3.5 高等学校における生徒の新しい学力、実施体制と指導形態

3.5.1 生徒の新しい学力

 児童・生徒の新しい学力を高等学校段階の生徒について述べる。現在、高等 学校に在学している生徒は、小学校からネットワークを活用した教育を継続的 に受けてきているわけではない。数年後には、100校プロジェクトなどで、 小学校でネットワークを体験している生徒が高校生になるわけだが、この両者 の間に差が生じるのか、生じるとすれば、どのような形でその差が現れるのか、 考えることも必要とであろう。

 では、この差が単にネットワーク体験の量的な差にとどまるのであろうか。 それとも質的な差が認められることになるのであろうか。これに関しては、ネ ットワーク技術が急速に進歩していることから考えると、ネットワーク体験そ のものが、根本的に変化するであろうから、質的な差が生まれることは、おそ らく間違いのないものと思われる。

 また、ネットワーク環境だけではなく、ネットワーク環境の変化とともに、 現在高校生の主たる関心である大学入試形態も変化していくことも視野に入れ ておかなければならない。つまり、大学入試が、さらに多様化し、ネットワー クを活用した体験が入学試験にもプラスに働くことになると、高校生のネット ワークに対する姿勢も現在とは、根本的な変化を見ることになる。

 さらに、教育が多様化し、カリキュラムがさらに多様化するものと見られて いるが、カリキュラムだけではなく、学習環境そのものも、多様な、例えば、 遠隔通信を用いた遠隔授業などが導入されてくると、ネットワークが現在のよ うな学校施設・設備のオプション的な存在から、学習環境の一部に必須のもの として組込まれることになろうし、さらに進めば、学習環境全体の基盤として の位置づけを与えられることであろう。

3.5.1.1 情報教育からの視点

 基礎的情報活用能力から分析・判断・実行する能力へ

 ネットワークが情報教育の中に入ってくることにより、高校段階では生徒の 中にどのような学力が生まれてきているのであろうか。100校プロジェクト が実施された平成6年から8年においては、コンピュータを利用した情報教育 が、実施されていないところが多い状況であった。ここにインターネットが導 入されたわけで、この期間は、言ってみれば「はじめにインターネットありき」 ということになる。

 逆に言えば、生徒にとって、コンピュータはネットワークの手段であるとい う意識が最初から生まれたということになる。つまりネットワークでコミュニ ケーションを行うためにパソコンを使うのだという意識である。

 これは、パソコンから入ってインターネットを始めた教員との間に意識のず れが生じる原因にもなるかも知れない興味深い問題である。現在、情報教育を 主担する教員はコンピュータをプログラム言語を使って操作してきた人が多く、 パソコンをコミュニケーションの道具として使うよりは、ハードや言語に関心 があるというケースも多い。逆に、友人とのコミュニケーションを大事にする 女子生徒などの場合、コンピュータを情報教育の教育器材として意識すること なく、コミュニケーションの道具として使いこなしていくことが十分予測され ることである。

 では、実質2年間の100校プロジェクトに参加した生徒は何を身につけ、 何が身につかなかったのか、情報教育の視点から考えてみる。  まず、インターネットの利用で圧倒的に多く見られたのが、e-mailの利用で ある、100校プロジェクト参加校では、サーバが参加校に提供されたことに より、ユーザーIDを生徒個人に発行することができた。このため、100校 に参加した学校の多くは、生徒にアカウントを発行している。コンピュータク ラブなど特定のグループに発行しているところもあるが、クラス全員に発行し ているところも多い。

 e-mailを使うためには、タイピングやワープロの技能が必要となるが、ワー プロ検定を受験させる商業高校ではタイピング能力が高く、普通高校では、カ リキュラムの中で教えているところは、ほとんどない。このようにタイピング 能力に関しては学校や校種によって差があるが、いずれにしても、e-mailを書 くことによって、あるいは、e-mailを書くためにタイピング能力が身について いく。

