鈴 木 梅 太 郎 (すずきうめたろう) 鈴木梅太郎


 鈴木梅太郎は、明治7年(1874)静岡県に生まれました。
 東京帝国大学農科大学農芸化学科を卒業し、スイス、ドイツに留学し、有機化学を学んだ後、同大学の教授になりました。
化学記号  当時、日本では陸海軍の兵士に脚気(かっけ)患者が多く、原因も不明であり、死亡する者も少なくない状態でした。彼は、この問題を解決するため研究に着手し、米糠(こめぬか)中に脚気をなおす成分のあることを実験的に確認し、この有効な成分が「アベリ酸」(今日のビタミンB1)であることを解明し、1910年に日本で発表しました。また、米糠中から「アベリ酸」の分離に成功し、特許権も得ています(特許第20785号、明治44年)。

一等賞

 彼は、この物質を「オリザニン」と名付け、1912年にドイツで発表したのですが、その一年前にポーランド人のカシミール・フンク(C.Funk)が似たような物質をビタミン(Vitamine)と名付け発表しており、世界的にはフンクが最初の発見者として知られています。

 その後、この「アベリ酸」が不可欠の栄養素であることを動物実験により証明し、今日のビタミン学の基礎を確立し、昭和18年に亡くなりました。


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