第 3 章 

座談会

教育ソフトの活用と今後について

これからの市販ソフトを活用について

松沢
 コンピュータを道具として使おうと考えた とき今までにどんな実践をされてきたか紹介してください。
鈴木(茂)
 小学校5年生の社会科の「森林」の授 業では,コンピュータは資料を検索するデータベース機能の他に,発表の手段として 活用しました。子どもが選べる発表手段としては,いろいろなものがあります。今ま でも,ペープサート,紙芝居,新聞,OHP,模造紙や画用紙に書く,劇化などを行 ってきました。社会の発表でも,「米の生産とその時の人の工夫や努力」などについ て,劇で表現していました。どのような表現手段をとるかは,伝えたい内容にもより ますし,子どもの個性に応じて選んでいっていいと思います。コンピュータもいろい ろある表現の一つとして子どもが自分で選んでいっていいと思います。絶対コンピュ ータでなければならないとか,絶対コンピュータではいけないということはないと思 うのです。どんな学習道具を使うのか,つまり三角定規にしろ,コンパスにしろ,コ ンピュータにしろ,その特徴を知った上で使う使わないは子どもに任せていきたいと 考えています。先ほどの「森林」の授業では,子どもたちはコンピュータの様々な機 能を活用して発表資料作りに取り組んでいました。コンピュータのどの機能を使おう か考えてグラフを書いたりビデオを取り込んだりして,自分たちの発表を分かりやす くしよう,質を高めようと努力をしていました。中には模造紙に手書きで書いていく 子どももいましたが,グラフだけはコンピュータで書いた方がきれいで速いので,プ リントアウトしてそれを模造紙に貼り付けていました。わたしは,これでいいと思っ ています。それぞれの道具には良さがあり,それを選んで行くことで自分の表現活動が できると考えています。
坊野
 低学年の子どもの場合には,学習の興味づけ ・意欲づけというところがメインになると思います。子どもが表現をするときには,い ろいろな表現手段を用意しておくことが必要だと思います。例えば詩の学習で自分の 作品を表現するときに,文を書いてそれにあった絵を描く表現手段はいろいろありま す。画用紙に描いて表現する,コンピュータを使って表現をする。そういう風に学習の 道具の一つにコンピュータを加えることによって,いままでとは違った表現方法・手 段を見つけることができます。子ども達が黒板とチョークだけ,教科書とノートだけ の世界からコンピュータを学習の中に位置づけて使うことによって子どもの学習の場 が広がっていく,子どもがもっと意欲的になるそういうものであればいいんじゃない でしょうか。
金井
 私は中学校ではコンピュータを使うことで 科学的な学習ができるという視点でコンピュータを使っています。単純に知識を入れ るのではなくて、コンピュータと対話するとか,使う過程で仕方なくでも子どもが科 学的に何か考えなければならないとか,生徒の思考を加工するための道具として使っ てきました。
坂本
 今の金井先生の話と共通するところともあ ると思いますが,現在私は高等学校でプログラミングをさせる授業を行っています。 高等学校の数学で扱う関数や微分積分の学習では、学習者がグラフの変化の状態を目 で見ると理解が深まるという理由からです。例えばグラフの概形を描きなさいという問 題を解く場合、筆算では1題解くのにおおよそ30分近くかかります。その時間をか けて、描いたグラフについては理解しますが、そこで指定した関数の一般的な特徴ま では分からないわけです。これまでの学習では、実際に計算した関数についてのみ理 解し、一般的な特徴については想像するしかなかったわけです。ところがパソコンを 使って描くことができれば、パラメータを変えることで、こういう式のグラフはこう いう特徴を持っているということを調べることができます。ある関数の式の特徴から、 そのグラフの性質を調べるだけでなく、実際にグラフを描いて見て、グラフの性質を つかむという学習は、コンピュータ抜きではできないと思います。このような学習を 行うためのプログラムを作らせます。既存のプログラムを使うだけの学習よりも、お 粗末なプログラムでも良いから、自分で作って使う方が何倍も勉強になります。自分 で作る過程で随分数学的な知識が要求されるし、その知識を活用する行為が学習とし て意味があるのではないかと考えています。いずれにしても、本来チョークと黒板では やりたくてもやれなかった学習が可能になる点が、コンピュータの利点としてあげら れると思います。
金井
 その考え方というのは,鈴木勢津子先生の 全部コンピュータを使って考えるより,子どもが選んだ方がいいというように気軽に 考えているんだということと反対の意見のような気がしますね。私も子どもが自由に 選べばよいというのには反対なんです。コンピュータのソフトでもプログラムでも何 でもそうだけれども,コンピュータを通すことによって何か今まで子ども達が知らな かった考え方とか気付かなかった考え方とか体験をさせたいなと思っています。だか ら選択でなくて無理矢理でも使わせたいと考えています。 

