2.テーマ「特殊教育におけるインターネットの有効利用」の実施

2.1 計画立案

 特殊教育諸学校等に学ぶ心身に障害を持つ児童生徒にとって,パーソナルコンピュータをはじめとするハイ・テクノロジーによる機器群は,その障害故の機能上,あるいは学習展開上の不利を補う可能性を持つ機器としてその活用に内外からの注目が集まっている. とりわけ,インターネットに代表される広域ネットワークの発展は,どうしても移動範囲や交友範囲が限定されがちな障害者にとって,画期的にその世界を広げ,新たな形態の社会参加につながるものとして期待されている.

 こうした障害者自身や福祉関係者等からの熱い要請や期待に応える形で様々な福祉ネットワーク等が構築され,活発に利用されている.しかしその一方,技術的な支援や情報が得にくい立場の障害者にとっては,現在のパソコンがまだ十分に障害者にとって使いやすいものとして完成されたものではないことや,パソコンやネットワーク利用には制度面,金銭面,技術面などいくつもの壁が存在する.

 そして,こうした社会人となった後の障害児のライフステージを展望し,よりよいQOL(Quality of life:生活の質の向上)のために適切な準備教育や人格形成を行うべき障害児の学校教育においてさえ,パソコン利用や情報活用についての教育が十分に共通理解され,行き渡っているとはとても言えない状況にある.その主な理由として考えられることは,前述のように現在市販されている多くのパソコンが,必ずしも障害児が使う上で必要な配慮がなされずにきたことと,もう一つには従来の特殊教育の教育内容にこうした情報教育という観点が持たれずにきたことが挙げられる.

 パソコンの機能と操作性の問題については,アメリカのアクセシビリティ法案などに端を発して我が国でも通産省が障害者の使用を前提としたアクセシビリティ指針を示している.それらの結果,最近発表されたWindows95などのOSには最初からユーザー設定として入出力機能をある程度カスタマイズできる機能が加わってきた.現状ではまだそれらの機能を生かしたソフトウェアの整備が進んでいないため,一挙に問題は解決していないが,今後の操作面での改善の可能性は高まってきたと言えよう.

 もう一点の教育内容としての問題については,まず我が国の特殊教育が抱える特徴的な状況にふれておく必要がある.それは,一般に「特殊教育」として概括的に語られているが,その内容については障害の種別ごと,その程度ごとに歴史も背景も,教育方法そのものも大きく異なっているということである.誤解のないように断っておくと,特殊教育という用語そのものはアメリカ等で言うところのスペシャル・エデュケーションを直訳したものであって,特殊な(あるいは例外的な)子どもたちとして障害児をとらえ,それに対する学校教育外の教育と言うことではなく,あくまで特別な教育課程と方法による普通教育の一形態のことを指す.すべての子どもたちはあまねく普通教育を受ける権利を持ち,保護者や社会は彼らが教育を受けられるようにする義務がある.このように特殊教育は一般に誤解されているように普通教育の対立概念としてあるのではない(ちなみに普通教育の対立概念は職業教育などの「専門教育」である).1981年の国際障害者年以降,より社会の中で明確になってきつつあるノーマライゼーションという概念を持ち出すまでもなく,障害児もすべての子どもたちと同じく21世紀を担って生きていく貴重な人格の一つである.

 その障害をもつ子どもたちのよりよい社会参加のために,各障害の種別や程度に応じてこれまでさまざまな教育実践が行われてきたが,その教育実践はその時代の障害者観,教育観に沿って大きく変化してきた.初期には障害者だけの閉鎖的な社会への参加を目指すような考え方が教育の中心という時代もあった.その後も教育より適応訓練的な内容が教育課題の中心と考えられ,学校教育が日常的な生活を中心とした活動に限定されていたり職業実習的なものに偏っていたりする時期が続いた.そうした現実的な対応を重視した教育観の中では,パソコンやネットワークと言った情報教育分野についてはなじみにくく,これまで十分な位置づけが確立したとは言えなかった.

 ところが,最近のパソコンの機能の充実や多くの先進的な試みが徐々に評価され,障害児教育においても,障害種別によりその趣旨・目的に違いはあるものの,積極的な情報教育が取り入れられつつある.それも当初はパソコンをアクセシビリティ機器,あるいは教具の一つとしてスタンドアロンで利用する形態が中心であったが,近年急速にネットワークの教育的な意味が注目されるようになってきた.