 次にインターネット利用の中で多いのは、ネットサーフィンである。特に生 徒に人気の高いのは、芸能やスポーツ関係のページである。このように生徒個 々により趣味や興味が異なるが、ホームページをブラウズすることにより、情 報を得たり、情報入手方法を身につけるだけではなく、ホームページのデザイ ンについても感性が自然に身についている。

 生徒にアカウントを発行している学校の中には、生徒個人に生徒やグループ のホームページを作成させているところもある。HTML言語を使ってホームペ ージを作成することにより、一種のコンピュータ言語を学習していることにな るわけである。

 また、ホームページを構成するものとして、HTMLやテキストだけではなく 写真やイラスト、音声、ビデオなど、いわゆるマルチメディア作品がある。こ のことは、ホームページ作成は、HTMLを通じてインターネットやコンピュー タのシステムの理解だけではなく、マルチメディア作品の制作をも含む幅広い 活動を伴うことを意味している。

 もちろん、ホームページ作成にあたっては、他人の作品の使用、つまり著作 権の問題や映像権の問題、ホームページ公開にともなう危険性など、インター ネット倫理に関する問題も理解させておく必要がある。100校参加校の中で も、この問題に早くから取り組んでいる学校もあるが、逆に、その危険性を心 配して、生徒個人にアカウントを発行することに慎重になっている学校もある。

 以上を時間を意識せずに行う非同期の活動とすれば、チャットやCU-SeeMe など同期の、つまりリアルタイムの活動も積極的に活用されている。これは、 チャットやCU-SeeMeの操作や性質について学習するとともに、学校や地域、 空間、年齢や身分、性別や立場を越えた人々との幅広い交流を可能にしている。

 チャットは顔を合わせないため、タイピングが早ければ、顔や容姿を意識す ることなく、自由に自分の感情や意見を表現することができる。また、文字が コミュニケーション主体であるため、チャットに集中できる面もある。

 CU-SeeMeは、まだ、現在の段階では画質をあげると音質が劣化したり、音 がほとんど聞こえない状況が報告されていて、技術的にはまだまだ完成度が低 い状況である。したがって、一部の学校をのぞいては、相手の画像を見たあと で画像をポーズさせたり、ビデオ送受信を停止させて、チャットを行っている。 したがって、内容あるコミュニケーションを行うまでには至っていないという のが現状である。

 現在のところ、CU-SeeMeの効用としては、E-mailなどで交流するパート ナーの顔を見ることで親しみをまし、それ以後の交流を深めることに役立てる という利用が一般的である。もちろん定期的にアメリカとCU-SeeMeで接続し て、音声も電話並みのクオリティーで、会議を行っている学校も例外的には存 在しているし、CU-SeeMeのようなテレビ会議に対する学校側の期待が高く、 各地でCU-SeeMeの接続実験が繰り返されている。今後、回線やCU-SeeMe などのテレビ会議システムの改良により、新たな展開が起き、教育現場での活 用方法が変化することであろう。

 インターネットの利用方法として、掲示板が注目されている。これはメーリ ングリストやE-mailなどと異なり、議論の展開を過去にさかのぼって閲覧で きるため、議論の流れがつかみやすく、議論に気軽に参加できるという特徴が あるからである。問題点としては部外者が議論の流れとは無関係な書き込みを 行うことも起こっているので、非公開にしたり、書き込みはパスワード入力を 求めるという形で制限を加えているところもある。

 掲示板を通じた意見交換では、議論がスムーズに流れるように配慮した書き 方やマナーを身につける必要がある。CU-SeeMeやチャットのようなバーチャ ルな空間でも、現実のフェイス・ツー・フェイスの会議でも、リアルタイムで 発言するのが苦手な生徒が、じっくり考えて発言できる電子掲示板のような非 同期の場では、積極的に発言したり、リーダーやコーディネーターのような役 割を果たすことも報告されている。