 校種による違いから

松沢
 コンピュータのよさが生きるというところ が小中高で違うのかという事がでたんですけれども。小学校ではどうなんですかね。
内田
 よく算数なんかでコンピュータへ行かない で自分でずっとやった子がいて今日はよかったですねと指導者が誉める場合があるん です。それを誉めるべきなのかなと思うんです。それから私は金井先生がいうように 無理矢理使うというのも抵抗があるんです。両方とも成熟してないっていうか。
鈴木勢津子
 そうすると市販ソフトがあまりよく できてないから,算数の研究授業か何かしたときに使わない子どもがあってよかった ですねと言われたということですか。
内田
 二つあるんですよね。一つは市販ソフトは 子どもの思考にあっていない部分が当然あるんです。だけどその子にはあっていない んだけども,合う子もいっぱいいるんです。そうすると先ほど言われたように使っても 使わなくてもいいという制約の中で物事をやっていきますよね。今の状態では,ファ ジーなソフトというか分岐がいっぱいあるようなソフトというはそんなにないですよ ね。
鈴木勢津子
 でもAのソフトとBのソフトとCの ソフトと用意して,授業を展開したらどうでしょうね。
内田
 実際問題買えないんですよ。うちの学校で は算数のソフトはいろいろ入っていて子どもが自由に選べる環境が他の学校よりある と思っています。でもある題材によっては,あるものすべては使わない。それでも少な いんですね。
坂本
 一種類しかソフトがなくてもそれはそれで かまわないのではないでしょうか。コンピュータでこうやったらだめだった,ああや ったらよかったという試行錯誤をすればいいと考えられませんか。そのソフトででき るところは使って、限界のところは,人間が手でやればいいというようにです。
内田
 でもできることをするというのは,できな いところは使わなくていいということですね。
坂本
 それはそうですね。
内田
 その考えでいくと授業の中で子どもの欲求 が使いたくないというなら、あったら使わなくていいということになりませんか。
坂本
 そのことは,単純に一般化できないのでは ないでしょうか。コンピュータを使って何をするかによると思います。私がさっき申 し上げたのは,例えばグラフを書くのに手で書いたら30分,1時間かかるものが、 コンピュータを使うとそれこそ10秒、20秒で終わります。この恩恵は皆が受けて良い のではないでしょうか。先程述べたような、ある関数のグラフの特徴を調べるというよ うな学習は、係数にいろいろな値を代入してグラフを描いてみて、その結果を基にい ろいろな考察を行い、関数の特徴を学習する構成になっています。この場合、コンピ ュータを用いたくないという生徒がいたとすれば、この学習は物理的に不可能になっ てしまいます。一方、例えば絵を描く場合に,表現手段の選択肢の一つとしてコンピ ュータが合った場合、コンピュータを選択しないということは当然認められることと 思います。
内田
 そうするとある授業の中である特定の,例 えば小学校の場合ですとグラフの問題にしても速くできればいいのかなという段階が あると思うんですよね。
坂本
 そういう段階もあるんじゃないですか。
内田
 そういう段階もあるし,逆に言えば,覚え たことを自分でできるという段階もありますよね。
金井
 私は,学習の中で解決方法を選択できる場 面とその方法を必ず経験させなければいけない場面があると思うのです。今,コンピ ュータを使うことによって子どもが感動する場面が少ないと感じませんか。「あ,パ ソコンて言うのは本当に有効なんだな。」という感動の場面をうまいタイミングで学 校でだしてあげれば納得できるけど,全然役にも立たないようなところで無理にプリ ンターを使えなんてことはないですかね。
松沢
 では,みなさんは子どもや生徒を感動させ た経験はお持ちですか。こういうところで活用したときに子ども達の感動は大きかっ たたという実践について紹介してください。
金井
 ワープロで言えば発表原稿ですね。文集原 稿とか発表原稿はもう完璧にパソコンが手書きよりいいんじゃないかな。
松沢
 うちの学校でも手書きの卒業文集をやって いるんですが,どうしても書けないというか,書きたくないと言う子がいたんです。 それに手を焼いた6年の担任が,ちょっと乱暴な男の子だからくすぐってやればやる んじゃないかというんでワープロを使っていいぞと声をかけたんです。普段作文も書 かない子が4日かかって自分の卒業文集を書いたそうです。その子は,今まで本当に 作文なんて1枚ぐらい書くのが精一杯だったんですが,ワープロでとにかく打ちたい からと,「先生今日はやらないの。」というんですよ。土曜日の午後だったので残し たくなかったんで、担任は,「月曜日にしようね。」と言ったんだそうですが,いや 今日やりたいということがあったというんです。そういう意欲をそそるような位置づ けがあるんだなと思いました。
