教育用ソフトウェア利用研究の意義と動向

東京大学教育学研究科 市川伸一

1.ソフトウェアの欠乏と進歩

 一昔前,「コンピュータ,ソフトなければタダの箱」と言われたことがあった。コンピュータを利用するには,ソフトウェアがいかに重要かを表した言葉である。現在でも,もちろんコンピュータはソフトウェアがなければただの箱である。しかし,最近あえて言われなくなったのは,「そんなことは,アタリマエ」になってしまったからである。
 それを言わなければならなかった時代というのは,ソフトウェアの重要性が一般にはあまり認識されていなかったからにほかならない。1970年代の後半,8ビットのパソコンが市場に出始めたころ,ユーザーは,アセンブラやBASICでプログラムを書いていた。ソフトウェア業界というのはまだ産業としてはごくごく小さなものであり,出回っているソフトのレベルも実に低いものだった。私がはじめてパソコンを購入したのは1981年の NEC PC-8001 であったが,まだ漢字は使えなかったし,通信ソフトや英文ワープロなどは自作したものである。そのほうが,市販のソフトを買うよりマシだったのである。
 しかし,趣味やプログラミングの練習としてソフトを作ることに興味がある人はともかく,多くのユーザーはソフトを作ることより,ソフトを使って仕事をすることのほうに関心があるはずだ。メーカーがハードだけを提供して,ソフト作りをユーザーに委ねるというのは,どこかおかしい。「コンピュータ,ソフトなければタダの箱」という言葉には,よりよいソフトの開発の重要性を訴える意味あいも多分に込められていたのではないかと思う。
 その後,ハードの普及や性能の向上と相前後して,ソフトに関しても,着実に進歩してきた。ビジネス用ソフトにやや遅れをとったものの,教育用ソフトの業界も産業としての基盤を確立しつつあるように思える。以前は,「多忙な時間のあいまにソフトを自作することなど,多くの教師にはとてもできない。学校教育にコンピュータを導入するのは無理である」と言われていたが,今では,それこそ目移りして困るくらいの数の教育用ソフトが出回っている。これは,教育関係の人たちにとっては,とりあえず望ましい状況といえる。

2.ハードとソフトで十分か

 それでは,よいハードとよいソフトがあれば,それでよい仕事ができるであろうか。あるいは,私たちの関心である「教育」ということで言えば,よい教育ができるであろうか。これも,ノーである。ところが,こちらのほうは,現在でも強調する必要がありそうに思う。けっして,「そんなことは,アタリマエ」とはなっていないからである。
 教育工学系の学会などでも,新しいソフトの開発は研究としてかなり発表されるが,どのように授業の中で活かしていくかという発表は相対的に少ないように思う。場合によっては,こうした実践報告的なものは「使用例」であり,研究ではないという人たちもいるようだ。しかし,実際には,さまざまなアイデアとその実践結果を報告しあい,吟味しあっていくことこそが,コンピュータを教育の中に根づかせるために最も重要なことである。
 三宅なほみ氏(現在中京大学教授)の編集による「マイコンを教室にもちこむ前に」(新曜社)は,もう10年も前の本だが,コンピュータを教育に利用するときに,どのような姿勢が教育者側に求められるかを考えさせる好著であった。コンピュータという新しい機器が教育にはいるときに,これをどういう形で利用するかというのは,まさに教育者のもつ教育理念を浮き彫りにしてくれる。そこで,教育者自身が自らの教育観を吟味していく絶好の機会となることを三宅氏は説いている。
 その本で何人かの著者が報告している教育実践は,今では目新しくはないにしても,けっして新鮮な魅力を失ってはいない。たとえば,戸塚滝人氏が LOGO を用いて行なったヒマワリの生長のシミュレーションの実践や,村の地図つくりの実践がある。また,三宅氏が女子短大で当時行なっていた,国際ネットワークを通じてのアンケート調査や研究交換の事例も紹介されている。こうした実践は,ハードやソフトがあれば自然に生まれてくるというものではない。むしろ,ありふれた道具を,いかに教育的に意義のある文脈で活かすかというセンスから出てくるものといえるだろう。

3.教育用ソフトウェアの利用を研究するとは

 教育用ソフトウェアが,量・質ともに充実してきたことはすでに述べたとおりであり,だれしも認めるところであろう。しかし,それに応じて教育がよくなっているかというと,必ずしもそうとはいえない。そこに,教育用ソフトウェアの利用を研究することの意義がある。そうした研究として,するべきことをまとめると,次の2つになるのではないかと思う。
 まず一つは,くり返しになるが,ソフトウェアをどのような文脈でどのように活かしていくかという実践的なアイデアの提案と検討である。コンピュータがソフトウェアしだいでいろいろな機能をもつのと同様,ソフトウェアもどのような使い方をするかでいろいろな機能をもちうる。「たとえば,このような使い方ができる」という情報は,他の教育者にも,大いに役立つに違いない。また,単に実践を報告するだけではなく,有意義な実践の背後にある共通項を抽出していくということも必要である。それは,新しい実践を生むためのヒントともなるだろう。
 そしてもう一つは,ソフトの制作者(会社)に対して,適切なフィードバックを提供することである。教育用ソフトといっても,その制作過程において教育場面での試用や検討を十分経てから市販されているわけではない。教育実践者や児童・生徒たちの声が,制作時に反映されているとは言いがたいのである。もちろん,それをきちんと行なってから市販されるのが望ましいのであるが,要する時間や経費を考えると難しい。結局のところ,制作者のカンやセンスに頼って,ひとまず作って市販することになってしまう。すると,ソフトウェアをよりよいものに育てていくには,ユーザーからのフィードバック以外にない。機能の追加,使いやすさの向上などの要求を,実践を踏まえて集約していくことが,研究としても必要になってくるのである。