 インターネットの様々な機能を使うことで、これら機能を修得するとともに、 インターネットが生徒の多様な要求や能力を発揮させる場を提供している。特 に、高等学校の生徒の場合、単に情報収集するだけではなく、これを分析し、 判断をくだし、報告書や論文の形でまとめていく能力が、養われるし、養うこ とを目的とすべきである。これらは、インターネットの即時性、双方向性、ま た、空間や時間、立場などを越えた機能や性質をフルに使うことによって、従 来型の教育ではできなかったことが可能となる。

3.5.1.2 既存の教科からの視点

 インターネットを教科で利用する方法が高等学校でも模索されているが、ま だ、試行錯誤を繰り返しているというより、試行錯誤の段階までいっていない というのが現実である。もちろんインターネットの世界で共通言語的な役割 を果たしている英語の場合、授業でも応用範囲が広い。英字新聞やE-mailな ど、英語の文章を読解していかなくてはいけないし、CU-SeeMeでは、実際に 会話をしなくてはいけない。それでも十分活用されていない理由としては以下 の点があげられる。

 まず、学校におけるインターネット環境が整備されていないことである。イ ンターネットリソースを検索して情報を入手しようとしても現在の環境では、 生徒が授業時間に与えられた課題やテーマについて、自由にインターネットを 利用できない。インターネットはコンピュータ教室に行かないと使えないので ある。

 また、高等学校の場合、既存の教科のカリキュラムが教員個人の裁量にまか されていないことも多く、自由な教育展開がむずかしい。

 ただ、今後、ネットワーク環境が整備された場合、教科でも利用する方向に 進むよう求められることになろう。基本的には、カリキュラムで設定されたテ ーマや課題を達成するためにインターネットの一部機能を利用するという形に なるものと思われる。インターネットがマルチメディア教材の提供の場として 利用されるようになれば、これまで教科書を中心に提示されてきた教材が、映 像や画像、音声で提示されることになるし、生徒が主体的に追求していくこと により、生徒に与える感動やインパクトが大きくなる。これまで教員が知識伝 授の形で教えていた教科学習が、生徒の自発的な学習形態に変化していくこと も大筋としては間違いのないところであろう。

3.5.1.3 総合的な学習からの視点

 教科の枠を超えた総合的な学習は、共同利用企画や学校を越えた教員グルー プで実施している各種オンラインプロジェクトで行われている。酸性雨などの 環境問題をテーマにしたプロジェクトでは、酸性雨をはかり、これを分析し、 データをオンラインで他のプロジェクト参加校に流す。これを集計して地図上 に分布図が示されたり、外国とデータ交換する中で英語を使う。このようなプ ロジェクトの場合、理科、数学、地理、英語など教科横断的な活動が行われる ことになる。本来、教育は各教科で学んだ知識が生徒個人の頭の中で総合的・ 有機的に組み立てなおされることで、学習したことが生かされることを目的と しているが、これまでの教育環境では、この目的を実現させることは困難であ った。ここにインターネットなど新しい教育環境が入ってきて、バーチャルな 社会が教育現場に生まれ、この社会の中で複合的な活動が可能となった。技術 的には総合的な学習が可能となってきたわけであるが、総合学習は教員間の連 携が必要となるため、現実の教育現場が、まだこれに対応できていない状況で ある。ただ、共同利用企画やオンラインプロジェクトは、学校を越えた教員グ ループや集団で実施することができるから、必ずしも学校の中での連携を必要 としない。むしろ、考え方としては、インターネット上の多様・多彩な人材を 活用し、協力しながら教育していく環境の出現とともに、総合的な学習が可能 となってきたといえる。CECの国際3企画を通じて、生徒は、ネパールや韓 国、ハワイなど他の国の人々とインターネットを通じた交流をしたり、直接、 出会って、直接交流を果たしている。この中で、生徒は、インターネットの各 機能について理解を深めるとともに、国を越えて相互理解を深め、共同作業を 進めているのである。