坂本
 本文でも書きましたが、導関数の学習など はそうだと思います。導関数は、整関数だったら筆算で計算できますけれども,ちょ っと複雑な合成関数だともう筆算では不可能になってきます。ところがコンピュータ を使うと、導関数のグラフの概形は簡単に知ることができます。この手計算では不可 能であったことが、コンピュータを利用することで可能になったということに対する 驚きは特筆できると思います。これはコンピュータを利用したことで味わえる感動と いって良いのではないでしょうか。
金井
 結局そこまで行くと指導者の問題だと思う のです。感動を味わえるようにうまく提示できるかですね。だから,音楽のリコーダ ーみたいなもんで,十分に技術を鍛えないでピコピコやってたらリコーダという楽器 の演奏はこんなもんと思うはずですよね。
内田
 だからいずれにしてもそういう状況に子ど もを追い込むっていうと変なんだけども,必然性がなければ子どもは使わなくてもい いと思うんです。でも必然性に追い込んでしまえば,使わざるを得ないんだから使う のが当然なんです。だから,授業の展開にかかってくるわけです。でもそういうこと 言てっしまうと,ソフトは関係なくなってしまいますね。
鈴木勢津子
 今はまだ子どもが飛びついてくる時 代だと思うんです。小学生の場合はまだ十分に触れていないと言ってもいいのですか ら。ただ先生の話を聞く授業よりは楽しいですよ。
青木
 音楽の場合は,特に個人差が激しいからで きない子,特に男子が欲しいって言います。昨年の実践でもそうでしたが,今年やった ソフトもやはり男の子の方が喜びますね。
坂本
 それよく分かりますよ。できないことをコ ンピュータを介することでできるようになる。これは使いたくなりますよね。できる ことをコンピュータでできてもあんまりうれしくないけども。
仲川
 だから表現の手段として使ったときに,音 楽だと,リコーダーかなんかで考えて楽譜が先に出来ちゃったものをコンピュータに 入れてそれが流れるときれいに聞こえます。それから私が前やったのは詩など子どもの 作品を全部活字にしてちゃんと印刷すると本みたいになりますよね。きれいに。そう いうのって子どもってぱっと見て自分が書くと下手な字なんだけども活字になるとい い作品に見えるとかという,単純に一つの表現手段として使うとこれいいなと思いや すいと。簡単には,確かに自分の字の方が味わいがあったり,自分でやっているよさ もあるんだけども。単純に苦手だと思っている子にとっては,表現手段というのは一 番手っ取り早く感動はしやすいと思います。
市川
 今までの話を聞いていると,次のようなこ とがいえると思うんです。教育とコンピュータがどういうことに関わるかということ について古くは大きく二つの考え方があったんです。一つはプログラム学習,ティー チングマシン,その延長で,教科の知識を習得させるのに,コンピュータを使おうと 言うCAIの考え方です。一方ではコンピュータリテラシーという考え方があったわ けです。コンピュータというのはこれから先大人になったときに不可欠の道具になる だろうからその操作を習得しておかなければならない。当時60年代ぐらいですけど も,そのとき何をするかと言えばコンピュータリテラシーとしてプログラミングを考 えていました。それがだんだんアプリケーションソフトが出てきましたから,習得す べきものがだんだん変わったにせよ,やっぱり基本的にあるのは,将来必要になる技 能だからということでのリテラシーという考え方があるわけです。その二つが,少し 古くなってきて,代わって出てきた考え方というのがやっぱり二つあると思うんです。 一つはそのプログラミングの延長なんですけども,プログラミングそれ自体が役に立 つから,やっておこうと言うんじゃなくて,プログラミングというタスクを通じて思考 力を伸ばそうという考え方です。これには,ロゴもそうだと思うんですが,間接的な教 育的効果というのがいろいろあるんじゃないかということですね。ロゴをやったから, 将来ロゴで仕事をするとか,生活に役立つというわけではないんですけども,やっぱ りすごくいい面がありますね。小学校低学年くらいからでもそういう教育実践がある わけで,これは直接役に立つというよりは,そういう思考力を伸ばすというのがあって, できたらすごくうれしいでしょうし,アルゴリズムを考えて,デバックをしてそれで 一つの作品としてできあがるっていう経験はすごく大きいと考えられます。ただ,今 は,どちらかというとあんまり多数派ではないです。今多数派なのは,これはどちら かというとアプリケーションソフトの習得の延長なんでしょうけども,ソフトの習得 そのものに目的があるんじゃなくて教育そのものが,その課題解決,問題解決,表現 というようなことに重点が置かれるようになってきて,その中の一つの手段としてコ ンピュータを使っていくということです。情報活用と表現の一つの手段としてコンピ ュータを使って行うことです。小学校の先生方はどちらかというとその考え方があっ ての発言だったんじゃないかなと思うんです。この場合には,コンピュータは一つの 道具で,むしろ大事なのはその問題とか表現の方であって,コンピュータは一つの手 段として使えればいいではないかということです。むしろそこで考えなくちゃいけな いのは,どういうことを課題として設定するか,どういうような課題状況に子どもを 追い込んでいくかということでしょう。教師の方でも,課題設定をしてその中でコン ピュータが本当に役に立つ道具なんだなということを実感できて,操作も付随的に習 得できるようなそういう授業を考えているんです。
