3.企画のまとめ

赤堀侃司    東京工業大学

 本章では、以上のプロジェクトの取り組みを、企画実践の成果と課題およびいくつかの提言に分類して、総括的にまとめる。

3.1 企画実践の成果

 本プロジェクトの実践で得られた成果は、以下の通りである。

(1)国際交流への関心の向上

 本プロジェクトは、多くの国際交流を実践してきた。その実践の結果、生徒達の国際交流への関心が、きわめて高くなった。国際交流とは何だろうかという素朴な疑問は、誰でも持っている。しかし実際に交流を通して、これが国際交流なのかという実感が生まれたと言える。だから、国際交流は実践なのである。頭だけで考えても、意味はわからない。長所も短所も含めて、実践を通して体験することが、この企画のねらいであった。

 国際交流は、多くの学校ではまだ言葉だけの概念であることが多い。遠い未来のことか、自分たちには関係のない世界のことという意識が強い。しかし、本プロジェクトはその実践を通して、生徒達の関心を引き出すことを、実証した。プロジェクトに参加した多くの高校生や小学生は、もう一度やりたいと感想を述べている。海外旅行と海外生活には、大きなギャップがある。国際交流も、実践して始めてわかることが多い。生活を通して、海外の持つ多様な面を知ると同様に、実践を通して国際交流とは何か、それがどんな意義を持っているかを、生徒達は肌で感じるようになったのではないだろうか。

(2)インターネット技術の修得

 本プロジェクトでは、交流を行うために、いくつかの学校でインターネット活用のための技術指導や講習を行った。この講習を通して、多くの生徒や、まだインターネット技術に不慣れな教員も、技術を修得することができた。そしてその技術を用いて、作品の交流を行った。技術の講習はその修得だけが目的の場合は、すぐに忘れることが多い。それは技術の修得と、現実社会の実践を切り離しているからである。

 しかしこのプロジェクトの場合は、その技術をすぐに作品の交流という実践の中で、活かしている。それは技術や道具の使い方の優れた方法と言えよう。実践や現実社会と結びつけながら、技術を修得することの意義を見い出したと言える。

(3)異文化理解への接近

 異文化理解とは、幅広い用語である。国際間に限らず、異なる文化や異なる価値観を持つ人々の間には、誤解や違和感が生じることは、誰でも経験している。国が違えば、宗教、生活習慣、気候風土、教育などすべてが異なるから、物の考え方や感じ方や主張が異なることは、むしろ当然と言ってよい。しかし社会のグローバル化が急速に進むにしたがって、お互いが理解できないままでは、許されなくなった。異文化を理解するには、どうしたらいいかという問いかけは、国際理解教育の基本的な目標である。それは、先に述べた国際交流と同様に、実践を通すしか方法がない。といっても、誰でも海外生活を送ったり、外国の人々と話し合うことが日常的にできるわけではない。

 この国際交流のプロジェクトでは、インターネットというメディアを通して、異文化の人々と触れることができた。メディアを通しても、異なる考え方に触れることができる。その違いを知ることができる。やがて、実際に会って話をしたくなる。このプロジェクトに参加した生徒達は、メディアを通して、異文化に接近したのである。

(4)相手の立場に立つ

 生徒達は異文化に接近することによって、少しづつ考え方や感じ方に違いがあることを知るようになった。メールだけでは誤解の生じることも多いことを、体験的に知るようになった。それは、自分の意見もまた相手から見れば、おかしいと思っているのではないかと気づくようになり、自分の考え方と相手の考え方を比較して、コミュニケーションをはかるようになった。それは、相手の立場に立つと同時に、相対的に高い立場から物事を考えるということを意味している。メタ的に考えることを生徒達が学んだと言えよう。その教育的な意義は大きい。

(5)英語に対する見方考え方

 本プロジェクトの実践を通して、生徒達の英語に対する見方・考え方が変わった。生徒達のこれまでの英語という教科に対する考え方は、暗記科目、覚える科目であったと言う。しかし国際交流を通して、それは自分の意見を相手に伝えたり、相手の意見を聞いたり、お互いが知り合うための道具であったことに、気づいたという。

 もともと言葉とは、そのようなコミュニケーションの道具であった。しかしこれが学校教育の中で教科として位置づけられ、入学試験に課せられるようになって、覚えるための単語や文法という科目に変わった。国際交流の実践の中で、本来の言葉の役割に気づくようになった。言葉は何かを知るための道具という認識は、逆に何かを知るために、言葉を勉強しようとする意欲や関心を引き起こすことにつながった。

