(1) 1OO校プロジェクトにおける研究の経緯と成果
本研究は、100校プロジェクトにおける実践研究のはざまにある子どもたちのインターネット利用環境改善のために、どのような配慮や考え方をすべきかといった理念について調査研究を試みたものである。
平成7年度に発足したインターネット100校プロジェクトは、特殊教育諸学校においては8校の参加校の熱心な実践によって支えられてきた。しかし、それらの実践の中で、インターネット利用環境改善のためのアクセシビリティ(情報にアクセスしやすくすること、転じて障害児・者が情報機器等を操作しやすくするための手だてなど)について検討し、積極的に実践を積み重ねてきたのは、視覚障害、運動障害(肢体不自由)、および知的障害(精神薄弱)の各盲・養護学校3校であった。
これはその障害の特性から、障害による機器操作上の不利を積極的に補った上で教育活動を展開する必要があったためである。特殊教育諸学校には、その障害部位により視覚に障害のある子どもたちの「盲学校」、聴覚障害児の「聾学校」、知的発達障害児の「精神薄弱養護学校」、運動機能障害児の「肢体不自由養護学校」、病気療養児のための「病弱養護学校」の5種類がある。盲学校、聾学校は目、耳といった感覚機能の障害であり、その感覚器官からの入力情報の不足を他の感覚器官で代行する「感覚代行」という手段が用いられる。視覚情報を触覚に置き換えた「点字」などがその一例である。
視覚障害教育においては、コンピュータ、特にインターネットを活用するにあたって、GUIであるディスプレイ画面が読めないといった視覚情報の不足は大きな課題であるため、福島県立盲学校を中心に画面情報を音声化するための試行が続いている。
聾学校では、音声情報や警告音などは聞き取れないものの、基本的に視覚情報が優位であるインターネット活用などでは、アクセシビリティの具体的手だてよりむしろ使いこなしや教育活動そのものに力を入れる実践が行われた。
一方、運動機能に障害のある肢体不自由児教育では、マウスオペレーションであるインターネットのシステムがかえって操作上の不利を招くこととなるため、東京都立光明養護学校を中心に個々の児童・生徒の運動機能の障害の状況に合わせて、随意に動かせる身体部位を使って入力する工夫を行ってきた。
知的発達に障害のある精神薄弱養護学校では、福井大学附属養護学校が、画面を触れるだけで入力ができる透過型のタッチパネルを利用したり、ひらがなページを提案するなどして、ネットワークを経由した交流などの実践を深めていった。
病院内に併設された院内学級等で行う病弱教育は、筋ジストロフィ症のような運動障害を伴う疾病の子どもを除けば、機能の障害というよりはむしろ健康や疲労への配慮が重点となり、光明養護学校そよがぜ分教室の実践でもそうした子ども個々への配慮を重視し、インターネットを利用した教育活動が行われた。
(2) テーマ設定の理由
前項で述べたように、我が国の障害児の教育は医学的な障害部位にあわせて区別されており、それぞれの障害種別に応じた教育展開が積み重ねられてきた。しかし、そうした単一の障害による児童・生徒は、地域の通常の小・中・高等学校にも多く在籍するようになってきており、従来の特殊教育諸学校(盲・ろう・養護学校)には、より障害の重い子どもや複数の障害を併せ持った、いわゆる「重複障害児」が多数を占めるようになってきた。特殊教育対象児の多くを占める精神薄弱養護学校在籍者(全特殊教育諸学校在籍者数の約60%)と肢体不自由養護学校在籍者(同20%)の多くは、程度の多少はあるが、何らかの重複した障害のある子どもが占めているのが実態である。ところがこれまでの実践研究では、こうした重複障害児に対するインターネットを利用した教育の在り方や、利用環境改善につながるアクセシビリティの在り方についての実践は少なく、取り上げられることは少なかった。
その理由は、重複障害という種別の障害名があるわけではなく、どういった障害がどのように重複しているかは全く個々によって異なり、類型化することが困難であるためである。また、知的な障害を併せ持つケースが最も多いことから、機能的な障害の代替えをするということではなく、教育活動全体が円滑に進むような総合的な観点のアクセシビリティ支援が必要である。こうした理由により、重複障害児のコンピュータ、あるいはインターネットを活用した教育について、これまで正面から検討されることは少なかったのである。しかしこれらの児童・生徒が特殊教育諸学校においてますます多数を占めるようになっていることや、特定の機能の補助というより「教育活動全体の支援」というコンピュータ教育の環境改善全体に反映できる汎用的な意義をもっていることから、今回あえてその総合支援と環境改善という理念的な部分についてそのあり方を調査研究し、今後の実践や開発研究につながる礎としようと考えた。
(3) 使いやすいインターネット環境とアクセシビリティ
特定の機能に対する補助・支援要件ではなく、教育活動全般に関わるアクセシビリティ要件とは、障害のある子どもたちへのトータルな「使いやすさ」の追求に他ならない。もとよりアクセシビリティとは、機械を相手にするのではなく一人の人問に対して行われる支援の手段であるため、普遍的な目的としての「使いやすさ」すなわちユーザーである人間の「快適さ」の追求の視点が根底にある。