 子どもにとって使いやすいソフトがどん どんでてくればそれだけ本来の課題の方に注意が行くわけですから。ほんとに使いや すいソフトができるにこしたことはないですね。最初の考え方でいくと,あんまり使 いやすいソフトは,かえって思考力を育てられないということですね。プログラミン グの時でも,ある程度自分で考えて制約があるところを乗り越えていくところが思考 力なんで,あんまり便利すぎるプログラミング言語ができるよりも,ある程度基本的 なPASCALやBASIC,ロゴなどのソフトで,工夫して組み立てていくところがむしろ教育的なんだと思います。教育目的が違うと要求されるソフトのあり方も違ってくると思 います。

 今後の教育用ソフトに関して

松澤
 最近のコンピュータを活用した授業から感 じていることはありませんか。
小野内
 ロゴの指導をしたときに初期の指導でよ く正方形を書かせるんですが,それを多角形に広げていって子どもに自由に使ってや らせていきます。そして,頂点の数をだんだん増やしていくと円に近づいていくこと を子どもが自分で発見したような場合にすごく感動をさせられることがありました。 それがわりと算数得意でない子からでて来たりするとこちらもすごくうれしくなって しまいます。そういう発見というのは,力になっていくんじゃないかなと思っていま す。さっきのお話じゃないですけどもあんまり至れり尽くせりのソフトだとなんにも 考えないんじゃないかなと日頃感じています。
松澤
 使いやすいソフトと使わせたいソフトって いう話になってくると思うんですけども,今でたあまり親切なソフトじゃない方がい いということですが,最近はかなり画像もきれいになったり,音がついたり,プレゼ ンテーション的には,質が高い物が出ていますよね。そういう面から考えても,使わ せたいソフトや使いやすいソフトっていうのは,どんなソフトなのでしょうか。
小野内
 ゲームで例えていうと一番出始めのゲー ム機は,絵が角々してたり,音が何かすごく乱れたりしてました。最近のゲーム機み たいになめらかな絵や音が出ていてもどっちが面白いかなという話になりますと,ゲ ームとしての本質が面白くないとプレーしていても面白くないと思います。教育のソ フトも同じで,つぼを押さえていないと授業では使えないし,子どもが感動しない気 がしますね。
内田
 そうですね。導入で意欲づけに使いますよ ね。パソコンを使うと意欲がわくと言いますけども,それはパソコンに対する興味を 意味していることが多くて,広く教科に対する興味をどう持たせるかが問題ではない かと思っています。今のソフトの中で,変な言い方なんだけれども,オープンエンド じゃないソフトが多いですよね。例えば算数では,ある一つの解き方はわかるけれど もほかの解き方はわからないものが多いと思うのです。自分がソフトを作るときには, 逃げになってしまうかもしれないですが,「君の考え,なかなかユニークだね。先生 に聞いてみよう。」というコマンドがあるんですよ。教師がその部屋にいるわけです から,コンピュータでそれに対応しきれなければ教師が話をすればいいなと私は思う のです。
石本
 基本的に市販ソフトというのは,学校の要 望を入れても売れないという考え方で作られているものが多いのです。それで何をす るかというと,一般の家庭にも売れる作り方をするのです。私たちも実際そこらへん で悩みます。こちらから逆に一つうかがいたいんですけども,理科の授業で生物とか 植物を成長させたりする授業がありますよね。じゃあれがよくて,どうして「たまご っち」は悪いのか。そういう考え方というのはないんでしょうか。「たまごっち」と やってることは同じだと考えられませんか。
金井
 私は理科担当だからあえて言いたいんです けども,今教科書だけ見るとすごく[知識・理解]の部分が多いのですよ。例えば生 物に関してもそうです。実際に,理科というか科学の中で生物を育てたり,地層を調 べに行ったりと野外観察や生物を扱った観察があるわけですが,それをやらないと理 科ではないと思っています。「たまごっち」は,理科で言えば[関心・意欲][知 識・理解]はあるんだけど,理科的な生活を教えないんですよね。
石本
 例えば今の話から入っていって,とっかか りがまずありますよね。それをもとにして理科的なところに広げていくという考え方 でコンピュータの市販ソフトを使うことはできないのかと思うのですが。
金井
 そこまでいけばいいと思うんですけどもね。