(6)コミュニケーションの仕方

 国際交流の実践を行うと、どうしてもコミュニケーションの仕方を意識するようになる。言葉だけでは伝わらないことも多い。電子メールだけでは、意思が伝わらない。例えば、リアルタイムの映像を用いたシステムを利用するようになる。実際にこのようなTV会議システムなどを用いることになると、事前打ち合わせが重要になり、いろいろなシステムの設定の仕方やそれに伴う技術も修得することにつながる。

 このように、多様な方法や手段を用いて、コミュニケーションをはかったという実践が見られた。メディアの使い方とは、コミュニケーションの仕方と結びついていることを、知ったのである。通信メディアとは、本来そのような道具であり、それ以上でもそれ以下でもない。手段を通して、コミュニケーションの仕方という学習をしたのである。

(7)作品創作の意義

 多くのプロジェクトでは、作品を作ってホームページ上にアップして、交流をする方法が多く見られた。何故作品を作ることになったのであろうか。プロジェクトには、目的がある、単なる情報交流ではない。私達が仕事をすれば必ず報告書を出版するが、その報告書に相当するものが、生徒達の作品であろう。形として残すのである。そこで、もう一度活動を振り返り、活動の過程で得られた内容を、今後他の分野でも適用できるように、知識として表現するのである。そこで得られた知識やノウハウは、なるべく多くの人々に共有されることが、重要である。

 仕事をしたら報告書を作る、研究をしたら、論文を書き多くの人々に公開することが、知識の共有という意味で、重要である。その意味で、プロジェクトの中で、あるいは終了前に、作品や報告書という形でまとめたい。それは、交流という活動を、知識に変換することに他ならない。この意味で、活動を知識という形で蓄積することができた。

(8)現実社会での役割

 国際交流のプロジェクトでは、教員も生徒も、同じように仕事をしなければならない。教員も不慣れなことが多い。すべて知っているわけではない。生徒も、このプロジェクトを遂行する上での重要なメンバーなのである。役割を決めて、互いにその仕事をしながら、成功させることが求められる。いわば、生徒と教員は、仕事をするティームのような関係であって、知識を与える教員、それを受ける生徒という関係ではなくなる。

 国際交流プロジェクトは、そのような新しい学習スタイルを求めている。技術に詳しい生徒は技術部門を受け持ち、相手校の連絡を受け持つ生徒は、その役割を果たし、全体を見渡す役割は教員で、というように、現実世界の仕事のプロジェクトのように、お互いの役割を遂行しながら、仕事の進め方、コミュニケーションの仕方、問題が生じた時の対応の仕方、成果のまとめ方、計画の建て方、評価の仕方等を、学んだのである。つまり活動を通して、問題解決の方法を学んだと言える。

(9)教師と生徒が共に実践する

 豊富な経験をもつ教員ならば、国際交流も悩むことは少ないかもしれないが、多くの学校の教員は、不慣れである。そこで、このようなプロジェクトでは、生徒も教員も、共に学び、共に実践しながら、プロジェクトの進め方を学ぶというスタイルが多い。教員も、生徒も知らない未知な内容に取り組むことが、逆にお互いを知ることにつながる。そんなすごい能力を持っていたのかとういう驚きが、相手を知ることにつながる。

 教員が生徒をすべて知っていることはあり得ない。それは、授業という限定された中での関係であって、本物を追求する仕事を通しての理解ではない。国際交流では、どのように相手に対応していいか、教員も試行錯誤で実践することが多い。生徒と教員が、共に実践を通して学ぶことの意義は大きい。

3.2 企画実践の課題

 次に、いくつかの課題について、まとめる。

(1)時期と期間

 どのプロジェクトでも同じであろうが、実施時期と期間の問題が大きい。実施時期では、日本と海外では、学年の始めと終わりが4月と9月で異なることが多い。この時期の調整をどうするかが、始めに問題となる。日本では、4月から実施は無理で、さまざまな準備や、生徒の技術的なスキル、相手校との諸連絡、打ち合わせなどを考えると、夏休みの後の9月以降になることが多い。相手校が9月始まりとなれば、9月は無理で11月頃となる。12月や1月頃は、試験時期になり、2月以降は進学の入学試験と重なり、とてもプロジェクトの実施というわけにはいかなくなる。

 このように考えると、10月頃から12月頃という短い期間が実施期間となる。このような数ヶ月で、インターネットだけでなく、対面の交流まで行うとなれば不可能に近い。そこで、国際交流を行うとすれば、準備機関を考えて、4月にはすでに計画を立てておかなければならい。プロジェクトの遂行にとって、時期と期間は大きな要素である。

