★鹿児島県立鹿児島水産高等学校★
☆新100校プロジェクト・平成10年度実施状況報告・NO2☆

 E1日目は用語が分からずチンプンカンプンだったが,2日目は割と分かってきた。
 Fインターネットがだんだんよく分かってきた。
 G自分が基礎をしっかり覚えなければならないと思った。
 Hとても面白く,よく理解できてインターネットが始めやすくなった。
 I受講してパソコンを購入することを決めました。受講してよかった。
 Jインターネットに熱中している人の気持ちが分かるような気がしました。
 K丁寧に質問に答えて下さり,最後まで仕上げることが出来ました。
:鹿児島県高校視聴覚部会での実践事例発表、研究団体への参加と実践事例等の発表
:鹿児島県20校インタ−ネットプロジェクトの主管校
==========================================================================
4 海外の学校との交流
 :北アイルランドの学校、ハワイの高校、韓国の水産高校、大垣農業高校との交流
==========================================================================
5 教材作成の取り組み
:「手旗信号の動作を動画にする取り組み」と「モールス信号のHTML化」(欧文と和文)
--------------------------------------------------------------------------
10095手旗信号(日本語)紅白2本の旗を両手に持って形象を描きます。
船舶間の信号方法として明治時代の日清・日露の戦争では大変有効であったと
言われています。戦後・昭和27年(1931年)運輸省が告示し日本船舶信号法が
公布され現在にいたりました。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
モ−ルス信号(アルファベット)「われ氷山と衝突せり」英国汽船「タイタニック号」
(46,328トン)は,明治45年(1912年)4月14日夜半,太平洋上にて,
「氷山と衝突せり,救助を求む」の遭難信号を発した。ニューヨークから英領ジブラルタ
ルに向かっていた貨物船カパーシャ号はこの遭難通信を受信、50海里の距離を必死に航走
3時間半の後現場に到着して、女子、子供を優先させたボート上の生存者703名を救助し
たが、残る1,520名は「主よ、みもとに近づかん」の賛美歌とともに海中に没していっ
たという。この事件は,世界の人々に無線信号の効用を深く認識させたのであるが,当時タ
イタニック号から20海里の距離に無線電信を持たない貨物船があり,また,15海里の近
距離にあったカリフォルニア号は,無線通信士が勤務時間外であったために,いずれもタイ
タニック号の遭難信号を知ることができなかった。
参考文献:「SOSを追え!海上保安通信40年の歩み」から。
*「モールス信号に時代の波」→衛星通信利用へ
 「SOS信号を廃止:海上で救助を求めるモールス信号の遭難通信」が世界の海から
姿を消した、今後は衛星通信を利用した海上遭難安全システム(GMDSS)へ移行した
 1912年に北太平洋で沈没した豪華客船・タイタニックが初めて打電したとされる
SOSが役目を終えた。日本の通信拠点も閉鎖した。
========================================================================
6 その他の取り組み
 :ホームページ作成、桜前線、彼岸花、ケナフ栽培と紙すき、こねっとプランへ参加
7 本校へのアクセス回数の分析
:時間帯、曜日、一日平均、月平均、年間統計、国別等
8 本校としての成果と課題
 :水産業界を取り巻く厳しい経済環境の中にあって水産教育の活性化と、ネットワ−ク
  の教育への活用、そして地域との連携事業へにも取り組みができたことが一番の成果
  であった。
 *課題として設備の更新の問題、専用回線の維持の問題、専門高校としての諸問題等
9 部会報、機関誌等への寄稿:鹿児島県視聴覚部会の機関誌、:研究会への投稿
:日本教育新聞への投稿、:鹿児島県高校PTA新聞への投稿等
====================================================================
平成10年度実施状況報告・NO1

ホームページへ