鈴木勢津子
 そういうソフトがあればいいですね。 メーカーの人には子どもが見て感動して調べてみたいとか,やってみたいと思うよう なそういうソフトを作ってよってよく言っているんです。
石本
 それは,お金がないのと知恵がないのと2 つの理由でできないのだと思います。
鈴木勢津子
 知恵は,先生方に聞けばいくらでも 出してくれるはずですよ。
石本
 できない理由はほかには3つほどあります。 まず,商売として成り立たなくてはいけないですね。そして,学習指導的な見解を持 たなければいけないし,マルチメディアとか画像的なことやサウンド的などの三角形 のバランスがとれていないといい物ができないんじゃないかということもあります。
内田
 いやそうとは限らないと思いますよ。子ど もが喜ぶソフトというのは,画像がきれいだとかということは見た目であってきれい だから必ずしも最後まで使うかというと,使わないですね。それだけでは,つまんな いですから。
石本
 きれいなだけじゃだめですね。
内田
 画像がよいだけじゃなく,その中に本質的 なおもしろさ,それがないソフトというのは使えないです。最終的には,淘汰されて くると思うんですけどもね。
松澤
 そういえば大川原先生の学校でもコンピュ ータを活用して昆虫の学習をしていましたね。
大川原
 私の学校は生き物の少ない都会の学校と いうことで授業の中では身近にいる少ない昆虫や植物を扱って,かつコンピュータで 調べようということなんです。やはり,感動とか何とかというのは,生の体験じゃな いと情報量が全然違うと思うんです。臭いや動きは生の体験でないとわかりませんね。 飼っている途中で病気になってしまえば,授業を受けなければいけないことはわかっ ていても,どうしても獣医さんにつれていきたいというのもとちゃんと考えるんです ね。たまごっちは,隠れてやるぐらいですよね。やっぱり体験の情報量の違いじゃな いかなと思います。
鈴木勢津子
 本読んで感動して涙する子はいます よね。でも,ゲームの画面を見て感動するというのがほんとなのかな。何かが違うん じゃないかなと思っているのです。
金井
 やはり子どものレベルと大人のレベルって 違うと思うんです。子どもの時に絶対必要なのは人間ていう教育のバックボーンだと 思うんですね。だから例えば飼育小屋の話だって,そこにいるウサギや鶏だけが教材 じゃなくて,それを飼育している先生だとか飼育係とかという人間すべてが教材なん であって,やっぱり自分が理科を教えようと思ったら自分の体験談とか,生徒と一緒 に山を歩くとか,そのときの汗だとか臭いだとかつらさだとか,それが全部理科教育 だと思うんですけども。
内田
 本当に先生が理科好きで花をしょっちゅう いじっているんですが,私も学校全体の緑化担当なので,子どもと一緒に作業するこ とが多いのです。いつの間にか子どもがいうんですよ。「先生芽がでてきたよ。」っ て。それまでは平気で踏みつぶしてた子達が言うのです。栽培委員会に入る前までは 平気で踏みつぶしてたのが,栽培委員会に入って1年間種からやっていくと苗を大事 にするんです。やっぱり関わりの深さによって人間変わっていくんですね。「たまご っち」の場合は深さが足らないのではないでしょうか。
鈴木勢津子
 いや,あれでは深さは出ないんじゃ ないでしょうか。
内田
 要するにバーチャルリアリティーじゃない けども,それで全部経験したつもりになってしまうのありますよね。
仲川
 コンピュータっていうのは再現性があるで しょ。あのたまごっちにしても,1回殺したらそれが2度と使えないとなったら,必 死だし悲しむと思うのです。そのへんの再現性というのはいいところだと思うんだけ れども,だめになったら又やればいいやというところが,感動を減らしてるんではな いでしょうかね。
鈴木勢津子
 テレビでも同じではないでしょうか。 こっちの場面で生きている人が向こうの画面で死んじゃうでしょ。だから子どもは命 について今考えなくなっているんではないでしょうか。
仲川
 実際の生物とか何かは,例えば動物が死ん だらもう戻ってこないっていうのがわかるからだと思うんですね。
大川原
 理科の教科調査官の角屋先生がそれおっ しゃっていましたね。命の大切さっていうのは再現できる物ではないんだから実物で やることだと。だから理科で動植物を扱うことが命の大切さでを学ぶためには必要だ ということです。
仲川
 逆にいうと,コンピュータの利点はそこか も知れないですね。再現性があるというのは,ある意味では感動を減らすことも多い のかもしれないけども,そういう使い方をしていけばいいのかなと思います。
大川原