 たとえば感覚機能の障害によりコミュニケーションの上でハンディキャップをもつ視覚障害教育や聴覚障害教育では,長い歴史の中で,その障害の特性に配慮しつつ行う一般教科・領域の指導に加えて,障害による不利を補うための点字や手話等のコミュニケーション確立の方策を身につけることに力が注がれてきた.しかし,こうした伝統的な手法に加えて,ディスプレイ等の文字情報を音声で読み上げたり,触覚で読みとるピンディスプレイの開発などにより急速にパソコンがこれらコミュニケーションを支援する機器として取り入れられるようになってきた.

 また身体機能に障害を持つ肢体不自由教育においても,話せない,鉛筆がもてないと言った重度な機能上の障害を持つ場合でも,さまざまな入力に関するアクセシビリティ機器を利用することによって,自力によるコミュニケーションや自己表現が初めて可能になってきた.これらは肢体不自由児のすべての教科・領域の指導に多大な影響を与えている. 継続的な医療対応を必要とする病気療養児のための病弱教育では,まさしく移動が困難であり,外出できないことによる社会経験の制限を補うための一つの手段としてパソコンやネットワークの利用が有効となるのではないだろうか.

 これらの各障害種別では,機能障害等による移動の困難や感覚機能の障害による情報収集上の不利によって生じやすい社会経験の乏しさを補う意味でも,積極的なネットワークの利用が求められている.

 一方,特殊教育の中でも対象児の数では圧倒的に多い知的あるいは情緒的な障害を持つ子どもたちへの精神薄弱教育では,多分に個々の児童生徒の障害の状態や教育ニーズによって差はあるものの,新しい社会参加形態として,ネットワークを利用した自己表現や文化的活動における積極的な利用が期待されている.従来の経験主義教育の中で実際に体験することがなにより大切と考えられ,実際にその認知能力の未発達によって自ら体験した範囲の理解水準にとどまっていることが多かった知的障害児にとって,抽象的理解力をある程度必要とするネットワークなどの利用の意義について疑問視する声もあるが,今後の社会・文化状況が明らかにマルチメディア化,広域ネットワーク化していくことがわかっている以上,知的障害児も含めたどの障害児においても社会参加・交流や意思表明の機会として広域ネットワークの「教育的意義」について研究を進める必要に迫られている.

 さて,こうした障害児教育の質的改善の気運が高まった中で,急速に着目され,社会現象のようになってきたのが,「インターネット」である.

障害児にとって,従来の文字情報だけが転送されるパソコン通信ではどうしても理解しにくかったり,操作性の上で困難があった.しかし,インターネットのwwwのように,適切な画面構成を工夫し,リンクをうまく張ることによって,マウス等のポインティングデバイスの操作だけで画像や音声,動画までがたやすく見られると言うユーザーフレンドリーな環境は,障害児にもなじみやすく,かつ理解しやすいものと期待される.また,インターネットの持つ国際性や広域性が,障害児教育においてどのような効果を上げるうるのか検討が必要である.

 インターネットによりもたらされる仮想世界は,学校教育にとっても大きなインパクトをもつものであるが,それは障害児教育における,「社会参加」の上での可能性も高いのではないだろうか.なぜなら,インターネット上では,すべての参加者は人種,性別,障害の有無などを超えて平等であり,権利も保障され,一方で責任も課せられる.リアルタイムの関わりだけではどうしてもコミュニケーションの上で不利となりやすい障害児が積極的に自己の意思を表明し,関わっていくことためにはどのようにしていけばよいかについても検討する必要がある.

 そこで,本研究は,100校プロジェクトによってインターネットが導入された8校の特殊教育諸学校を中心に,今後の広域ネットワーク利用に伴って各学校で生じる課題を洗い出すとともに,障害児教育におけるネットワーク利用の可能性を追求することを狙って企画された.

なお,本利用企画の計画立案および運用,結果分析については下記の特殊教育専門家による協力のもとのに実施した。

・伊藤 守  氏 (東京都立光明養護学校、教諭)2.2 実施

2.2.1 実施概要

8校のインターネット導入校は,障害種別も異なり,地域も全国にわたっている.したがって利用企画を講じる上で共通項があまりに見い出しにくく,ややもすると同一障害種別ごとの狭い交流で終わってしまいやすい.また,機器導入にあたって,アクセシビリティに関わる特殊な機器を必要とする場合もあって,導入そのものも大幅に年度内に食い込むケースも見られた.

