合衆国では公立学校へのインターネット普及率が65%を越えた。インターネッ トはテレビにつぐ教育メディアの位置を確たるものにしはじめている。
しかし、導入があまりにも急速であったため、インターネットが教育の場でど のような意味を持つのかという点に関して研究がほとんどなされてこなかった。 大谷尚(1997)著「インターネットは学校教育にとってトロイの木馬か」では、日 本の学校が持つ前近代性とインターネットが持ち込むポストモダン文化が激しい 葛藤を起こし、予想しなかったネガティブな効果をもたらす可能性を、トロイの 木馬をメタファーにして指摘している。
「インターネットというトロイの木馬を、喜んで学校に導入した結果、それが 知らぬ間に、学校を守っていた門を内側からひらき、学校になじみのない門の外 の文化が学校を侵略し、ついには学校を攻め滅ぼしてしまうのではないかという ことである。」
さらに、このような状況に対応していくために、インターネットのみならず、 学校教育全体が「アセスメント」される必要があると述べている。
ここでは、「テクノロジーアセスメント」を行う際のポイントを、100校プ ロジェクト参加校である箕面市立萱野小学校で行ったフィールドワークをもとに 考えていきたい。
一見したところ子どもたちは熱心にコンピュータに向かって何かメッセージを 書いているようだったが、後ろからのぞき込んで話を聞いてみると、様々な活動 をしていることが明らかになった。典型的なパターンを7つ紹介しよう。
その後、多くの子どもたちは飽きて離脱していき、(特にチャット攻撃や、メ ールの収集、チャット遊びをしていた子どもたちが多く離脱した。)最終的に1 80人中10人程度がアクティブユーザーとして残った。(もちろんこれ以外の 子どもたちも総合学習などの授業で利用することはあるが、休み時間に来て自分 から使おうとするユーザーは10人程度である。)その後、アクティブユーザー に対してケーススタディを行ったが、ここではチャット攻撃を行っていたA君の 事例を紹介したい。
「チャット攻撃」という言葉を最初に使ったのは彼である。コンピュータを使 って建設的な活動をすることはほとんどなく、コンピュータを使った攻撃に飽き てくると、となりの子にちょっかいをかけ、コンピュータの電源を勝手に落とし たりした。それが原因で教師とけんかをすることもあったが、教師がコンピュー タ室からでていきなさいと命令しても従わず、泣き叫んで抵抗した。
攻撃ばかりするにもかかわらず、彼はコンピュータ室にこだわりをもっていた のである。9月に彼は運動会の応援団長に選ばれ、大任であるその仕事をなんと かやりとげた。その後、彼の様子が変化する。暴力行為が少なくなり、今まで授 業中でも絶対はずさなかった帽子を脱いだのである。担任の教師のみならず、複 数の教師がA君の変容に言及していた。
その2週間後、筆者は彼から初めてメールをもらった。そこには大きなフォン トで「てがみくれ」と書いてあった。彼はコンピュータを使ってはじめて建設的 なコミュニケーションを行ったのである。その後、彼は「大学に遊びに行きたい 」とメールを書くようになり、実際に大学に来ることもあった。(将棋ゲームば かりやっていたが)
運動会の後、彼はチャット攻撃を全くしなくなった。アイコンを並べ替えたり、 新しいフォルダを作るという行為に熱中し始めたのである。
しかし、すべての学校で同じことが起きるわけではないだろう。深刻ないじめ が起きている学校にネットワークが入れば、その上でいじめがおこることは十分 想像できることである。また、電子メールで示し合わせて授業をエスケープする ということも起こりうるだろう。現在でも、ポケベルやPHSで同様の事件が発 生している以上、電子メールが使われないという保証はない。
問題が起こるたびに、教師は「それはいけないことだ」と子どもたちを説得す るだろうが、それだけで問題が解決することはないだろう。教師がすべての情報 を監視することは可能だが、それをやった瞬間にネットワークの命である自律性 はなくなってしまう。二律背反の中で、教師と子どもの間の溝が浮かび上がって くる。
それは、前近代的な意識を持ちながら建前として近代の言説を使う教師と、前 近代も近代も拒絶しながら新たな座標軸を見つけられない子どもたちの間の溝で ある。
ネットワークが学校外の文化をもたらす以前に子どもたちはポストモダンの世 界で漂っているのであり、ネットワークはこの亀裂の微妙なバランスを崩すこと によって、学校に大きな影響を与える可能性があるのではないだろうか。 だからといって筆者はインターネットを学校に導入するのをやめるべきだといっ ているわけではない。学校が内側に抱えている亀裂をアセスメントの中に入れる べきだと主張したいのである。
苅宿実践のように学校にネットワークを導入すると同時に、教師も子どもも了 解できる教育的な物語を作りだし、それを教室で共有することによってこの亀裂 を乗り越える事例もある。A君のように、学校での活動がきっかけでネットワー ク上の活動が変容することもあるだろう。失敗してネットワークの利用を断念す るところもでてくるかもしれない。 アセスメントを行う際に大事なことは、この亀裂を意識した上で、文脈と経過 と結果を詳細に記述する研究を行い、複数のケースを比較することによって、イ ンターネットが教育にもたらす光と影を立体的に投影する作業である。問題を一 つの要因に単純に還元するのではなく、複雑な関係性の中でとらえ、それを建設 的に批判していく作業が求められてくるのではないだろうか。
100校プロジェクトの成果を参考に学内のローカルコミュニケーションから外 の世界とのコミュニケーションを児童・生徒の心理的な発達段階を加味しどのよ うな段階で行っていくのかというカリキュラム的な整理を行う段階へと進むべき であると考える。
また国際交流を目的としたコミュニケーションにおいては各国の文化に対応し たエチケットで交流を促進することも重要である。