(2)カリキュラムへの位置づけ

 これは、難問である。現状では、国際理解教育は、各教科を通して実施するという学習指導要領に基づいているので、現実には実施が困難である。中学校・高等学校では、教科が中心であって、情報化、国際化、環境などの現代の教育課題への取り組みは、中心的な指導内容にはなっていない。現実的に、中心に成りにくいといってよい。

 そこで、国際交流の実践は、英語の教科か、クラブ活動か、有志の生徒を集めて、というスタイルになることが多い。大切な活動という意識はあるが、現実には、教科の内容を教えることだけで時間が不足しており、国際交流まで手が回らない。学校は、現実と組織とカリキュラムで動いていると言ってもいいので、カリキュラムへの位置づけが明確でないと、一般教員は活動に参加しにくいという問題がある。

(3)インターネット環境やマルチメディア環境

 ハードウェアやソフトウェアという情報環境の問題である。国際交流の中で、生徒達がマルチメディア作品を作って交流しようとしても、そのような環境と技術力がないと、実際には無理であることは言うまでもない。情報環境の整備は土台であるが、まだ環境ができていない学校も多い。

(4)連絡調整の労力

 交流を行うとなれば、待っていてはできないので、事前に連絡調整が必要となる。その連絡も、海外であれば直接に会うことは難しいので、電子メールが主な手段となるが、参加校が多くなると、その連絡調整だけでも労力はきわめて大きい。しかし、この連絡調整というコーディネータの役割が、プロジェクトの成果を左右するほど、重要である。日々の教育活動に加えて、このコーディネータの役割が付加されるので、担当教員の負担がきわめて大きくなる。

(5)労力や費用の負担

 国際交流は、始めは電子メールだけの交流であるが、やがて相手を知りたいと思うようになり、写真の郵送や、添付ファイルによる交流、ホームページでの作品や写真の公開、掲示板への意見交流、TV会議システムを用いた討論会、そして、対面による合宿交流などのように、インターネットだけで交流できるという訳ではない。

 掲示板の開設やTV会議システムによる交流では、技術力も必要とされるが、そのために必要とされる時間も大きい。実際には、すべて教員のボランティアに頼っている。また、実際に対面による交流を実施するとなれば、海外だけに渡航費用、会場費、宿泊費など、膨大な費用がかかる。どこからその費用を調達すればいいのか、担当教員として、頭を抱える問題となっている。

(6)作品作りにおける著作権

 マルチメディア作品、特に有名な日本の物語りや音楽を作品化しようとすれば、著作権をクリヤしなけばならない。授業の中で、作品を作るだけで他に公開しなれば問題は少ないが、多くの生徒達の作品は、ホームページ上で公開しながら、交流を行っている。このホームページにアップすれば、当然ながら著作権の侵害になる。国際交流では、自国文化の紹介から始まることが多いので、どうしても有名な作品をモデルにしてアレンジすることになりやすいが、その時の著作権が大きな問題となる。

(7)テーマの設定

 テーマの設定は、大きな課題である。国際交流では、当然ながら教科書もカリキュラムも異なるので、国際間で交流という特性を活かす共通のテーマの設定は、難しい。日本の教科書のこの単元で、意見を交換するというわけにはいかない。従って、共通のテーマとしては、始めは自国文化の紹介、ファッションなどの若者の興味あるテーマなどが設定される。しかし、このテーマの設定が、その後の交流の広がりと深さを左右するので、きわめて重要である。

 例えば大学の事例であるが、宗教をテーマにした国際交流プロジェクトを作って討論をし、日本の大学生が、そのテーマで卒業論文を書いたという。確かに宗教は、日本では考えられないほど、海外では重みがある。そこに文化の違いが顕著に出てきて、日本の学生も深く考えるきっかけになったと言う。しかし小中高等学校で、このように深めるテーマの設定は難しいと言える。

(8)語学力の不足

 日本の生徒が、海外の生徒とあるテーマで共に追求するとなれば、語学力が要求される。教員であっても、英語教員以外は、なかなか難しいのが現実であろう。現実的には、この語学の壁は大きい。ボランティアによる翻訳のサポートシステムや、翻訳ソフトなどの使用も試みられているが、それも限界がある。どのように言葉の壁を超えればいいのか、大きな問題と言える。実際は、語学の得意な教員や、帰国子女の活用や、翻訳ボランティアの支援や、翻訳ソフトや、英語教員の指導を受けるなどの、さまざまな方法が導入されている。

