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宮島理事長挨拶

人類時代 地球の寿命

─ CEC役員会での挨拶から ─

 「ゾウの時間ネズミの時間」という大変おもしろい本があります(木川達雄著、中公新書)。それによるとゾウからハツカネズミにいたる哺乳類についてしらべると、動物のもつ生理時間は大きいものほどゆっくり進む。定量的には(時間)は(体重)1/4又は(体積)1/4に比例する。ここにいう時間とは、心臓の鼓動、血液の循環、呼吸、心理的時間などを言います。赤ん坊が成熟するまでの時間や寿命なども大体これに入れてよいそうです。最近のように病気になると治療してしまったり器官を入れかえたりすると寿命がいくらか延びる事はあるかも知れませんが、それにしても200才の人があった話はききませんから、人の寿命はせいぜい100才位に決められているのでしょう。

 なぜこの様な関係になるかについては、色々面白い考察があるようですが、生きていると色々と不具合がたまってくるから、適当な所で世代交代した方が都合がよいのでしょう。

 このあたりで、この関係を使って少しいたづらをしてみたいと思います。乱暴な話ですが、同様の関係が樹木と人との間にもあてはまるとしてみます。そうすると、セコイアの大木と人間の寿命の表示を考えてみますと、メタセコイアの重量は数千トンで、人の体重は1/10トン位ですから、その比は103トン÷(1/10)トン=104です。その平方根の平方根は10です。従って寿命は人の寿命の100年の10倍で1000年あまりとなります。実際に調べた所では数千年だそうですから、不思議と大体合いますね。

 そこで一歩進めて、もっと乱暴ないたづらをしてみます。

 地球ができてから数十億年ですが、生命のない時代は変わりようがありませんから、別として、例えば恐竜の時代は1億5千万年くらい続いて突然消えてしまったのは有名な話です。恐竜は生物界に君臨して暴れまわったでしょうが、腹がへっtら食べるだけで、むやみに地球を変化させたとは思われません。排泄物はすぐ分解されて自然にもどったでしょうから。

 人類が生まれてからの地球はどうでしょうか。人類は頭脳の発達した頭脳恐竜といってよいでしょう。頭脳によって限りない欲望をもち、地球を限りなく変えてゆきます。焼き畑農業で森林を草地にしてしまうし、植林で不自然な森をつくるし、大規模な漁業で海のバランスをくづすし、資源を無理に集めて不自然な人工物を生産して環境をよごすし、遂に長年にわたって地球がゆっくりと貯えてきた石油を汲み出して数百年くらいの間に使いつくして大気を汚染したりして猛威をふるっています。その上に知識を獲得し、蓄積し、高速で情報を伝え合って、地球表面をまるで1個の生物のようにしようとしていますが、この生物は残念ながらあまり健康ではないようです。

 地球は太陽の光をうけて生命を支えていますが、人体も食物や空気を取り入れるだけで自分の命を支えています。人類が発生してからの地球は段々赤ん坊から大人になって来ていると考えてもよいかも知れません。

 そこで人類時代の地球を理想化して健康な生命体と考えて寿命を推定してみます。生命体の大きさを地球表面にある水と空気の程度とすると、その体積は(地球表面積)×10kmくらいと考えてよいでしょう。その体積は5×1014×104m3で、人体の体積0.1m3の比をとり1/4乗して計算すると、
(人類時代の寿命)は(人の寿命の4万倍位)
つまり数百万年になります。理想化してみても恐竜時代に比べて人類時代は短いようです。

 人類の発生をいつにするか問題ですが進化で発達した人間の寿命と比べたのですから、人類時代の長さは長くてこの位でしょう。今のように地球を汚染したり、競争ばかりで協調がなければ、不健康になって早死するでしょう。考えさせられますね。



2000.6.28