4.コンピュータと教育をめぐる最近の動向

 さて,コンピュータをめぐる最近の最も華々しい話題は,いうまでもなく「マルチメディア」と「インターネット」である。その波は教育界にも押し寄せている。確かにこれらは,潜在的に教育にも大きな影響を与えうるものに違いない。しかし,こうした技術的な革新が,自動的に教育を変えるというものではない。教育者に求められるのは,むしろこういう技術をどういう学習の文脈の中に置いて,効果的な利用方法を考えるかということであろう。
 その意味では,技術革新ほど華々しくはないかもしれないが,個性化,情報化,国際化,新学力観,……といった,教育のコンセプトに関わる変革の動きのほうが,より重要なように思う。これらは,文部省先行の改革であるかのように見られるふしもあるが,やはりこれからの時代のあるべき教育の方向を向いていることは確かである。また,このようなスローガンが打ち出される前から,優れた教育実践として評価されているものは,すでにこうした要素を多分に取り入れていると考えられるのである。
 新しい教育のコンセプトとテクノロジーとの接点として,どのような形態の授業が展開しつつあるだろうか。まず第一に,児童・生徒が自らの問題解決や表現活動の道具としてコンピュータを利用していくという使い方が増えている。これは,子どもたちの主体的な課題への取り組みを重視する教育観が広まってきたと同時に,コンピュータのパワーが増大し,子どもでも扱いやすいようなインタフェースが提供されてきたからにほかならない。そして第二に,ネットワーク等を利用して,情報を収集したり,発信したり,意見交換したりするという,通信機能を活用した学習が盛んになりつつある。これは,学習を個人的に閉じた知識や技能の獲得とするのではなく,社会的なコミュニケーションを通じて,開かれた実践的な知を形成することと考えられるようになってきたことが背景にある。
 もちろん,提示型や個別学習型のCAIの需要が減ったわけではなく,この方面でもより優れたソフトが蓄積されつつある。発展的で実践的な学習に重点が置かれるようになると,一方では基礎的な知識の獲得や理解を促すために,こうしたソフトの力を借りる必要が増えてくる。教師としては,学級,学校,地域,社会,…といった他者との関わりの中での学習の場を設定するとともに,個々の学習者が自らの関心と必要に応じて個別学習できるような環境をも整えていく必要がある。その中で,コンピュータがどのような役割を果たしていくかを考えるのが,現在コンピュータと教育をめぐるもっとも大きな課題といえるのではないだろうか。

5.「教育ソフト利用研究会」と本書について

 私たちが,教育用ソフトウェアの利用のための研究会を発足させたのはほぼ2年前である。会の趣旨としては,市販のソフトウェアをどのように利用していくかを提案し,実践を報告して検討しあうことであった。単なるソフトの使用体験報告に流れないように,授業のねらいと展開を中心に考え,児童・生徒にどのような学習が成立するのか(したのか)を問題にしようとしてきた。
 実際には,まず,「このようなソフトがあるので,試しに自分で使ってみて,活用のしかたを考える」,それから,「複数のメンバーが,それぞれの授業の中で利用してきて報告する」という順序で研究がすすむことが多い。これは,「どのような授業をしたいのかをまず明らかにして,そこからどのようなソフトが必要なのかを考えるべきだ」という「正論」からすると,一見話が逆のように思えるかもしれない。ただ,現実には,この「正論」は必ずしも有効ではないことがわかる。ソフト自身に触れてみて機能を知ることなしには,「どのような授業をしたいか」という発想もなかなか豊かなものにならない。道具があって新たな用途を考えるのと,用途に合わせて道具を作ったり選んだりするのとは,どちらが正しいともいいがたい。「こんなソフトがあるなら,こんな授業ができそうだ」ということで,それまで思ってもみなかったアイデアが湧くことも少なくないのである。
 ともあれ,このような研究会ができてから,私も多くの先生方の実践報告をうかがうことができ,たいへん刺激を受けた。実践報告とは不思議なもので,それに触発されて,報告者の考え方を知るだけでなく,聞き手が自分の教育観に気づかされたり,議論を通じて新たなアイデアが生み出されることもある。報告者が自分の実践の改善のために意見を受けるだけではなく,メンバー全員が自分の実践や理論と結びつくような示唆を得ることができる。
 本書は,そうした研究会の活動の一つのまとめとなると同時に,教育関係の方々に広く読んでいただけるよう,CECが機会を与えてくださったものである。「活用事例集」ではあるが,ソフト自体の紹介ではなく,あくまでも,「どのような学習・教育場面を設定したのか」,「その文脈の中で,ソフトがどのような役割をもっているのか」を見ていただけるように構成されている。コンピュータの教育利用にたずさわる多くの方々の目に触れ,そこから新しいアイデアや議論が生まれることを,研究会のメンバーの一人として,願ってやまない。

CEC HomePage平成7年度市販ソフト実践事例集