 そこで,各学校への訪問聞き取り調査結果と平成7年10月27日に開催された活用研究会において報告され,論議された課題をベースに特殊教育共同利用企画メーリングリストを立ち上げ,8校以外にも有識者,すでに広域ネットワークを利用している支援者などを徐々に加えて,積極的な議論を展開するとともに,課題解決を支援することによって8校の実践を直接・間接に援助できるようにと考えた.

 聞き取り調査や研修会で話題になった問題点を踏まえ,メーリングリストにおける検討課題としたのは,次の点である.

1)アクセシビリティのあり方

 2)コミュニケーションとプライバシー(特にホームページに児童生徒の顔写真を掲載   することについて)

 3)校内体制の現状と課題

 4)子どもの自主的な発信

 また,併せて各学校で取り入れてみては,という利用企画試案を次のように提案した. 1)学級日誌をメーリングリスト上に書き出す

2)子どもたちに学校内や周囲を取材させ,情報発信する

 3)子どもたちの自己紹介や夢を発信する

 4)いい店,いい所など,車椅子で行ける所など,子どもの経験を発信する

 5)ネットバザー

 これらの結果,当初8校と関係者等合わせて16名で出発したメーリングリストメンバーも,研究者,福祉関係者,労働関係者,先進校の教師などを加えて平成7年度末現在35名近くとなり,発言数も2ヶ月半で400を超えるほど毎日活発な意見交換がなされている.

 中でも話題が集中したのは前記の課題の内,校内体制,生徒のプライバシー,将来展望の3点であった.そこで,研究グループ側からフリーアンケートという形で,次のように回答を依頼した.

 Q1 担当になっての負担について

 Q2 それに対する学校側の配慮

Q3 児童生徒の顔写真等をホームページ等に掲載することの是非

 Q4 インターネットを使ってやりたいこと

 これらに対する回答や意見はアンケート実施前後にわたり多々あったが,一部をピックアップすると次の通りである.

 Q1 担当になっての負担について

A1 口では言い表せないほど・・

 A2 あまり負担にはなっていない.導入時は書類上のことで多忙であったが,メンテ    ナンスはアプリケーションの保守程度なので.

 Q2 それに対する学校側の配慮

A1 「ご苦労様」の一言

 A2 ほとんどない

Q3 児童生徒の顔写真等をホームページ等に掲載することの是非

A1 生徒自身の「自己決定」の問題であると思う.自分の意志で出したいというので    あれば尊重すべき.

A2 隠すべきことではないが,必要以上に公開すべきでない.

 Q4 インターネットを使ってやりたいこと

A1 国際交流をしたい

A2 授業研究

 A3 ホームページによる教材作成支援

 A4 子どもに世界を広げてほしい

 以上の議論の経過と方向性については,後にまとめて述べる.

これらの議論に加えて,技術的な課題と相互支援,最新情報の相互提供等が行われた. メーリングリストの活発な議論を踏まえて,これらをホームページ化し,メンバーが時系列に沿って発言を確認することができるようになった.

 なお8校の内,平成8年3月現在ホームページを立ち上げている学校は,次のとおりである.

・福島県立盲学校

・大阪市立聾学校

・兵庫県立神戸聾学校

 ・東京都立大田聾学校

・東京都立光明養護学校

 他に,筑波大学附属盲学校,福井大学教育学部附属養護学校が準備中である.

各学校は,自校の紹介とともに,児童生徒の発言や作品紹介などを掲載しており,ホームページを訪れた人たちの中から感想やメッセージを寄せてくれる人もあるという.

 【福島県立盲学校】のホームページでは,生徒の自発的な情報発信を大切にしており,自己紹介にとどまらずテレビドラマの「いえなき子」について自分で調べたデータや分析を紹介したりしている.その他,視覚障害の特徴や学校の様子などについて参照できるようにしている.ホームページに参加している個々の視覚障害児が,どのようにしてそれらの文章作成をしたのか,画像も含めて紹介があるとなお理解推進につながると思われる. 聾学校三校は相互にホームページにリンクを張り,きめ細かく連絡を取り合っている.とはいっても各校でホームページの作り方には個性があり,【大阪市立聾学校】の「バーチャル教室」というコーナーは本校の授業や近隣校,100校プロジェクト校との連携などを教科ごとのようにして紹介している.単なるメニューに比較して,良いアイデアである.

 【兵庫県立神戸聾学校】では日本語ページと,英語ページの両方を用意している.英語ページでは各学部の授業風景の画像があり,よりわかりやすくなっているが,日本語ページには子どもの肖像権を配慮して写真を掲載することを控えている.