 立体の展開図の学習場面で一つしかない 自分のを壊していまうとなると不安なんですね。やっぱりコンピュータだといろいろ な展開図ができるということを,自分が想像して確かめることが何度もできるんです。 そのへんは子ども達がいろいろな再現ができるということで,コンピュータを使うと 今までは,実物と教科書の表現しか知らなかったけども,画面の中でこうやって動い ていくというその中間地点ていうんですかね。コンピュータは実物とプリントメディ アなんかの三次元空間の中間のことが,自分で回転させたり切ったりすることができ るので,すごくよくわかった,と言うんです。「コンピュータってすごね。」ってい うことがありました。CAIみたいな流れじゃなくて,自分が好きなように展開して いくし,又逆にやってみたい子は,立体を平面に表すにはどうしたらいいかというこ とで,もう一回コンピュータを見てやるとか,いろいろ広がっていくのがあって,オ ープンなソフトだなと思うんです。
内田
 そこで私は思うんですけども。自分でそう いうことはいいなと思いつつも,仮想現実と現実は違うんだから区別して見なきゃわ かんないだろうと,何で子どもは疑問を持たないのかなと。「本物を何自分で切って 確かめなくていいの?」と,しょうがなくていうんですよね。こんなシミュレーショ ンが正しいと思ってはいけないよといって授業をやったことがあるんですよ。そうや っていながら自分の説明で「正しいんだよ。これは。」とか言いながら,授業をやって いるんですけども。
松澤
 今出た感動の問題ですがね。再現性の与え る感動は,実物に触れることで得られる感動とは,やっぱりちょっと質が違うんじゃ ないかと思うんですよね。
大川原
 だから子どもがどっちをねらってるかで す。いろいろ見てみたいと思っているときと,一つのことをじっくりやってみたいと か。「ほんとうはどうかな。」というのは,やっぱり子どもによっては自分で見てほん とにできるのかということを調べるのに,展開図を書いてもう一回切って組み立てる という子も中にはいますね。ただ逆に導入のとき気をつけなきゃいけなかったなと思 ったのは,再現が簡単にできるからあんまり予想したりとかせずに安易にコンピュー タを使うことでした。パッパッと簡単にできちゃうということで,ほんとのコンピュ ータのよさがわかんなくなっているんだなと思いました。
鈴木勢津子
 私がみなさんにこのごろ聞きたいの はエデュティメントソフトのことです。ほんとに単純で,先生がソフトの使い方知ら なくても子どもがどんどんできるんですね。そういうもので授業をずーっと展開したと きには,すごくきれいな授業ができるのです。だけど実践していくと簡易言語みたい なのを使ってソフトを作ろうと問題を持つようになりますよね。例えばゲームでもい いと思うんですが。単にまねるようなゲームを作っていこうというときには,いろい ろやるわけですよね。試行錯誤や失敗もある。それでどっちがずうっと大きくなって から覚えていてくれるかなというと,自分達が混乱した方ね。ほんとにそれは細かく 覚えているのね。「あのときにこうしてこうしてこうしたときにだめになったから, もう一つこれをやった。」って言うものです。それがエデュティメントソフトではい っぱい情報があって,それをきれいにまとめて,きれいな表現で発表したものになっ ているんです。こういうのは全然忘れちゃうんですね。先生の指導の中でも,全部覚 えていたら頭パンクしちゃうから,一年間の内でこれだけというものがなきゃいけな いんじゃないかということは考えられませんか。最近すごくこのことを感じています。
大川原
 研究授業とかでは,そういう混乱すると ころは見せられないというのがあるから,親にも授業参観ではしっちゃかめっちゃか になっている,まあいい意味ですけども,親にとってはうちの子達ほんとに学校で平 気なのかしらと心配になっちゃうというか。実践例とかいうと,きれいにしてしまうの は,我々の悪い性分でしょうかね。
内田
 パソコンを使うと考えない子でも答が出ち ゃうんじゃなくて,パソコンを使うと考える子ができるとものを考えていけば,パソ コンのよさはあるんですよね。

 パソコンで考える子

松澤
 考えさせる,思考力を育てるソフトという のはどういうソフトですか。
内田
 市販ソフトを使うとき,授業のまとめにシ ミュレーションソフトを使いますよね。見せながら子どもに言葉を入れさせます。そ して授業を振り返らせるわけです。そうすることによって子ども達の思考力を伸ばす ことができると思うんです。同じソフトでも提示に使うか,まとめに使うか,思考を 援助するために使うかによって効果は変わってきますね。その使い方を選ぶことがで きるソフトがあるとおもしろいと思うのです。
鈴木勢津子
 子どもに選ばせるということには賛 成ですね。
松澤
 ただ,CD-ROMを並べておいても中身が見え ないですよね。それを選ばせるにはどういう工夫をすればよいかが,教師の役割にな ってきますよね。
坂本
 私はソフトウエアとしては不便な方が学習 には利用し易いのではないかと考えています。例えば作図ソフトで重心を作図する場 合、仮に「重心」という命令が備わっている場合、それを使って重心をしるしても学 習にはならない。中点を取って中線を引き、それらの交点を求めて……としなくては意 味がないわけです。またWindows95が全盛の現在ですが,DOSマシンでも十分に授業はで きるわけですよね。プレゼンテーションは Windows95の方がきれいですが,要は使い方 次第ではないでしょうか。ただこれは古いものがいいというのではなく、現在あるも のを最大限有効に使うにはどうしたらいいかという問題になると思います。
