新100校プロジェクト自主企画報告(平成10年3月3日)

青い目の人形プロジェクト

横浜市立本町小学校 教諭 出口和生


1 はじめに

 このプロジェクトは,一言で言うと

「全国に残る青い目の人形をインターネットでつなぎ世界平和を考えよう!」

というものです。しかし,青い目の人形(次項にて詳述)自体が全国で約300体しかなく,しかもその中で現在インターネット接続がされているところにあるものは,ほんの数体に過ぎません。したがって,ここで報告するものは,数年がかりのプロジェクトのスタートにあたるものです。本自主企画が契機となり,数年後に全国の青い目の人形保存校が中心となって「インターネット上で世界平和をアピールする運動」へと発展していくことを願っています。


2 青い目の人形について

 「青い目の人形」とは,昭和2年にギューリック1世が日米友好のために働きかけ,アメリカ合衆国から日本の小学校などに贈られた人形のことをいいます。また,渋沢栄一を中心として答礼人形と呼ばれる市松人形58体がアメリカに贈られました。しかし,当時は「日米親善の象徴」だった人形が,太平洋戦争のころには「敵国の人形」として,かなりの数が処分されてしまいました。約12000体が贈られたのに,現存数は約300体ほどしか確認されていません。

 終戦後,昭和の終わりまでの間に,隠されていた人形たちが発見されるたびに,NHKテレビで放映されたり,武田英子さんの書籍が発行されたりして,この「青い目の人形」のことが何度かクローズアップされてきました。しかし,一時的なブームとなることはあっても人々の記憶からは忘れ去られた存在となりつつあります。

 現在でも,ギューリック3世(1世の孫)が中心となって「新・青い目の人形」を贈る活動を続けたり,武田英子さんも調査活動を続けられています。また,平成9年になって,北海道で新たに発見されたという情報がありましたが,かつての木造校舎が鉄筋コンクリートに改築され尽くしている現在,新たな人形の発見は望めないようです。「青い目の人形」は「平和」を考える意味でも貴重な資料であり,その数奇な運命と歴史的事実を全国のより多くの小学生に伝えることができれば思います。

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3 インターネットを活用した活動

 (1)青い目の人形ページ・リンク網の整備

 (2)青い目の人形メーリングリストの設立

 (3)全国「青い目の人形集会」に向けて

 こうした子どもたちの声を受けて,全国で3月3日に「青い目の人形の時間」をもつことができないだろうかと考えました。平成10年の段階では,インターネット上で連絡の取れる人形保存施設は12あまりですから,全国規模というわけにはいきませんでしたが,いくつかの施設で3月3日前後の活動をインターネット上で公開しようとしています。

 その中の一つとして,神奈川県横浜市立本町小学校と山形県平田町立南平田小学校との間でテレビ会議システムを用いた交流が実現しました。双方の青い目の人形を紹介しあい大切な宝物であることを確認するとともに,日本中にある青い目の人形を結んで平和について考えていこうとする気持ちが高まってきました。

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4 新たなスタート

 1年間という本自主企画の中で何ができたか振り返ると,小さな歩みしかしていないようにも思えます。しかし,平成8年には2校であったリンク網が12校にまで増え,メーリングリストで連絡が取り合えるようになったことや,その発展としてテレビ会議システムを活用した交流を行うことができたことは大きな一歩と言うことができます。また,インターネット以外の部分では,社会科や道徳の授業の中で「青い目の人形」を取り上げる学校が増えたこと,「横浜人形の家」と連絡を取り情報交換ができたこと,各地で「青い目の人形」の所在を確認する活動が広がっていることなど大きな成果をあげることができました。

 本自主企画は,この報告書をもって終了することとなります。しかし,初めにも述べたとおり,数年かかりのプロジェクトがスタートしたところでもあります。3年後の2001年に全ての学校がインターネット接続されたとき,300余体の青い目の人形がインターネット上で集まれる日が来ることを夢見て,これからも活動は継続していきたいと思います。


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出口和生(kazuo@yokohama-exit.com)