 また,【東京都立大田聾学校】では三ツ葉祭という本校の学校祭を,ホームページ上で紹介している.

 中でも【東京都立光明養護学校】のホームページは,何人かの生徒の自発的な作品(絵や詩など)のコーナー,福祉や特殊教育関係ホームページへのリンクなど盛りだくさんな情報が掲載されている.さらにホームページ上で,同じくホームページを持っている肢体不自由養護学校であり,100校プロジェクト対象校ではないがメーリングリストメンバーである,佐賀県立金立(きんりゅう)養護学校との交流のコーナーが設置されている. これは,今後のインターネット経由の学校間交流の望ましい形態を示す例として評価に値する.生徒同士の活発なネット間交流が進んでおり,担当者の負担は大きいとは思うが今後の発展に期待したい.

 生徒の自発的なコーナーは,個々の生徒の顔写真とともに作品が紹介され,見るものにより共感を与える構成である.さらに肢体不自由児がどのようにして文章を入力しているかなどがその呼気スイッチを使用している状況の写真とともに表示され,誰にもわかりやすくできている.画像が扱えるといったインターネットの持つ機能が生かされている例といえる.

 このように各学校とも,現在のところ技術的な部分も含めていわば試行錯誤にあたる段階にある.障害種別を超え,さらには他の100校も含めて小・中・高校への情報発信を障害児が積極的に行っていくためには,今少し研究を進める時間が必要である.各校とも地域の小・中学校の100校プロジェクト参加校と交流を行っていたり,全国的な企画となっているたとえば酸性雨の研究などに参加はしているが,障害児の側からの積極的な働きかけをするには,まだ至っていない.

2.2.2 実施結果

 1) インターネット導入にあたっての学校体制について

 インターネットの導入,あるいはそれに先立つパソコンの導入に際し,各学校がどのように校内体制を整え,準備を進めて来たかという履歴は,今後こうした機器やシステムを導入する他の学校にとっての指針となると考えられる.

 各学校の担当教師からは,導入に際しての企画や書類手続き,導入後の機器のセットアップやメンテナンス等の労力,校内での研修や教材準備などの負担が過度に集中していることについて,悲鳴に近い声も聞かれた.

 パソコンをはじめとしたハイテク機器は,その導入にしても導入後のメンテナンスにしても,現時点ではある程度の専門知識が必要となる.従って,どうしても知識を有する一部の教員に負担が集中せざるを得ない現実がある.学校というか教員集団においては,個々の教師は自分なりの指導技術や知識は持っているものの,担当教科や自分の専門以外の分野にはどうしても消極的になる傾向があり,「手出し,口出しをしない」ことが暗黙の不文律になっている傾向がある.その結果,パソコン担当となった教師は往々にして孤立してしまうことになりがちである.一方で,パソコンや機械に強い,あるいは趣味であるということと,それを子どもの教育に生かすための思想や知識・技術を持っているかということは必ずしも一致していないので,自分の主義主張や個人的趣味を満足させるためだけに動くパソコン担当も皆無ではない.そこに,新技術に対する不安やねたみも加わって「パソコンはおたくの世界である.」とか「好きな連中に勝手にやらせておけばよい.」といった冷ややかな空気も生まれてくる場合がある.

 こうした反面,パソコンやネットワークの運営に関してはいろいろな考え方や利害が生まれるため,あまりに多くの教員が関わると,かえって統制がとれなくなったり,パソコン教室がワープロ事務室になったりゲームセンターと化してしまうような本末転倒な事態が生ずることになる.

 そこで,各学校において,どのような校内体制を保ち,一部の教員に負担が集中しないようにするかは,今後の大きな研究課題といえる.メーリングリストの討論の中でも,積極的にやろうとすればするほど膨大な負担を抱えているとする報告が相次いだ.それに対する学校側(管理職や他の教員集団)の反応も,声はかけてくれても具体的な援助の方策が見られた例は少ない.メーリングリストに参加しているメンバーは,学校の教員ばかりではないため,こうした状況に対して,いろいろな角度からの意見が寄せられた.

 「もっと校内で,他の先生方に声をかけたり,強引にでも役割分担を振ってみては.」という意見もあったが,今の学校現場の状況からは,それだけの対応では十分とはいえない.校内でもよほどの共通理解がないとますます担当が浮き上がってしまう結果につながりかねない.

