2001年 8月友情人形サイトへデータ提供

北海道八雲町立八雲小学校


八雲小学校人形ページは,2001年4月のページ制作者異動に伴い,閉鎖されました。以下のデータは,ページ制作者のご了承を得て,本サイト内に移動したものです。


青い目の人形(元勤務先北海道八雲町立八雲小学校保管の人形です)

鏡 晃 dash@host.or.jp (個人のメールアドレスです。2001年4月1日より勤務先がかわりました。)

昭和2年,日米両国の親善を願い,アメリカ合衆国の子どもたちの友情をこめて,およそ1万2千体の人形が日本の子どもたちに贈られました。「青い目の人形」は小学校や幼稚園に迎えられました。そのうちの1体が,八雲小学校の校長室に保管されています。顔の表情から「ジェヌウィ社」製のようです。




アメリカからの友情人形(名前は不明)


校長室に保管されている「青い目の人形」は,シドニー・ルイス・ギュリック博士の考えた「人形計画」により,アメリカ合衆国から寄贈されたものです。1927年,日本にやってきました。

ギュリック博士は,「平和と友情の精神」を次代に向けて育てていくためには,子どもの世代からの国際交流が必要と考えました。

「世界の平和は子どもから」の理念を掲げ,日本へ友好の手をさしのばそうとしたのです。日本では財界の長老であった渋沢栄一氏が中心になって尽力しました。文部省も協力しました。

人形計画は,日米両国の子どもたちの友情を育て,親善の芽生えを願うものでしたが,その背後には,日米関係を好転させ排日問題の危機を防ぎとめたいとの,民間有志の人々の願いがありました。

人形計画には全米の教会や日曜学校,公・私立学校,各種青少年団やPTA連合会,ボランティアなど,およそ260万人が協力しました。また,母国への思いを込めて,日本人移民も人形を贈りました。

青い目の人形の返礼として,日本からはアメリカ合衆国へ58体の人形が送られました。このうちの一体「ミス北海道」と名づけられた返礼の人形は,アイオワ州ダベンポート市ダベンポート美術館に保管されているようです。

昭和17年(戦時中)全国各地の校長会で,人形の処分司令がいい渡されました。北海道の渡島地区も例外ではなく,昭和18年頃,山崎国民学校(現在の山崎小学校)の「青い目の人形」が焼かれたりして,処分されたようです。臼尻国民学校では,当時の学校長が「校長自身で焼却した」と学校に報告し,公宅の屋根裏に保管したそうです。現在は,茅部郡臼尻小学校の校長室に保存されています。

<時代背景>
1920年代のアメリカでは,日本人移民への排斥運動がひろがり,日系の人々は苦難の中にありました。日本人のアメリカへの移民は明治元年からはじまりました。生活の困窮から活路を求めて,人々はアメリカへ渡ったのです。1日1ドルの低賃金でもよく働く日本人労働者への反感,白人に根強い人種的蔑視,アメリカ市民社会に融け込まない日本人への批判など,さまざまな原因から反日感情が高まり,カリフォルニア州議会に排日法案が上程され通過するほどでした。

<余談>
アメリカ人形1体3ドル,日本人形1体150ドル。当時の小学校教員の月給が40円。
返礼人形のための一銭醵金(いっせんきょきん)は北海道1608円で全国で一番高額。(東京1420円,大阪1073円…)


<北海道に残る「青い目の人形」>
人形の名前 保管場所 所在地
不明 八雲小学校 山越郡八雲町住初町140
ボニー 豊水小学校 札幌市
ファンニー・ピオ 時計台記念館 札幌市中央区北1西2
ペティ・ジェーン・ローズ 双葉幼稚園 帯広市東4条南10
不明 北海道教育大学付属函館中学校 函館市美原3丁目
メリー 美唄市郷土資料館 美唄市西2条南1
ジェンナー 稚内中央小学校 稚内市宝来通
エリザベス・アン 弁華別小学校 石狩郡当別町字弁華別243
不明 仏教修練道場 枝幸郡浜頓別緑ヶ丘
不明 三和小学校 上川郡和寒町字三和412
メリー 臼尻小学校 茅部郡茅部町字臼尻595
不明 知内町郷土資料館 上磯郡知内町字重内21-1
ヘンドレー 日高小学校 沙流郡日高町字日高254
バーバラ 平取小学校 沙流郡平取町宮本
ペティ・ジェーン 美国小学校 積丹郡積丹町大字美国町字大沢214
ルイーズ・アルコット 太櫓小学校 瀬棚郡北檜山町字太櫓
不明 南幌小学校 空知郡南幌町南14線西9
カーラル 天塩郷土資料館 天塩郡天塩町海岸通5
不明 角田小学校 夕張郡栗山町角田17-3
不明 白人小学校 中川郡幕別町札内青葉町185


引用・参考文献 武田英子編著『青い目の人形』山口書店,1985


「青い目の人形」リンク校


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