帝塚山学院泉ヶ丘中高等学校の現状報告 辻 陽一
インターネットという妖怪が学校に入ってきた。その妖怪の恐ろしさは、何でも知っているはず?の先生方はまだ知らない。まさに先に生まれた「先生」であるがゆえに、この未来からやってきた妖怪の本質を理解できないのだ。
インターネットが学校現場に入って一番心配なのは、「生徒が見てはいけないページを見ること、その心は、マスコミにたたかれるから」と、某省のスタッフが話していた。で、その見てはいけないページというのは、大人も含めて、一番よく見られているある種のページを指しているようだが、インターネットの怖さは、実は、そんなところにはないのではないかと、最近、思うようになってきた。
本校のインターネット教育は、まさに私一人の力?によって、着実に進んできている。
一人の人間の力が、これだけ明確に表われる時代が来るとは、齢50を超えるまで気づかなかった。そして、一人の人間の業績が、妬みとジェラシーの嵐を乗り越えて、一人二人と理解者が現れ、学校という名の小さなコップの中の世界で認められるようになると、それが、やがてせき止められない流れとなって奔流となってくる。
それは、まさにインターネット冥利に尽きると言っても過言ではない。実際、花も恥じらう女子高生たちが、目をまばたきもせず、夢中になってキーボードをたたき、脳死や従軍慰安婦という、およそ女子高生らしくない、重々しいテーマについて検索しては、国語表現や国際理解のレポートをまとめ、htmlを書いては、ブラウザの変化に驚嘆の声をあげている姿を見ていれば、「教師って本当にいいもんですね。」と叫びたくなる。
私の子どもくらいの年齢の若い先生たちが、それも理科系の先生たちが、「先生、パソコン買いましたから、教えてください。」と、今どきの礼儀正しい先生たちに声をかけられると、老兵は消えゆくのみという殊勝な気持ちがどこかにとんでいくのだ。
有頂天になるのは、若い女性の助手たちが笑顔で近づいてきて、「先生、私にもメール(アカウント)を作って。」と声をかけられる時だ。こんな時には、もう、ハードディスクがクラッシュして眠れる夜を過ごしたことや、ユニックスというやっかいな言語に頭をかかえている日ごろの苦労はふっとんでしまう。
インターネットが入って、女子高生が変わり、つまり、人気のなかった冴えない中年教師を見る女子高生の目が変わり、学校の組織が変わり、校内ネットワーク網構築に抵抗がなくなり、そして、ややもすれば閉鎖的だった学校が外に門戸を開放しはじめたのだ。
この変化は劇的と言ってよい。英語科13名中、自宅でダイヤルアップ接続をしていないのは、わずか、3名になってしまった。今や英語科のどのパソコン(ほとんど各自所有)からでもインターネットができるという世の中変わった状態だ。
自筆がみごとな国語表現の教師、パソコンなんかやらな〜いと言っていたのが、インターネットの資料調べは、党派・主張が明確で争点がはっきりしていると、図書館の書籍の資料調べとの相違を解説するようになったかと思うと、「家族が好きなもんで」と、パソコン購入を決意。これまで事務室に行けば、「(パソコン関係で)またお金のむしん?」と、うさん臭そうに見られていたのが、色々な団体からお金が流れ込んでくると、気のせいか、にこやかに迎えてくれるようになった。思い起こせば昨年の3月、サンのワークステーションも、この事務局長がバックアップしてくれたおかげで、購入できたのだった。
保護者対象公開講座や新入生の入学前インターネット集中講座、こんなことを提案しようものなら、怒涛のような抵抗を覚悟しなくてはいけないはずが、今や、すんなりと通るようになった。学校が変わり、校長が変わった。もっとも、この校長が変わったというのは、スピリッチャルな意味だけではなく、1年前に、文字通りの意味で、前任校長に変わって新校長が生まれたわけだが、いずれにしても、インターネットを取り巻く周辺の人々や環境が大きく変わってきている。この新校長、一昨年の8月完成したコンピュータ教室を、どの教科でも使えるように研究せよと、校長ほやほやの昨年4月の第一声で、高らかに宣言したのだった。