 別の角度からは,「何でも教員が背負い込むことそのものが問題である.」との指摘があった.任せられるところは外部の業者なり専門家に任せ,教員は教育に関する部分に集中できるようにすべきという意見である.これは全く正論である.しかし,今の学校教育にはすべて「教諭」と行った単一の業種しかおかれていないのが現実であり,それなればこそ教育の平等性が保たれてきたという主張もあるくらいである.なかなか外部の人間を受け入れる素地が学校にあるとは思えず,校内に複数の職種をおくことや教科以外の専門性を受け入れることにはあまり開かれているとはいえない.

 とはいえ,外国語教師や複数担当教員配置,通級指導など,ようやく教師の専門分化や多様な教育形態についても取り入れられ始めたところでもあり,今後は情報教育分野でもなんらかの専門性の尊重や外部機関の支援を受け入れる体制が整ってくることを期待したい.

 たとえて言えば,養護・訓練担当教員が教員定数配置上加配の形となり,各学校でその専門性を生かして横断的に教育を支えていることを参考にすれば,情報教育担当教員を学級担当等からはずした形で配置し,全校で展開される情報教育を技術的,内容的に支援するような立場として確立していくことが今後考えられる.これらの形態は,神奈川県において,文部省の機器利用研究指定校の委託研究を行う際に,加配された教員を情報教育のフリーアドバイザーとして側面的支援に専門分化して利用した例があり,確かに大きな成果を上げている.

 さて,各学校の中でも,導入等について業者等に全面的に導入やセットアップを任せることができた場合においては,さほど極端な負担ではなかったという意見もあった.今回の100校プロジェクトに限って言えば,それぞれ専門業者が技術的な負担は肩代わりしているはずである.しかし,障害に応じてどのように工夫をするかということや,さまざまなアクセシビリティ機器を組み合わせることは,一般の業者に期待しても無理なことであり,この部分については福祉,教育の枠を超えて何らかの外部支援センターのようなものが必要である.具体的には,リハビリテーション工学のノウハウを持ったリハビリテーションセンターや就労援助センター,あるいは教育工学や情報教育部門を持つ特殊教育センターなどが身近にあり,気軽に利用できることなどが緊急課題として求められよう.

 こうした外部機関の整備と合わせて校内の体制づくりも大きな課題である.保守的な雰囲気の濃い学校教育においては,管理職の理解と積極的な支援が欠かせない要素である. また,教員間の共通理解も大きな要素であるが,そのためには具体的な子どもたちの笑顔や変化を絶えず紹介しながら理解を求めていく必要もある.技術や管理といったしがらみから担当教員を解放し,情報教育の内容を深めていくことに専念できるようにしたいというのが,メーリングリスト参加者の共通の願いと言って良いであろう.

 2) 児童生徒の顔写真をホームページに掲載することについて

 平成7年10月の特殊教育諸学校の研修会において,すでにホームページを立ち上げていたいくつかの学校間で児童生徒の顔写真をホームページに掲載するかどうかという点について論争が起こった.子どもの肖像権を尊重し,全世界の不特定多数の人々が見る可能性のあるホームページには,むやみに子どもの個人情報や顔写真を公開するべきでないとする意見と,児童生徒自身の自分を主張したい,ありのままの自分自身に対して不特定多数の人々から関わってほしいという「自己決定」の問題として尊重すべきである,という両方の意見があった.

 確かに,かつて障害児は隠すべきものとして扱われた時代があった.その後,障害児の社会参加は進み,誤解や偏見はずいぶん改善されてきたが,まだ我が国ではなんのこだわりもなく受け入れられることばかりではないのが現状である.

 また,全国的な進展を見せているのが,「個人情報保護」の考え方である.これらは,「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」などによって急速に高まってきた子どもたちの人権に対する意識の高まりを踏まえ,個々の子どもも一人の人格として尊重し,その固有の情報がみだりに公開されたり,その結果本人の不利となるようなことがあってはならないと言うことである.その基本的な考え方は,「本人の了解のないところで,本人固有の情報が,不特定の相手に対して公開され,本人もしくはその親権者等が不利,あるいは不快を感ずることがあってはならない.」と言うところにある.インターネットのように全く相手が特定できないところに特徴のあるメディア上で個人の固有の情報が流出することがあってはならないのは当然のことといえる.ましてや障害児が,(少なくても我が国では)必ずしも偏見や差別的な感情から自由になり得ていないとすれば,その個人の顔写真や障害の状況などが,ホームページに記載されることについては慎重を期して当然という考え方も成り立つ.保護者が良いといえばそれで良いのだということではない. これまで,学校という組織は,成績や指導要録と言った秘密書類を数多く抱え,内申書など時には本人すら知り得ない内容の書類まで存在しているにも関わらず,安易に保護者から家庭状況を聞き出したり,研究紀要などに簡単に個人が特定できるような記述をしてしまうなど,個人情報保護についてはかなりずさんな扱いをしてきた嫌いがある.これまではインターネットも社会の中の一部の人間しか見る機会もないので,大きな問題にならずにすんできたわけだが,インターネットというメディアの広域性や社会への影響を考慮し,安易な情報の流出は厳に慎むべきであり,そのための倫理も含めたきちんとした展望と共通理解が必要である.

