高峰譲吉は、安政元年(1854)越中国(現在の富山県)に生まれ、現在の東京大学工学部である工部大学の応用化学科を卒業し、翌年にはイギリス留学を行いました。
帰国後、農商務省に入った彼は、特許制度に関心を示し、アメリカ出張の際にワシントンに立ち寄り、特許制度を調査を行い、専売特許局次長に任命されました。彼は、この他にも、日本酒の製造や和紙の研究も幅広く行っており、明治21年に農商務省を退職した後は、数々の化学的な発明を行っています。
その後、幾つかの独創的な方法で純粋アドレナリンの製法を発明するなど、医療上なくてはならない常用医薬の製造に大きな業績を上げ、大正11年(1922)に亡くなっています。