校内にとどまらない。メーリングリストでの交流が進むと、生徒の団結の意識から自発
的にWWWを立ち上げたいとの声が上がってきた。学校内での仲間意
識から、全国的な規模での共有感覚というものが生まれてくるのも時間の問題かもしれない。また先に述べたコア生徒の卒業後への姿
勢など、いろいろな枠組みを越えたところで人間関係を求め始めている。ネットワーク・リーダーズ・キャンプの参加生徒の中で、後藤先生の講演を聴いた後の感想の中で、「そうか、ポインタの思想
か。とりあえず、人脈を作ろう(^^;」と書いていたことが印象に残っている。
《ねらい4》
周囲の教師などからの支援が必要であるとしたら、どの様な場面に
おいて、どの程度の働きかけが適当であるのか。
メーリングリストでのやり取りの中で、誤りの揚げ足取りや、不幸の手紙めいた悪質な冗談なども、ごく一部ではあるが見受けられ た。このような場合の生徒の対応であるが、精神的に傷ついてインターネット・コミュニティから離れていく者もあるかもしれない。 こんな時には周囲にカウンセリングするところがあり、適切な助言を与えてやれることが望ましい。本事例の場合にはサポートのために教員がそばにいたので、即時に適切な対応が可能であった。
学校は時代の流れに従って、コンピューティングに対して高機能のマシンを期待している。高機能であれば何かが出来ると信じているのである。現実には操作方法の未熟さや、コンピュータやマルチメディアと教育との関係についてのビジョンの不足から、なかなか 前に踏み出せないままじたばたしている。
教科指導等に直接コンピュータを使おうという視点も重要ではあるが、もっと高く広い視点から教育への活用を考えることも必要である。そこでネットワークでの活用が重要であるということであれば、コンピューティング環境へ期待するものも明らかに変化してく
る。何を求めているかにもよるが、インターネットによるコミュニケーションにおいては、高機能のマシンが必要なのではなく、高帯域で安価な専用回線や身近に並ぶ端末の数などが重要な要素であることを銘記しておこう。現場からのこうした声は、直接生徒への支援にはならないまでも、今後に向けての大きな力となろう。
参加した教師や生徒の、企画の主旨に対する理解の相違については先にも述べた。ネットワーク・リーダーズ・キャンプについても同様で、もしかしたら誰もがこのキャンプの意味を、本当には理解できていなかったのかもしれない。キャンプの日程を消化するに従って、参加者は互いに打ち解け、本来のコミュニケーションを取り始めた。生徒については公式日程 はもちろんのこと、プライベートな交流も相当に意味深いものであったに違いない。惜しまれるのは引率した教師の方で、生徒ののびのびした活躍に驚いているうちに自分たちの交流が出来ていなかったように思われる。これは多分に日程的なものもあり、今後ゆとりのある日程と準備が求められる。今回は幸いにも、応援団として大変多くの方々にご協力やご援助を頂くことが出来た。生徒や教師と共々、じっくりと交流の時間を持つことがあっても良かったのではないかと残念でならない。
生徒の「活動状況の報告」では主旨を徹底できていなかったせいもあり、プレゼンテーションの方法にばらつきがあった。せっかくの情報基盤センターでの発表でもあるのだから、プレゼン機器を有効に活用した経験を生徒に与えることが出来ても良かったのではな いかと考えている。内容についても、事前に各校が打ち合わせを綿密に行うことで、少なくても今後に向けての取り組みの方針めいたものが浮かび上がってくるのではないだろうか。
教師間の意識においても大きなインパクトがあった。本企画の実現に向けては、全国に散らばる教師が一つのチームとして協調作業を行った。また、参加した者も全国各地の生徒であり、これまでの全国的な行事や会議などでは、他校の生徒を直接他の学校の教師が
指導することはほとんどあり得なかった。つまり本企画は、学校の枠組みが完全に取り去られた、全国レベルの開かれた環境で行われたのである。新しい人間関係の構築については先の項目で述べてはいるが、ここで改めて述べておきたい。今後のあり方として、地区
ごとに同じようなネットワーク・リダーズ・キャンプを開催し、もっと全国規模でMLの運用意識を高めさせていく必要があるという提言である。また、卒業生をOBとして継続してプロジェクトに参加できる方向での検討を求める声もあった。さらにせっかく世界共通基盤としてのインターネットであるので、外国の学生ともこの
ようなキャンプを企画してみるのも面白いであろう。
3 おわりに
テクノロジーは、効率性だけではなく、柔軟性をも提供するものである。テクノロジーが教育に対してもっとも貢献することは、コラボレーション(共同作業)を可能にすることである。テクノロジーのおかげで生徒が孤独になるのではなく、例えばコンピュータによるコミュニケーション・ネットワークによって共同学習が可能になり、生徒や教師の関係がある意味で民主的なものに変質していくであろう。
今の私達は、端末の数や回線の料金など、インターネットを活用するに当たっての環境整備のことで頭が一杯の節がある。こういった問題はいつの世の中でも、新しい技術が一般的になるまでにはいつもつきまとうものである。そこで、このような問題はいつしか時間が解決することと割り切って考えてみることにしよう。つまり、私達の回りにはインターネット 端末が充分な数だけ自然に置かれ、十分に太い回線もただ同然になって引かれている環境を想像するのである。近い将来であって欲しいこのイメー ジは、私達教師の新しい教育環境への想像力をかき立て、豊かなビジョンを創出させはしないだろうか。今、教師の真の力量が問われている。
私達は生徒に生きる夢を与える仕事をしていたはずではないだろうか。
環境に問題ありと提起して現実を変えていく努力も必要である。加えて、今やれることを生徒と共に考えて行きたい。