2. ほとんどが計画倒れに終わったように、イベント的、あるいはプロジェクト的な活用から日常的な活用のレベルへの移行で、壁を感じる。インターネットの良さは、個人的な情報媒体として、個人的な自由度が高い、つまりすきな時にすきなように使える点にあるのであって、伝統的な授業形態である一斉授業とは、相反する部分が多いように思える。普段の授業でインターネットを活かす場面を見いだすのは難しい。今年度で4年目を迎えるわけだが、インターネットを積極的に活用した授業のモデルが、なかなか思い浮かばない。むしろ授業ではない場面を想定したほうが、自然な気がする。このへんに(インターネットを授業でいうことがプレッシャーとなって)、生徒の利用を想定した活用方法を考える教師がなかなか出てこない根拠があるのかも知れない。これは本校に限った問題かも知れないが、最初に種を蒔いた者の責任でもあるのだろうか?
3. インターネットを情報の海としてとらえ、自らの必要とする情報を収集する能力も必要には違いないが、ネットワークとしてのインターネットにも生徒の目を向けさせたい。これは、いろいろな共同学習や共同研究プロジェクトとしての試みられていると思うが、あくまでも目的のための手段であり、、ネットワーク自体が意識的にテーマになることはなかった。21世紀を情報化社会の時代と認識するなら、インターネットをネットワークとして利用できる生徒の育成は、必須の課題と思われる。
4. サーバの管理も含め、インターネットについて教えられる教師がなかなか育たない。そんな勉強をする時間も余裕も教師にはないという言い方も成り立つが、むしろ技術的な側面は専門家にまかせ、教師は教育的な利用だけを考えればよいという風潮もあるように思える。この傾向は、教師の負担を軽減する善意の意図から出ているようにみえる。学校でのインターネット第1世代というべき私には、ネットワーク環境を維持する努力にこそインターネットの本質が隠されていると思えるのだが。
5. 残念ながら、美里高校は今年度限りで、インターネットへの接続を終了する。教育課程が見直されて、来年度から情報系列という情報教育に重点をおいた過程が新設される。それにあわせ、情報通信という教科を新設し、インターネットについて本格的に教える予定であった。しかしどうしても教育庁の理解を得られず、教科の新設は認められなかった。いろいろ理由を述べたてていたが、要するに、接続費用がかかり過ぎるというのが、本音である。伝統的な教育を維持するためには、インターネットへの接続は必要条件ではないわけで、そう言いたくなる気持ちも分からんでもない。しかし21世紀の教育を見据えた場合、行政として妥当な判断か疑問である。