(1)「どこでもインターネット(校内の約50カ所からインターネット)」
学びに生かすためには、子ども達がネットワークを「じゃぶじゃぶ」使い、そして、ネットワークを、自分たちの生活の一部として、定着させることが学校という環境の中で個々に違う学びの課題を持っている子ども達に必要不可欠なものである。そこで、ネットワークがいつも子ども達のそばにあり、いつでも使える環境の確立が必要であると感じ、どこでもインターネット(図1参照)を構築したのである。
(2)ネットワークの構築の裏で
このようなネットワークが構築するうえで、先駆者の方々の経験や知恵がネット上でかいま見ることができたことがすばらしいが、一番の宝はネット作りを、生徒とともにできたことである。このことによって、自分たちのネットワークという意識やそのネットを支える人たちの気持ちさえも考えさせることができた。
(3)メールによる交流、メディアキッズの活動と子ども達や教師の変容。
現在では、コンピュータ室はもちろんのこと、自分の教室や、研究室、生徒会室などとどこからでもネットワークに参加することができ、子ども達や、教師の意識も、FDをもって歩くことから、ネットワークを使ってデータのやりとりをおこなったり、自分に対してのメール読んだり、いろいろな情報の交換をしたりすることが自分の好きな時間に好きな場所で行うことができるようになった。これまでのコンピュータ室のように、ある特定な場所にコンピュータを何十台も設置し、そこに行かなければネットワークに参加できなかったり、一時に時間に使える時間が限定されることがなくなり、子ども達のネットワークに対する自由度の保証とネットワークに参加しているぞという実感をえることができるようになった。次にその変容を列挙する。
○身近なネットワークとして、インターネットが見えてきた。
○メール交換することによって、自分たちの学びの広がりを感じさせることができた。
○自分の足らないこと、これからの自分がどのようにあればよいかを語り始めている。
・インターネットが生活の一部としての取り入れられている子供が増えているが、その反面、親の負担などが増えてきている。
・自分の思うがままにできることから、独りよがりの生徒が逆にその世界に入ってしまっていることもあった。
○表出する事をいとわわなくなり、さらには、表出から表現へと変わってきつつある。
(4)子どもたちが見つめた自分たちの町と郷土(ホームページなどでの紹介)
交流が深まるに従って、子ども達が、一番に感じたことは、自分たちの町をいかに知らなかったかである。そのことから、そのこどもたちの身の回りの事実や事象の再確認、(あるいは、初めて知る場合や、これまで気づいていなかったことに気づくなど)と再認識を行ってきている。驚いたことに、その足りない部分を埋めるために、知ると言うことや、知りたいという意識が高まってきた。そして、いろいろなことを、表出するだけでは、教育には不適切であったものから、それらを目的のあるかたちで、つまり、相手のための表現をし始めてきたのである。