3.7 コスト面での評価

 本節では、ネットワーク利用の教育におけるコスト面での評価について述べる。 まず、コスト面での評価についての一般論を述べ、その後に実践例を通してコス ト面での評価のシミュレーションを行う。

3.7.1 はじめに

 教育へのコンピュータの利用は多くの研究・実践を積み重ねて今日に至ってい る。教育におけるコンピュータの利用形態としては次のようなものが考えられる。 (1)授業における支援ツールとして(提示型・ドリル&プラクティス型・シミ ュレーション型)

(2)授業外における生徒・児童の学習用として

(3)文書作成や成績・名簿管理などの校務用として  また、利用する局面や対象、内容、教育目標に依存してその利用形態は問題発 見型など、さらに細分化される。

 さて、授業における支援ツールとして利用する場合、生徒・児童への個別化対 応の強力なツールとして位置づけられ、「生徒1人1台」を理想として様々な議 論がなされてきた。さらに「マルチメディア」というキーワードとともに新しい 学力観の観点から生徒の興味・関心の向上、または評価においてもコンピュータ は必要不可欠なものとして位置づけられている。また、近年のネットワーク技術 の進歩とコンピュータ性能の向上との相乗効果により、教育におけるコンピュー タ利用の形態において「ネットワーク利用」が1つのキーワードになり、100校 プロジェクトなどの研究・実践が多く行われている。これらの研究・実践の中か らネットワークという概念を付加した場合の、教育におけるコンピュータの利用 形態としては次のようなものが提案されている。

(4)教材データベース

(5)多地点間の情報交換によるリアルな情報の利用

(6)ネットワークを介した協調的な問題解決

(7)ネットワークを介した協調的な問題発見

(8)フレキシブルな自主的学習(何時でも、誰でも、何処でも)

 しかしながら、上記のように教育とコンピュータの明確かつ密接な関係が議論 され、その有効性に関しても様々な研究・実践成果からの報告があるにもかかわ らず、教育現場、特に学校における授業においてはコンピュータが積極的に活用 されているとは言い難い。その大きな理由として、教育におけるコンピュータの 有効性が教育に関わる者の間にまだ深く浸透していないという教育観に関する問 題も存在するが、コンピュータのハード面の管理、利用するソフトウェアの開発・ 選定など、いわゆる人的なコストの問題が考えられる。特に、ネットワークとい う概念の意外性・抽象性・複雑性が大きく関連していると考えられる。したがっ て、コンピュータ利用の教育の有効性を評価する場合にはこのコスト面からの評 価も考慮する必要がある。そこで、本節では、教育におけるコンピュータ利用、 特にネットワーク利用を前提とした場合(以下、ネットワーク利用の教育と記す) のコスト面での評価について考察する。

3.7.2 コスト面での評価の一般論

 ネットワーク利用の教育におけるコストは、ネットワーク回線の器材準備や保 守管理などの財政的なコスト、準備や保守などの時間的なコスト、コンピュータ 専用室設置などの物理的なコスト、コンピュータの保守管理・ソフトウェアの選 定・開発などの人的なコストなど、様々なものが考えられる。さらに、上記のコ ストに関わる心理的なコストも考慮しなければならない。また、これらのコスト の内容や深度は、想定する環境や対象とする環境に依存して変化する。そこで、 本節で論じる場合のコストを次のように定義する。

【ネットワーク利用の教育におけるコストの定義】

 学校における授業の前・中・後に関して学校・教師・生徒・保護者を対象とし て生じる財政的・物理的・時間的・心理的なコストの総称。

 ここで、授業の前・中・後とは、1つのタスク(授業や実験)を実施する場合 の時系列な分類である。学校とは組織としての学校を、教師とは授業においてコ ンピュータを利用する教師、利用しない教師の双方を含むものとする。生徒・保 護者についても同様である。

 コストの定義をコスト面からの評価の観点として纏めると表1のようになる。

表1 コスト面からの評価の観点
学校教師生徒保護者
  
財政的             
物理的             
時間的             
心理的             
 次に、表1の評価の観点における評価の細目の一部を列挙する。ただし、ここ に列挙する項目は、一般的に発生することであろうコストであり、環境や状況に 依存して多種多様なコストが発生するものと考えられる。

(1)組織としての学校に対するコスト

(a)財政的コスト

授業前:
○コンピュータ室の設営、器材の購入・保守管理に関して。
  • 支援を全面的に受け負担はない。
  • 支援を受け一部負担。
  • 支援を全く受けず全額負担。
○担当教師の設定に関して。
  • コンピュータの保守管理・指導が可能な教師を校内から選定。
  • 外部の講習会など、校内の教師に特別の教育を受けさせる。
  • 外部から担当教師を選定する。
授業後:
○コンピュータの長期的利用に関して。
  • 支援を全面的に受け負担はない。
  • 支援を受け一部負担。
  • 支援を全く受けず全額負担。

(b)物理的コスト

授業前:
○コンピュータ室の設営、器材の設置場所に関して。
  • 校内の既存の部屋で十分に対応可能。
  • 校内の既存の部屋を改造して対応。
  • 校内に新たにコンピュータ室を設置。
授業中:
…… (……はコストが発生しないことを表わす、以下同じ)
授業後:
……