私のライフスタイルも大きく変わった。受験英語を教えるだけで、あとは、暇な時間を持て余していた10年前と、これが同じ人間かと思われるほど、変わってしまった。授業に行く前に、今日はタイピングをやらせようか、電子メールを教えようか、ホームページを自由に検索させようか、それとも英字新聞の検索、電子辞書の使い方を教えようか、あるいは、オンラインプロジェクトに参加させて、掲示板に書き込ませようか、海外の音楽番組を聞かせようか、小さな硬い頭は、もうアイデアでいっぱいだ。
海外の生徒を招待して国際会議を開催する、そのためには、インターナショナルスクールのバイリンガルな生徒を招いて行ってきた本校の語学合宿と国際会議をドッキングさせるという妙案?を思いつく。韓国との交流にインターネットを使う。そのために必要な器材をそろえるべく、諸団体に企画書を出す。企画と書類の山に囲まれて、日常業務をこなしながら、夢を追っかけている、そんなばら色の生活を送っている。とまあ、これは表舞台での私の実話。
で、世の中、そんな甘いもんではおまへんというのが、これからの恐わ〜いお話。
学校が生徒に乗っ取られる、こんな危惧をいだいているのは、おそらく、第一線でコンピュータクラブの奇才君たちと接している私だけだろう。今や、彼ら無しでは、コンピュータ教室のメンテナンスもネットワークの維持・管理もできない状況になっている。これぞ、生徒中心の理想の学校とのんきなことを言っていられない。ある時、その奇才君たちが「先生、○○準備室のコンピュータの中が覗けます」。そんなことが、と思いながらモニターを見ると「メールボックス」以外に「年賀状」「家計簿」という名前のファイルがあった。これをクリックすると文面も読み取れる。そんなことがあった一ヶ月後、またもや奇才君たちが、共有設定をはずしたはずの某準備室のパソコンに実力テストが入っていると叫ぶ。幸い、これは過去の問題だったからよかったものの、本校の入学試験問題など入っていたら、どんなことになるか、考えただけでも恐ろしい。
もっと幸いなことに、この奇才君たちは、ネットワーク時代を反映してか、ネチケット君でもある。だが、いつまでもネチケット君でいるとは限らない。いつ豹変するか、そうなると、何千万円とするネットワークシステムが、一瞬にして破壊される。
しかも犯人は跡を残さず逃亡する。なぜなら、取り締まる警察側の学校当局が奇才君たちの情報武装より、はるかに立ち後れているからだ。
敵は学校の外にもいる。昨年秋頃、毎日のように本校のPCユニックスマシンが外から入られ、そこを踏み台にして、スウェーデンの大学に侵入していたのだ。これはMRI(三菱総研)という保安官の助けで、事無きを得た。CEC・IPAというスポンサーが保安官を雇ってくれていることで何とかインターネットという荒野でサバイバルしている。だが、新100校プロジェクトの終了で、その保安官たちも去っていく。
その窮状を見た奇才君たちがプロキシーサーバを立ち上げることを提案。早速、WINGATEというプロキシーサーバソフトをインストールして試してみる。パソコンが古いためかネットワークカードがなかなか入らない。それでも1日か2日でインストール作業を完了。生徒機50台の設定を済まして、授業で使ってみる。速い。これは何とかしてお金の工面をして、このソフトを購入しなくてはいけない。
もちろん、これらすべての作業は、奇才君たちが目をらんらんと輝かせながら手際よく片づけていく。
で最後に40ページもあるプロキシーソフトのマニュアルをウェブページからダウンロード、出力し、にこやかに手渡し、「先生、再インストールしますから、明日まで読んできてください。僕たちがいなくなった時、困るでしょうから」と大学入試勉強モードに入った高校2年生の奇才君たち(再インストールというのは、せっかくインストールしたプロキシーサーバ、誰かが誤って電源を切っていたため必要となった)。
宿題は先生が生徒に出すというのは昔のことと嘆いてみても始まらない。今や、学校は完全に彼らに支配されている。奇才君たちの若き兵士を擁するインターネット進駐軍が静かに占領を開始した。これが誰の目にも明らかになる時、学校は変わっている。これを危機と受け取る学校は、それなりのお金を出して対策を立てねばいけない。逆に、そんなお金を用意できない学校や、これぞ生徒中心の理想の学校と受け止める学校は、占領軍の統治に身を任せることになる。
以上がパロディー風、本校が置かれているインターネット状況・環境である。