美里高校 Page2/2

○平成10年度の成果と課題

1. 校内での利用者は、教師も生徒も確実に増えている。これまで、パソコンに触ったことのない教師も、ウエッブページを見ることをきっかけに、コンピュータを使いはじめるようになったりして、コンピュータ利用の糸口にもなっている。インターネットにあまり関心のない人たちも、少なくとも美里高校にとって必要欠くべからざるものと認知されるようになった。

2. ほとんどが計画倒れに終わったように、イベント的、あるいはプロジェクト的な活用から日常的な活用のレベルへの移行で、壁を感じる。インターネットの良さは、個人的な情報媒体として、個人的な自由度が高い、つまりすきな時にすきなように使える点にあるのであって、伝統的な授業形態である一斉授業とは、相反する部分が多いように思える。普段の授業でインターネットを活かす場面を見いだすのは難しい。今年度で4年目を迎えるわけだが、インターネットを積極的に活用した授業のモデルが、なかなか思い浮かばない。むしろ授業ではない場面を想定したほうが、自然な気がする。このへんに(インターネットを授業でいうことがプレッシャーとなって)、生徒の利用を想定した活用方法を考える教師がなかなか出てこない根拠があるのかも知れない。これは本校に限った問題かも知れないが、最初に種を蒔いた者の責任でもあるのだろうか?

3. インターネットを情報の海としてとらえ、自らの必要とする情報を収集する能力も必要には違いないが、ネットワークとしてのインターネットにも生徒の目を向けさせたい。これは、いろいろな共同学習や共同研究プロジェクトとしての試みられていると思うが、あくまでも目的のための手段であり、、ネットワーク自体が意識的にテーマになることはなかった。21世紀を情報化社会の時代と認識するなら、インターネットをネットワークとして利用できる生徒の育成は、必須の課題と思われる。

4. サーバの管理も含め、インターネットについて教えられる教師がなかなか育たない。そんな勉強をする時間も余裕も教師にはないという言い方も成り立つが、むしろ技術的な側面は専門家にまかせ、教師は教育的な利用だけを考えればよいという風潮もあるように思える。この傾向は、教師の負担を軽減する善意の意図から出ているようにみえる。学校でのインターネット第1世代というべき私には、ネットワーク環境を維持する努力にこそインターネットの本質が隠されていると思えるのだが。
 
5. 残念ながら、美里高校は今年度限りで、インターネットへの接続を終了する。教育課程が見直されて、来年度から情報系列という情報教育に重点をおいた過程が新設される。それにあわせ、情報通信という教科を新設し、インターネットについて本格的に教える予定であった。しかしどうしても教育庁の理解を得られず、教科の新設は認められなかった。いろいろ理由を述べたてていたが、要するに、接続費用がかかり過ぎるというのが、本音である。伝統的な教育を維持するためには、インターネットへの接続は必要条件ではないわけで、そう言いたくなる気持ちも分からんでもない。しかし21世紀の教育を見据えた場合、行政として妥当な判断か疑問である。
 

○新100校プロジェクトに参加して

 プロジェクトへの参加して、教師としての私の日常は驚くほど激変した。毎日のメールチェックが日課となり、筆無精の私が、1日に何通となくメールを書く日もめずらしくなった。名刺の数がめちゃくくちゃ増え、県外にもたくさんの友人ができた。また、教師以外のさまざまな職業の人をメーリングリストその他を通して知るようになった。かっこよく言えば、人と人の関係が多重構造になった。まさにインターネットがネットワークである由縁を身持って体験したといえる。私にとっては、さまざまな知識よりも、このプロジェクトで得た、もっとも有意義なものである。
 今年度になって、校内の活動よりも外での活動に重点が移っている。沖縄県の場合、ダイアルアップでの接続は、確かに増えたが、多くの場合、接続するマシンは、1、2台で生徒の利用環境という面では非常に寂しいものがある。また接続した学校間の交流も充分とはいえず、お互いがバラバラにインターネットに向かい合うという歪な現実になっている。いくらインターネットが空間をこえて広域な活動ができるといっても、やはり身近な地域内での交流があってこそ、さまざまな活動も生きて来る。
 そこで、お互いの経験を共有すべく、何名かの有志とともに実践講座を開く活動を始め、専門家の協力も得て、2回実施することができた。美里高校を基盤にした活動は、不可能になったが、100校プロジェクトでえた経験は、このような活動を通して必ずや役に立つだろう。
文責:100校プロジェクト責任者兼サーバ管理者 本村金三
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