内田
 授業の目的がはっきりしていて,選択肢が 多くなれば多くなるほど何をどう使うかということを明確にしないと,パソコンを使 うことによって授業の目的が達成されないことが起こるということですね。
鈴木勢津子
 パソコンに限らず新しい機器が導入 されたときには言われることですね。
金井
 昔,TRONがでたときにその仕様で,キーボ ードの配列とか立ち上がりの時間とかが議論されましたよね。こういう議論がこれか らの教育ソフトを考えるときに必要なんじゃないでしょうか。

 これからの教育ソフトは

松澤
 これからの教育ソフトという話がでました が,こういうソフトなら使ってみたいというソフトがあるでしょうか。
坊野
 先日,算数の授業で,ドリルソフトと自分 で問題を作って取り組むソフトの2種類のソフトを使って授業をしてみました。その 結果,子ども達は自分で問題を作ってやるソフトがすごく楽しかったというんですね。 画面に提示されてその指示通りやっていくとかコンピュータに主体があるようなソフ トじゃなくて,自分が主体的に関わることができるようなソフトの方がずっとのるんで すね。こういうソフトを使った学習は子どもの満足感が高いと思います。これからは 子どもが主体的に関わることができるソフトが求められるだろうと思います。
鈴木勢津子
 算数などでもそうですけど,ソフト を作った人の思い通りでないと授業の中でうまく使えないということが多くて,子ど もの多様な思考を生かすことができない場合が多いですね。解決する手だてを悩んで いる子どもに援助ができるようなソフト,こういう面で親切なソフトを使ってみたい ですね。そうでないと,思考力というものは育てられないと思います。
大川原
 今の問題は,ソフトを開発するときにで てくる問題なのですが,今までのソフトを組み替えてどういうソフトに変えていった らいいか,どういうソフトにしたいのかということがなかなか出てこないんですね。
鈴木勢津子
 組み替える余地のあるソフトという のがいいのではないでしょうかと,企業の方には言っているんですけれどね。先生方 がソフトの中に入れることができるようにしたら先生方は買うんでしょうが・・・・。
内田
 私も今まで関わった中で,組み込んである データや画像を要望に応じてソフト会社で組み替えたり,オーサリングをつけたりし てはどうかと提案したことはあるんですが,途中で中止になってしまったんです。
鈴木勢津子
 これからは,機能もずいぶんよくな ってきたからできるようになるんじゃないでしょうか。
石本
 先生方の要望では自由度を上げてほしいと いうことは非常に多いと思います。しかし,実際子ども達にとっては,自由度を広げた ために,どうしたらいいかと考えてしまうこともよくあることなんです。
内田
 基本的な内容はもちろんしっかりと作って, その上で自由度を上げてほしいということなんですよ。
坂本
 教育用ソフトではないですけれど,音楽用 のソフトで演奏にリズムや音声をこちらの要望に応じて入れてくれるソフトが出回っ ていますね。あのくらいの自由度があるとおもしろいソフトといえるんじゃないかと 思いますね。
金井
 あのソフトには私も感動して,私の子ども にも使わせてみたり,校内の研修会でも使ったりしました。あのソフトには教育用の ソフトの一つの方向性があるんじゃないかと思うんですがね。
市川
 一つ一つのフレーズが自分で作れるように なるともっと楽しめるんじゃないでしょうかね。
金井
 今の例でいえることは,現在使われている 教育ソフトは,敷居が高くて担当者の負担が大きいということです。ですから,CD- ROMを入れればすぐに使えるというものには魅力がありますよね。
鈴木勢津子
 自由度を持たせてほしいというのは, かなりの機能を割いてほしいということを言っているんではないんです。目標は同じ でいいんですが,少し広げられるように余地を作ってくれないかということなんです よね。
松澤
 そうですね。画像を授業にあったものに入 れ替えたり,提示の順序を変えられたりするだけでも,活用の幅は大きく変えられる と思いますね。
石本
 今作られているソフトには,2通りのソフ トの見方があると考えられると思います。1つとしては,ワープロやグラフィックソ フトのように,ツールとしての見方があると思います。そしてもう一つは,ソフトと しての見方で,ゲーム的な見方です。子どもの好奇心をどのように引き出すかという ことにつながる見方です。これは,今の学校教育の中で,国語が好きとか算数が好き といった”好き”という気持ちを育ててあげたり,見方を変えてあげるといったこと です。そこで,ツールとしてみるならば,カスタマイズの必要性は高まっていると思 いますが,歴史のゲームをしていると歴史が好きになっていくというような芽の育て 方を考えると,知的好奇心を育てたいという願いや今の授業でできないような見方を 育てていこうというソフトには,あまりカスタマイズは必要ないのではないでしょう か。