3.5.2 実施体制と指導形態

 ネットワークは、その基本的な特性からコンピュータの相互接続というハー ド面と同時にコミュニケーションの道具として、人と人とを結びつける媒体で ある。この接続はポイント・ツー・ポイントという1対1の接続ではなく、誰 にも全体像がつかめない極めて複雑な接続や結びつきをしている。また、これ までの教育では見られなかったバーチャルな社会が学校の中に、出現している。 したがって、このような新しい教育環境の中で教育を行っていく場合、一人の 教員が一つのクラスを指導していくという従来的な教育では対応できない状況 が生まれてくる。また、外国人教員を入れた英語の授業のように日本人教師と 外国人教師がチームティーチングで対応するということも問題の解決にはなら ない。

 全教職員が専門分野の教科以外に、ネットワークについて十分な知識がある という状況の中で、教職員の集団指導体制をとることが、理想的な指導体制と いうことになるかも知れない。個別の教科と総合教科の併存、併用、そのすみ わけについて十分な理解をえ、有機的な教育が行われることが理想となるし、 そのような環境がインターネットを中心とした新しい教育環境の中で出現して きている。それは、また、単に有機的なつながりを持つというだけではなく、 生徒個々の興味・関心、能力を伸ばしていく個別対応の学習形態をも視野に入 れなければならない。

 もちろん、校内での指導体制の充実をはかることが重要課題であるが、ネッ トワークの性質上、学校の枠を超えた指導体制も大きな役割を果たすことにな る。実際に、共同利用企画やオンラインプロジェクトで、学校を越えた協力体 制が、あちこちで築かれつつある。学校が、校内の教科の枠を超えた指導体制 の整備とともに、校外のグループとの共同指導体制に理解を示していくことが 必要となる。この場合、トラブルが生じた場合の責任を誰がとるのかという問 題も考慮しておく必要があろう。

 以上は多分に理想的な期待のこもった記述であり、現実には、一人の教員が サーバ管理からインターネット・リソースやホームページの管理、校外のグル ープとの協力関係など、ほとんど限界を超えたところで仕事をしている。した がって、少なくとも、インターネットを学校に導入する場合は、ネットワーク の維持管理を専門とする人材を雇用するか、担当教員の負担を軽減するなどの 支援が緊急の課題と言える。

3.5.3 指導の評価について

 基本的には高等学校における評価は、これまでのテスト中心から、作品・課 題中心となるとともに、評価項目も多様となる。例えば、英語では、これまで、 発音の善し悪しや、スキットのでき不出来などは、評価の対象にならず、ペー パーテスト中心であった。わずかにリスニングテストが、ペーパーテストの中 に実技的な要素が含まれているという程度である。しかし、インターネットが 入って海外とメール交換したり、映画や音声の入ったマルチメディア作品の交 換が容易になってくると評価対象が単に英語だけではなく、プレゼンテーショ ンの方法や、デザイン、構成力、やりとりする情報量の多少など、評価項目が 多様になる。この場合、英語の教員は、作品の中の英語の評価を行うことがで きても、デザインや構成力は、評価できないことも起こりえる。あるいは、海 外との共同プロジェクトで酸性雨などのまとめを英語で行ったような作品では、 英語の教師に内容やプロセスの妥当性が判断できないことも起こり得る。した がって、一教科の担当者で評価できる評価形態とグループで担当を決めて評価 する形態を別個に持ったり、場合によっては、海外や他校の生徒や専門家に判 断を仰ぐという形も考えられる。ホームページコンテストなどは、ある意味で、 活動が外部機関によって、評価を受けることになる。

 したがって、ネットワークが定着した場合、生徒が作品や課題の中で見せる 多様な能力を、ペーパーテストなど一つのものさしで評価してしまうことは、 生徒の意欲を萎えさせ、生徒の能力を伸ばすという本来の教育目的を達成する ことができなくなる。

 体育や芸術科では従来から実技が中心に評価されてきた。これが、他の普通 教科にも広がっていくことになるし、そのような方向に努力を傾けていかねば ならない。

 大学や高校入試にあたっても、入試形態を変えていく必要があろう。


次(3.6 実践に関する客観的指標)