 さて,こうした考え方を踏まえた上で,「インターネットとは(子ども,あるいは教育にとって)何なのか.」ということをもう一度考えてみる必要がある.

いったい,画像情報や音声,動画と言ったマルチメディア情報が扱えるというメリットは何のためなのか.顔も出さない,自分を出さないと言うのでは,ハンドル名のような匿名で文字だけの情報交換で「個」を押し隠してコミュニケーションすると言った,虚構の世界に行ってしまうことになりはしないか.それで健全なコミュニケーションメディアと言うことができるのだろうか.それが少なくとも教育的な活動とは思えない.

 また,インターネットのように,すべての参加者が利益と責任とを共有する上に成り立っているコミュニケーションメディアでは,他者から情報をもらうことだけではなく,自ら情報を発信していくことにこそ意義がある.それは自らを明らかにし,自己の責任において世界と関わっていくということである.そうした明確な「意志」を子どもが持った場合,それは個人情報の流出などではなく,明らかに「自己主張」である.我々障害児の教育者は,障害をもつ子どもたちが自己に目覚め,明確に自分の言葉で自己主張をしていくことができるように願って育てているのだとも言える.こうした「自己決定」のできる子どもを育て,その個人の意志を最大限尊重していくことが必要である.

 このようにメーリングリストの参加者の中でも意見は百出している.真の「個の尊重」とは,顔写真を出す出さないと言う表面的なことだけではなく,障害をもつ子どもたちをどのようにインターネットという「世界に開かれた窓」の前に立たせるか,というところにあるのではないだろうか.この課題については,今後の障害児教育のあり方の根幹にも関わる問題でもあり,引き続き検討を進めたい.

 3) 児童生徒の関わりについて

 前項の後段に述べたように,児童生徒がどのようにインターネットに関わるのかについて,教育課程にどのように位置づけるのかということと関連して,今後検討を進めていく必要がある.パソコンを用いた教育や趣味の延長にインターネットがあるのではなく,インターネットという手段を用いて,どうやって人と関わりを持つか(コミュニケーションを図るか),どのように自分を表現していくかが教育の目的と言える.パソコンが単なる機器でしかなく,その機器を通して何を身につけるかが大切であるのと同様,インターネットは単なるメディアの一つである.それを通して子どもたちに何を培うのか,今後の実践の中で模索していく必要があるだろう.メーリングリストのメンバーへの問いかけでもさまざまな期待,あるいは夢が語られている.こうした教育内容については,教師の独創性と子どもたち自身の夢が膨らむことによってはじめて展望が広がっていくものである.子どもにとっての国際交流,自己発信,教師にとっての情報交換や授業研究など,既成の観念にとらわれずに「夢」を広げたいものである.

 現在,各学校で試みられている活動は,前述のホームページで紹介したとおり,障害種別や学校によって多少の相違はあるが,多くは作品紹介や行事の紹介などが多い.メンバーの一人から,「誇りある実践や他にないユニークな試みを期待するとともに,せめて月に一度は情報の更新を・・・」という提案があり,賛同の声も多かった.しかし,現状においてはホームページをこまめに更新していくには多大な労力を要し,担当教員の負担増にもつながるというジレンマもある.今後簡易記述ツールのようなものが普及してくるものと思われるが,現状では決して楽な作業ではない.ところでホームページは実践のまとめの場,といった位置付けであり,ホームページを作ることが目的ではないことも言うまでもない.光明養護学校の実践の中で,生徒たちから自己主張がでてきたり,メールを期待して待つようになるなど行動変容が見られている.

 8校への機器導入も一応めどが立ったようなので,来年度こそ,各校の独創性を生かしたさまざまな企画と実践を期待したい.