(c)時間的コスト

授業前:
……
授業中:
……
授業後:
……

(d)心理的コスト

授業前:
○担当教師への配慮など
授業中:
……
授業後:
……

(2−1)授業でコンピュータを利用する教師に対するコスト

(a)財政的コスト

授業前:
……
授業中:
……
授業後:
……

(b)物理的コスト

授業前:
……
授業中:
……
授業後:
……

(c)時間的コスト

授業前:
○ネットワークを利用した協調学習を行う場合の参加校との打ち合わせや特別な教 材準備。
授業中:
○ネットワークを利用した協調学習を行う場合の生徒の支援(議論の活 性化など)。
授業後:
○ネットワークを利用した協調学習を行う場合の議論の分析。

(d)心理的コスト

授業前:
○生徒への動機づけ、参加校への配慮。
授業中:
○生徒への配慮・支援、参加校への配慮・支援。
授業後:
○生徒の評価の観点。参加校への配慮。

(2−2)授業でコンピュータを利用しない教師に対するコスト

(a)財政的コスト

授業前:
……
授業中:
……
授業後:
……

(b)物理的コスト

授業前:
……
授業中:
……
授業後:
……

(c)時間的コスト

授業前:
○特別な授業の設置のためのスケジュール変更。
授業中:
○特別な授業の設置のための移動。
授業後:
……

(d)心理的コスト

授業前:
○スケジュールによる生徒への配慮。
授業中:
……
授業後:
○コンピュータを利用した生徒との差分について。

(3−1)コンピュータ利用の授業を受ける生徒に対するコスト

(a)財政的コスト

授業前:
…… 
授業中:
……
授業後:
○学校の外でのコンピュータやネットワーク利用の準備(自宅にパソコン 購入、プロバイダーとの契約など)。

(b)物理的コスト

授業前:
…… 
授業中:
…… 
授業後:
……

(c)時間的コスト

授業前:
……
授業中:
○教室の移動やスケジュールの変更。
授業後:
○ネットワークは学校の外でも利用可能なことから、他のタスク(他の教 科)との時間配分。

(d)心理的コスト

授業前:
……
授業中:
○コンピュータへの経験の差分によるストレス。
○ネットワークを通しての議論への参加状況に対するストレス。
○他のタスクとの関連に関するストレス。
授業後:
○参加状況や他人との成果の差分によるストレス。
○他のタスクとの時間配分に関するストレス。

(3−2)コンピュータを利用しない授業を受ける生徒に対するコスト

(a)財政的コスト

授業前:
…… 
授業中:
…… 
授業後:
……

(b)物理的コスト

授業前:
…… 
授業中:
…… 
授業後:
……

(c)時間的コスト

授業前:
…… 
授業中:
○スケジュール変更、教室変更など
授業後:
……

(d)心理的コスト

授業前:
…… 
授業中:
○コンピュータを利用する授業との差分によるストレス(内容)。
授業後:
○コンピュータを利用する授業との差分によるストレス(経験)。

(4−1)コンピュータ利用の授業を受ける生徒の保護者に対するコスト

(a)財政的コスト

授業前:
…… 
授業中:
…… 
授業後:
自宅へのコンピュータ購入、プロバイダーとの契約。

(b)物理的コスト

授業前:
…… 
授業中:
…… 
授業後:
……

(c)時間的コスト

授業前:
…… 
授業中:
…… 
授業後:
……

(d)心理的コスト

授業前:
…… 
授業中:
○生徒の新たな知識獲得へ技能習得への支援、動機づけ。
授業後:
○生徒への配慮。新たな評価、激励、動機づけ。

(4−2)コンピュータを利用しない授業を受ける生徒の保護者に対する コスト。

(a)財政的コスト

授業前:
…… 
授業中:
…… 
授業後:
○自宅へのコンピュータの購入、プロバイダーとの契約。

(b)物理的コスト

授業前:
…… 
授業中:
…… 
授業後:
……

(c)時間的コスト

授業前:
…… 
授業中:
…… 
授業後:
……

(d)心理的コスト

授業前:
…… 
授業中:
○コンピュータ利用の生徒たちとの差分に関するストレス。
授業後:
○生徒への配慮。担当教師との交渉。

3.7.3 実践例に対するコスト面による評価シミュレーション

 ここで、ネットワーク利用の教育の実践例に対してコスト面による評価のシミ ュレーションを試みる。

(1) 実践例の概要

 実践例として100校プロジェクトの共同利用企画として実施された「数学にお ける多解問題」を取り上げる。この企画に参加した学校は慶應義塾普通部の2年 生を中心とする3〜4校の全国の中学・高校である。ここでは、この企画の中心 となった慶應義塾普通部および担当教師・生徒・その保護者に対してコスト面に よる評価を試みる。まず、慶應義塾普通部の設備・器材などのインフラ、環境は 次の通りである。  以上のような環境のもとで次のような企画を実施した。以下にこの実践例(企 画)の概要と得られた成果について述べる。