鈴木勢津子
 そういうソフトは学校には入ってこ ないんじゃないでしょうか。だから家庭に広めるということになってきていますね。
仲川
 教師が授業で使うときには,このソフトで はこれしかできないというものの方が使いやすいと思いますが,メーカーが作るとな るといろいろなことができた方がいいと考えることの方が多いんじゃないでしょうか。 そうすると逆に教師は使うときに困ってしまうんですね。
坂本
 新機能を付けてソフトの改訂版が出される ときに、とりあえず利用の間口を広げてみたけれども、実際にやってみるとどれも中 途半端なところまでしか実現できていない場合があります。こうなるとソフトって売 れなくなるんじゃないでしょうかね。試験の得点を比喩にすれば、60点のテストを10 教科揃えるよりも、たとえ1教科だけでも1 00点がある方がありがたいと思います。
松澤
 今までの話をまとめると,これからのソフ トは,1) 子どもの能力を育てる部分を残しておくために,あまり親切なものでない方 がいい。2) 教師の願いとしてそれぞれの授業設計を生かせるように,自由度を少しも たせたものがいい。 ということになるでしょうか。
坂本
 両方満たしてほしいですね。ただ私の考え ている汎用性と作り手の考えている汎用性が違うみたいな気がします。例えば,手紙 を出すときには切手が80円ないと届かないわけなんですが,売る方は79円と80 円はそんなに違わないと考えているようなんですよね。このへんが落とし穴かなと思 うのです。
鈴木勢津子
 これからはよいソフトが続々とでて くると思うのです。予算も少し付くようになったので,本当に授業に生かせるソフト しか売れなくなると思うんですね。
市川
 ソフトというのは目的が必ず絡んできます ね。私は仕事がら統計ソフトをよく使うんですが,教育用に使うといったときに,ど ういう計算のしくみで動いているかを知るにはプログラミングするのが一番いいと思 うんです。計算手続きはわかっていて,それを使って実際にデータ解析をするといっ たときには,いちいちプログラムを作っているのは大変ですから,簡易言語がいいわ けです。それでも大変だということであれば,データ解析に集中するためにメニュー 形式のもので,クリックさえすれば目的を遂げてくれるものがいいかもしれませんね。 それは目的によって違うわけです。逆にいうと,同じソフトであっても目的さえ別の 文脈に乗せてやると生きてくるということもありますね。坂本先生がおっしゃるよう に人によってはDOSマシンで十分使い手があるわけです。人によってはDOSマシンでPAS CALが走ってもしょうがないという人がいるかもしれませんが,坂本先生は,むしろDO SマシンでPASCALが走れば,それだけ思考力が付くような授業が出来るという実践をさ れているわけです。
 私は,メーカにとっても売り込むときに 考えてほしいことは,どういう文脈に乗せればこのソフトは生きてきますという,目 的とのセットで提示してくれることだと思っています。あまり多機能なソフトでも, 現場の先生は何に使っていいかわからない。ところが指導事例がついていれば,なるほ どこういう文脈で使うとこういうふうになるということがわかるわけです。開発の時 にも幾つかこういう事例が念頭にあって,実際に売りに出されたときも事例が付けら れていれば,多機能は無駄にならないですね。どの時代でもハードの制約というのは あるでしょうから,それはやむを得ない面があると思います。ある要望に沿って一方 の機能を強化したら,もう一方の機能はおろそかにせざるおえないとなると,ある先 生にはそれでもいいが,ある先生とってはそれでは困るわけです。常に使う文脈とセ ットにして出すことが重要ではないかと考えます。今回の事例集の意義でもあるので すが,今まではこういう文脈で使っていたけれども別のちょっとしたアイデアでこう いうふうに使うとものすごく生きてくることが,現場の先生のアイデアとして求めら れているのではないかと思います。
一般的にいわれるよいソフトを多機能に 流れてしまうのではなく,どういう文脈や目的で使えるかということとセットで考え ることによって生かせるソフトはまだまだあるんじゃないかと考えます。
松澤
 みなさん,ありがとうございました。今後 は今あるソフトを文脈を考えながら生かしていくことが大切だと思います。それと同 時に,教育現場の要求としてこういう機能は付けられないだろうかとか,こういう組 み方が出来るソフトは作れないだろうか,といったことを常に頭に置いた実践を続けていただきたいと思います。
(記録と文責 狭山市立広瀬小学校 仲川隆雄
狭山市立狭山台南小学校 松澤忠明)

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