2.3 教育面での効果・課題に関する調査

 障害の状態が個々によって大きく異なり,個別的な対応を必要とする特殊教育諸学校においては,ティームティーチングや多様なグルーピングによって指導が行われることが多いため,年度途中からでは大きく教育課程を変更したり,授業の中に新たな要素を取り入れることが困難な場合も多い.障害の種別や部位によっては,かなり特殊なアクセシビリティ機器を必要とする場合もあり,それらのフィッティングや習熟にも時間がかかり,急に成果が上がるというものではない.障害児教育自体が,教師と児童生徒との長期間の不断の取り組みによって,少しずつ実になっていく営みなのである.

 このような現実の中で,導入初年度でその実践を安易に評価すべきではなく,今後の多様な展開に向けての準備期間としてとらえる方が正確であろう.

 そうした観点で各校の実践を眺めると,初年度としては,教員集団,周囲の関係機関や保護者,そして何より児童生徒への理解推進に苦心している様子が見て取れる.

 今後の課題としては,各学校の教育課程の中に適切に位置づけて情報教育を広範囲に展開できるようにしていくことであろう.このことについても,メーリングリスト中で「卵が先か鶏が先か・・・」と行った議論があったが,良い実践をして周囲を納得させ,教育課程に位置づけていくのか,教育課程上に情報教育として位置づけをしてその教育目的に添った内容を皆で考えていくのか,これは各学校の事情に合わせて試行していくことになろう.

 一方,技術的な課題としては,インターネットに関わる以上避けて通るわけにも行かないパソコンの操作に関しては,後述のアクセシビリティのあり方に示されるように,既存の機器の選択肢の少なさと,個々の児童生徒の障害の状況などとの整合性の問題で,まだまだ時間をかけて練り上げていく必要がある.一人の子どもにとって最適な入出力機器というものは,そう簡単には特定できるものではない.ましてや成長期にある子どもたちは刻々身体の状況も変わってくる.そうした意味からもアクセシビリティに関する研究と開発は何らかの専門的な機関で引き続き進め,その成果を学校に還元していく必要がある. また,機器の問題というより回線の問題だが,入力や操作にどうしても時間がかかる肢体不自由児などには特に,接続時間や接続状況に気を使う必要が少ない 例えば,東京都立光明養護学校や佐賀県立金立養護学校等のWWWホームページでは,障害がある生徒の作文や絵画等の作品を,生徒が自ら紹介(発信)している.これら作品は,前述した生徒と教師とのコミュニケーション関係の中から生まれた作品である.これらの作品をインターネットに生徒が発信することにより,一般の個々と生徒との関係(結び付き)が生まれ,一般の個々と生徒あるいは生徒の保護者との間に暖かいコミュニケーション(相互理解)が展開されている.さらに,一般個人を現実世界の行動(ボランティア的活動)に引き込んでいる状況も見ることができる.

 ここでは,インターネットが単にマイノリティに対し発信の場を与える機能があると捉えるのは適切ではない.教師の生徒に対する適切な援助と努力が,生徒の自己表現へのアクセシビリティを補償していることを見落としてはならない.現状では,教師のこのような活動に対する関係機関等の支援と,このような活動が学校現場で教育の仕事として位置づけられることが求められている.

2)よりよい操作環境へのアクセシビリティ

 運動機能(特に上肢)に障害がある児童生徒がコンピュータ等の情報機器を利用するとき,一般に入力装置として使用されている標準キーボードやマウス等を操作することは困難である.そこで,これまで児童生徒の障害の状態に応じて,標準キーボードやマウスの機能を代替するまざまな入力装置(インプット・エミュレータ)が工夫され利用されている.最近では市販の代替入力装置も多くなっている.インターネットの利用においても,上肢に障害がある児童生徒の多くがこれらの代替入力装置を利用できるであろう.

 しかし,不随意運動が強い児童生徒にとってGUI(Graphical User Interface)の操作には課題が残っている.インターネットの操作環境も一般にGUIを利用している.GUIの操作は,マウス等によるポインティング操作(マウスカーソルを画面上のクリックポイントに移動する操作)を必要とする.このため,マウスやトラックボールなどのポインティング・デバイスを使用することが困難な児童生徒には,これらの機能を代替する入力装置(マウス・エミュレータ)が適用されてる.

 マウス・エミュレータは,「マウスカーソルの移動をスイッチ操作に置き換える」タイプが多く利用されている.このタイプのマウス・エミュレータは,一般のGUIアプリケーションやインターネットのWWWのページ(画面)に対応できる汎用性がある.しかし,タイミングを伴ったスイッチのON/OFFによるポインティング操作を避けられないため,不随意運動が強い児童生徒にはこのタイプのマウス・エミュレータの利用は困難である.