企画の概要と成果

 数学教育におけるコンピュータ利用形態としては、1)ドリル・演習型、2) シミュレーション型、が一般的であり、知識定着や問題解決を目的とする場合が 多い。さらに、これらの目的から一歩踏み込み、コンピュータによる操作・実験 を通して数学における定義や定理の内容を納得し、可能であれば定義・定理の必 然性を体験する、いわゆる3)問題発見型、という利用形態も考えられる。ここ に、ネットワーク利用という概念を付加することにより、数学教育におけるコン ピュータの利用形態には、4)数学の教材データベース、5)協調作業による問 題解決、6)協調作業による問題発見、7)フレキシブルな自主的学習(何時で も、誰でも、何処でも)、などが考えられる。

 さて、ネットワークの教育利用としては、英語・理科・社会を題材として多く の実践例報告があり、電子メールや会議システムを用いた意見交換・教材データ ベース・遠隔地の同時情報の利用などが一般的である。そこで、今回の企画では あまり前例のない、数学を題材にとり、特に上記の5)6)7)に関する可能性 の検証を行った。具体的には、ホームページ上に公開された問題に対してネット ワーク上で解や解法に関する議論を行い、協調作業を多角的にモニタするという 方法をとった。問題としては、議論することによって有効性を得られるよう、年 齢・学年の枠を超えた多解問題(約10題)を選定し実施した。  準備・実施期間は極めて短く、本企画のすべてをホームページを利用して実施 することはできなかったが、参加者の意見から以下のような成果が得られたと考 えられる。

a)オフラインであるが、様々な解や解法に関する議論が参加した学校間で 行われ、各問題とも完成度の高い複数の解が得られた。
b)自分達の学校で解決できなかった問題を他の学校が解決したなど、従来 までの教室内の授業では体験できない体験を通して協調学習の有効性 を感じた。
c)解を導くまでの時間的制約がないので時間をかけて試行錯誤すること ができ、その過程で問題とは直接関係のない法則などを発見すること もあった。
d)多解問題への挑戦を通して、数学は解くことだけではなく、解く過程 が重要であること、また数学は論理的思考力の養成に重要であること など、数学を学習することの意味を体験的に納得した。
 上記のa)b)より5)に対する、c)より5)6)7)に対する有効性が示 唆されたものと考えられる。さらに、d)は本企画の期待以上の成果が得られた ものと考えられる。しかしながら、上記の成果は必ずしもネットワーク利用とい う概念とは分離して論じる必要があり、ネットワーク利用でなくても得られる成 果であるが、ネットワーク利用であればさらに効果が得られると考えられる。

 今回の企画を通して、数学教育におけるコンピュータの新たな利用形態として 「協調学習・協調発見」の可能性が示唆されたが、やはり「フレキシブルな自主 学習」と「よい問題の作成」を実現することが「協調学習・協調発見」の実現へ の必要条件である。今後のインフラの整備を期待しつつ、教師・生徒のコンピュ ータ利用を前提とした関係に関する研究、コンピュータ利用を前提とした教材研 究なども急務であると考える。


(2)コスト面による評価のシミュレーション

 以上の内容に加えて生徒から得られたコメントを考慮して、5段階評価(評定 値が高いほど良い評価)でこの実践例に対するコスト面による評価を行うと表2 のようになる。ただし、紙面の都合上、評価の細目ごとの評価は記さず、総合的 な評価のみを記す。
表2 コスト面からの評価の観点
学校教師 生徒保護者
 
財政的555555 444  4
物理的535333 555  4
時間的445223 333  4
心理的444223 333  4
(空欄はデータなし)  以上のように全体的に評価が高いのは次の4点が主に寄与していると考えられ る。  しかしながら、コンピュータの保守管理・指導が可能な教師の数が極めて少な いことが要因で、すべての観点で教師の時間的コストと心理的コスト、特に心理 的コストは評価が低くなっている。また、生徒の時間的コストと心理的コストに 対する評価も低いのは、学校の定期試験とこの実験が重なったためであるが、や はり既存のカリキュラムの中に新たな試みを実施することの困難さを示唆してい るものと考えられる。

3.7.4 おわりに

 以上、ネットワーク利用の教育に対するコスト面の評価についてその一般論と 実践例による評価のシミュレーションの結果について述べた。しかしながら、今 回の実践例はネットワーク利用の教育を実施するには極めて恵まれた環境である にも関わらず、担当教師の時間的な負担や心理的な負担は大きいことに注意しな ければならない。

 財政的コストと物理的コストに関しては、インフラの整備によりかなり解決さ れるであろう。また、時間的コストに関してはカリキュラム運営に関する制度上 の問題が大きく関係しているため、コンピュータ利用を前提とした制度やカリキ ュラムの改定に期待したい。しかしながら、コスト面に関して最大の問題は心理 的コストである。この点を解決するためには、来るべき情報化時代において子供 たちを導くことができる教師の育成が最大かつ緊急の課題となろう。


次(3.8 ネットワーク実践でのキーパーソンとそ の資質)