前者については世界的な規模でこれらの有害情報を流通させないようにという 努力がされており今後これらの情報が規制されていくものと思われる。また後者 においてもポルノ・ギャンブルなどは自主的に規制が始まり会員制によるアクセ ス者の制限などが行われている。さらにサーチエンジンに制限をかけ、go.jp、a c.jpあるいはeduなどのドメインに対象を制限するなどの技術的な手法による解 決もあるが、それらのドメインに有害な情報が存在しないという保証はない。そ れらのドメインの管理に依存するしかなくドメイン名を手がかりにした検索の制 限では問題は解決しない。
さらにここで特に問題としたいのは、たとえば理科の実験・観察の情報という いうあたかも教育的な情報においても発達段階の児童においては知識や経験の未 熟さから危険な実験・観察になってしまうことがあるという学習者の発達との適 合性の点である。すなわち情報を教育的なものとそうでないものという2分化で は制限できないという課題である。この問題の解決においては社会の規制や技術 的な解決に頼るのみでは必ずしも解決しない。したがって特に低年齢においては 検索の対象について教師が十分に理解しておくということが必要なのである。 この課題の解決方法として、インターネットの情報の中から教師がすべての情 報を閲覧しておき適切なもののみローカルに保存し、それらを検索の対象とする という方法が考えられるが、現在のインターネットの情報の量と更新の期間を考 慮すると現実的な解決ではない。
結論として低学年では、直接検索エンジンを用いるのではなく、教育用に作成 されたリンク集を用いることを提言する。すなわち学年や教育目的、ジャンル別 に構成されたリンク集を作成・管理する組織・機関の設置を早急に検討する必要 があると考える。
一般的にはこれまでの書籍などのメディアと同様に写真、画像、文書、音楽を そのまま提示することは違反であると考えるべきである。当然所有者の許可を得 なければならない。また著名人の写真などは肖像権からも無断で転載することは できない。さらにアニメーションのキャラクタについてはたとえ自分が描いたと しても転載することはできない。ある学校での調査では生徒が作ったホームペー ジには自分の好きな歌手の写真やディズニーのキャラクターを模倣した事例がと くに多かったと報告されている。
このような基本的に判断できることについては児童・生徒と十分に議論するこ とが望まれる。平成8年度の報告の中で東金女子高校では、教師、生徒が連係し エチケットのガイドラインを作成するという活動もあげられている。さらにその ガイドラインのホームページに1日200件ものアクセスがあったことも報告さ れており、多くの人々が判断に苦慮しているものと考えられる。
しかしながら実際にはさらに複雑な問題がある。たとえば社会見学に行きある 建物を撮影してそれを見学の記録としてホームページに掲載したというような場 合である。この場合も建物のデザイナーあるいは所有者の許可が必要かというこ とである。人物の背景であれば問題はないという見解もあるが人物がいない場合 にはやはり問題となる。
100校プロジェクト共同企画の「理科の実験・観察データベース」においても 実験方法の開発に権利があるのかどうかということが問題となった。人づてに実 験の方法が伝わっていたものを誰かがホームページに記載するとその人の発見し た実験のようになってしまうということである。まして100〜500年もの前の人物 が発見した実験などは掲載の許諾を得られるのかということである。
しかし同様に数100年前のものでも音楽に関しては協会があり承諾を求めるこ とができる。このように厳密な場合分けはできない状況である。
またWWW特有の問題としてリンクについてもリンク先の許可が必要かどうかと いう問題もある。リンクを付けるだけで複写・複製して利用するのではないから 必要がないと判断するかどうかの結論は今のところはないが、エチケットとして 許可を得ておいた方がよいという思われる。また逆にどこかの目次に知らない間 にリンクされていることもある。次のプライバシーの保護と関連してWWWなどで の情報の発信は注意する必要がある。
また学校などの公の情報に関しては地域行政の情報開示の問題と関連した議論 もなされているが学校の情報が地方行政での情報と同一のカテゴリーと判断する のかどうかは疑問である。この扱いについては各地方行政機関の情報開示ガイド ラインを参考に今後検討して行かなければならない課題である。
さて教育の課題を考えると、教育機関のネットワークを支える人材の育成や他 の章などでも取り上げられていることなので省略して、地域社会のネットワーク 組織などとどのように教育機関とが関わっていくのかということが今後の課題で ある。東京都の科学博物館ではいろいろな産業界と協力して展示や公開講座を行 っている。最近ではその展示会場から電子メールで高校の理科の教師に質問を行 うという実験的なプロジェクトが行われた。これは地域の文化施設が仲介となり 産業界、教育関係とネットワークが結ばれたことによるものである。それぞれの 管理・運営を行っている人たちのネットワークで実現されたものである。 以上のようにサイバー社会において教育関係だけでなくどのような団体、組織 と教育ネットワークを広げていくのかということが課題である。
さらに100校プロジェクトでは障害児教育にもネットワークによる障害者の活 動の場を広げるという大きな成果を得ている。障害教育では、障害者学級、家庭 、ボランティアという人々の連係をネットワークで支えるための管理・運営が行 われている。このことは単に学内のコンピュータ接続を行うというだけでなくネ ットワークによる多様な教育をコーディネートする人材を育成しなければならな いことを示している。
現在学校内のネットワーク管理運営に関し多くの問題が指摘され、その人材の 確保が課題とされているが、以上の観点からはそのようなローカルな管理者でな くネットワーク社会において教育をコーディネートする能力、資質をもつ人材を 育成することに重要なポイントがあることをここでは上げておく。
最後に管理・運営という点では先のコストのところで触れられているように現 状の通信コスト負担は大きな問題である。国民すべての社会的な基盤として整備 が行われすべての学校に差別なくネットワークが整備されることも社会的な問題 としておく。