 そこで,不随意運動が強い児童生徒には,「スイッチ操作によりマウスカーソルがクリックポイントを移動する」タイプのマウス・エミュレータが工夫されている.このタイプのマウス・エミュレータは,ポインティング操作を伴わずにGUIアプリケーションが利用できる利点がある.しかし,あらかじめ使用するGUIアプリケーションのクリックポイントの位置や数を固定して置く必要がある.

 不随意運動が強い児童生徒がインターネットを利用するときには,例えばWWWのページ(画面)が変わっても,クリックポイントの位置や数が約束(固定)されていれば,インターネットを利用するアクセシビリティは格段に向上する.

 一方,インターネットの利用において文字を入力するとき,標準キーボードの操作が困難な児童生徒については,1)大/小型キーボードによる入力,2)1点〜5点スイッチによる自動/逐次走査入力,などが適用されてる.しかし,いずれの方法も入力に時間を要する.このため時間課金でインターネットを利用するときには特に,メールアドレスなどの定型文を容易な操作で一括入力できるような工夫が必要となる.この配慮は,運動障害児が日常生活でコミュニケーション・エイドなどを利用するケースと同様である.

 これまでの実践でコンピュータ等の情報機器のアクセシビリティを改善するには児童生徒と教師とが,最適な操作を求めて試行する指導(援助)の過程が重要であった.これは,インターネットの利用においても同様であろう.

3)教師が求める情報へのアクセシビリティ

 学校現場で教師が児童生徒の教育方法を改善しようとし,参考になる有用な情報を入手しようとしたとき,求める情報を容易に入手することができれば,児童生徒のニーズに応じたよりよい指導を実施することが可能となる.しかし,肢体不自由養護学校の数は各県平均1〜2校と少ない.したがって,特殊教育に関する情報は,この特性から有用な情報の提供・所有者(機関)の数は少なく,しかもそれらの情報は分散して存在している.ゆえに,特殊教育に関する有用な情報が提供されていたり,あるいは有用な情報の所有者(機関)が存在していても,学校現場の教師はこれらの情報の所在や入手方法を知り得ず,児童生徒のニーズに応じることができないばかりか孤立してしまうことも起こり得る.だからこそ,特殊教育においては学校現場の教師が情報ネットワークを利用できることが重要な意味をもつことになる.

 学校現場の教師が計算機による情報ネットワークを利用して,有用な情報を入手することができるためには,当然そのような情報が提供(公開)されていなければならない.これまで,各県等の特殊教育センターの多くはパソコン通信等を利用してこのような情報の提供を試みてきた.しかし,各県等が運用する教育情報ネットワークの利用者は,該当する県下の特殊教育諸学校の教師に限られていることが多い.このような閉じた情報ネットワークでは,ある県の特殊教育情報ネットワークに有用な情報が提供(公開)されていても,他の県の教師にはその情報が利用できないばかりか情報の存在すら知ることができないことになる(仮に他県の特殊教育諸学校の教員のアクセスが許されていたとしても,パソコン通信による情報ネットワークでは通信費の支弁が課題となる).

 各県等が運用する特殊教育情報ネットワークがインターネットにより結び合い,それぞれがもてる情報を提供(公開)し合い,相互利用(共有)することができればこのような課題は解決される.すなわち,学校現場の教師は所属する県等下の情報ネットワークに限らず,全国の特殊教育センターが提供(公開)する情報を入手し活用することができることになる.さらに,特殊教育諸学校の教師が全国の教師と相互に有用な情報を交換したり,共同作業(コラボレーション)による活動を展開したり研究者(機関)や関係者(機関)に対して援助を求めたりすることが日常的に可能となる.

 特殊教育の現場の教師が求める有用な情報へのアクセシビリティが改善されるには,各県等が運用する特殊教育情報ネットワークが他の県に対して相互に開かれること,研究者(機関)や関係者(機関)が研究成果等の情報を自発的に提供(公開)すること,が求められている.インターネットによる情報ネットワークの利用は特殊教育においてこそ必要であり,障害がある児童生徒の教育方法の改善に大きく貢献することが期待できる.

<参考資料>

1)松本廣:肢体不自由養護学校におけるコンピュータの利用,特殊教育学研究

 32(1),pp45-53,1994.

2)松本廣:肢体不自由教育におけるコミュニケーション・ニーズへの援助−障害の状態に 対応した「書字援助システム」による4事例の表現からの考察,国立特殊教育総合研究 所研究紀要22,pp17-25,1995.

3)中村賢龍:AAC入門,1995.