(9)ハッカー・ウイルスなどの対策

 ハッカーやウイルスが、急速に広がっており、プロジェクトの進行に支障をきたす傾向が見られるようになった。中には、防御がきわめて困難なハッカーやウイルスもあり、パスワードの変更や、再インストールなどの労力が大きく、活動に支障をきたすことも多い。国際交流のプロジェクトに限らないが、このような悪質な攻撃に対する対応に、大きな労力を必要としており、頭の痛い問題となっている。

(10)一般教員への普及と理解

 インターネットの教育利用の意義は、まだ一般教員には行き渡っていない。特に国際交流のような先駆的なプロジェクトでは、個々の教員の努力と奉仕によって成り立っていることが大きく、一般的な教育活動まで普及させる壁が厚い。このような先駆的なプロジェクトの目標は、すべての学校にインターネットが接続される時に、これまでに蓄積した知見やノウハウを伝達して、無駄な労力をかけなくてもいいように、実践研究を遂行することにある。

 しかし、国際交流のプロジェクトの実践は、すでに述べたように、その意義を高く評価するが、一般教員までに普及するには、大きな壁がある。現状は、個々の教員のボランティアに頼っており、どのようにして普及させるかが、重要な課題になっている。

3.3 いくつかの提言

 最後に、国際交流のプロジェクトを遂行する上で必要ないくつかの提言を、述べる。

(1)研究助成金の活用

 先に述べたように、国際交流プロジェクトの遂行には、研究助成が必要である。いくつかの助成金の制度があるが、このような先駆的な研究プロジェクトには、大いに研究助成する必要がある。公教育には平等という考えがあるが、平等とはすべてのプロジェクトや学校に同じ金額の助成金を配布することではない。内容に応じて、有用性や、影響の大きさに応じて、きちんと評価して助成すべきであろう。

 文部省や財団や企業も含めて、教育実践研究に対して、さらに研究助成することが望まれる。

(2)サポート体制の確立

 国際交流プロジェクトに限らないが、交流を目的としたプロジェクトの遂行には、教員1人の力では無理であることが多い。連絡調整、インターネット技術、語学力、カリキュラムなど、どの問題も壁が高い。その壁を低くするためには、サポート体制を充実させる必要があろう。企業からの技術的な援助、財団などのコーディネータとしての援助、教育委員会の教育課程上の援助やアドバイス、市民ボランティアによる情報提供などの援助など、学校とのパートナーシップを実現していくことが、このようなプロジェクトの推進にとって、きわめて重要と考えられる。

(3)マニュアルやヘルプデスクの整備

 先に述べたように、すべての学校にインターネットが接続される時には、これまでのノウハウや知見が共有されなければならない。そうでなければ、実践研究の労力が無駄になってしまう、そこで、一般の学校が、国際交流を実施するときの、わかりやすいマニュアルの整備が重要である。多くの学校も、国際交流の重要性は認識しているが、どうしていいかわからないのが、現状である。

 始めての学校であれば、まずどの学校と交流したらいいのか、始めにどのようなプランを立てたらいいのか、カリキュラムはどのように位置づけたらいいのか、生徒にどのように説明したらいいいのか、テーマの設定はどうしたらいいいのか、成果はどのように公表したらいいのか、プロジェクトの評価はどうしたらいいのか、ボランティアはどのように探したらいいのか、研究助成はどのように申請したらいいのか、技術的な援助はどうしたら得られるのかなど、これまでの研究プロジェクトのノウハウを、マニュアルの形で配布することである。あるいは、ホームページに掲載して、いつでも質問が受け付けられるような支援体制を作る必要があろう。

(4)モデリングの導入

 上記のようなマニュアルを作っても、すぐに国際交流を実施することは困難である。それは、コンピュータマニュアルを読めば、すぐにコンピュータやインターネットを活用できるかという問いに類似している。経験が必要である。経験を積むといっても、1人が試行錯誤で行っても、無駄が多い。

 簡便な方法は、優れた実践者のプロジェクトに加入しながら、経験を積むことであろう。見よう見まねで、そのプロジェクトの運用の仕方やノウハウを修得することができる。これはプロジェクトに限らず、およそほとんどの仕事のやり方やノウハウは、このような先輩の仕事を周辺から見よう見まねで獲得することが多い。そのためには、財団のような機関が援助しながら、優れた学校や教員を核としたプロジェクトを推進し、そのプロジェクトに経験のない学校や不慣れな教員や学校を巻き込んで、ノウハウを伝達することである。その意味で、この国際交流プロジェクトは、コンピュータ教育開発センターで継続しながら、なるべく多くの学校を巻き込んだ形で、実施することが重要であろう。


 次へ →