一見合理的に「機能不全に対する補助手段」を追求しているように見える「リハビリテーション工学」の分野においても、不自由のある機能だけを見ているのではなく、その人問を見ているのである。そして、その個人が最適な環境で快適に機器の操作ができることや、障害故の不利を限りなく補う(バリアフリーの)手だてを講じているのである。
そうした意味では、リハビリテーションにおけるアクセシビリティも、学校教育の教育活動におけるアクセシビリティも精神においては差があるわけではない。しかし、子どもには成長や学習によって今現在の操作上の不利や障害が変化し、改善される可能性が成人より大きい。教育の目的は、このように子ども自身の成長発達を支援することによって、結果的にアクセシビリティを実現しようとする営みでもある。
よって、ここでいう使いやすさとは、単純に「操作が楽になる」ということばかりではなく、教育活動あるいは子どもの側からすれば学習活動そのものが可能な限り余分なストレスの少ない環境の元で行えるようにする、というところにある。むろん機能的な障害による不便や必要以上の緊張など、本来の学習活動を妨げる余分なストレスは少ないに越したことはなく、楽な操作環境は確かに必要ではある。しかし、そこに子どもの教育ニーズに合わせて、どういった学習をしてもらいたいかといった指導者側の意図や教育計画もアクセシビリティ要件を検討するにあたって無視することはできない。
こうした考え方からは、一般的にアクセシビリティというとイメージされているところの、障害された特定部位(機能)に対する特定の機器(補助具)という発想ではなく、障害児ばかりでなく幼少児やコンピュータの操作に慣れていない子どもたち、さらには高齢者など、何らかの(理解力や情緒的な抵抗感などという側面も加えて)支援が必要な人々にとっても役に立つ汎用性に富んだアクセシビリティ要件が導きだされるものと期待される。
特殊教育の対象となっている子どもたちは、その障害の故に自らの意見や主張を表現することが困難であったり、その意見や主張を広く社会の人たちに伝達する機会に恵まれていなかったりすることが多い。
また、このような子どもたちの成長や主体的活動を援助・支援する教師や保護者などの援助者たちも、障害がある子どもたちの援助に有効な情報を入手したり交換したり共有したりすることが困難であることが多い。これらの困難は、障害がある子どもたちやその援助者たちが社会的に少数(マイノリティ)であることに起因している。
コンピュータやインターネットの普及は、障害がある子どもたちが自らの意見や主張を表現するときの困難を改善したり、それを社会の人たちに伝達したりすることを可能にしている。また、援助者たちが有効な情報を入手したり相互に交換したりして、障害がある子どもたちに適切な援助を実施することを可能にしている。
(4) 特殊教育における教育活動とインターネット環境に求められる要件
インターネットが、障害のある子どもたちにとってどれだけ大きな教育的意義を持っているかについては、100校プロジェクトの過去2年間にわたる各校の実践研究で実証されている。
各校では主に障害児のアクセシビリティのあり方や技術についての実践研究を進めてきたが、個々の児童・生徒に対してのアクセシビリティ技術の追求はそれ自体が目的ということではなく、あくまでも学習活動のための手段の一つであり、それらの手だてを用いて教師あるいは保護者が子どもたちに教えたい(身につけてほしい)と願ったのは、社会の一員としての豊かな人問性の成長であり、自己の確立である。
インターネットをはじめとした広域ネットワークの教育的、社会的な最大の意義は時間、空間を超えた人間同士のコミュニケーションやネットワークができる(すなわち、つながりあう)ごとにある。とりわけ障害ゆえにどうしても移動や行動に不便を生じがちで、特殊教育諸学校に通うために一般の子どもたちや社会に関わりを持つ機会が少なくなりがちな障害児にとっては、居ながらにして世界を広げることのできる大切なメディアとして期待される。
インターネットは、学校から世界に開かれた窓である。教育活動を学校内の知識の伝達だけと考えられていた時代は終わり、地球規模で知識と技術を共有し、人類すべてが共存し合う社会が求められているなかで、学校教育も大きな転機にさしかかっている。こうした観点から、学校教育におけるインターネットの活用は国際理解、共同研究、ネットワークコミュニケーションやディベートなど、学校の枠を大きく飛び越えた世界での教育の展開を可能にした。
障害児の教育においても、こうした世界の拡大は教育観の転換に大きなインパクトを与えた。従来の受動的な社会適応教育ではなく、障害はあるがままとして「自己」というものを見つめて情報を利用し、かつ発信していくという主体性の高い子どもたちを育成することで豊かな社会参加ができるようになると考えられる。事実、これまでの実践研究で確認されたのは、子ども自身が情報発信することによって生まれる交流と広域な人間関係の拡大からもたらされた自己の意識や生き方の変化が最大の教育効果であった。
このようにインターネットの活用はこれまでの特殊教育のあり方を一変させる大きな意味を持っている。それはネットワークの持つ特性によって、障害による直接的なコミュニケーションの不利をアクセシビリティの技術によって埋めることができる可能性があり、得られるものがこれまで障害者がおかれていた時間、空間を超越したものとなりうるからであろう。
しかし、こうした教育活動を定着させるには、特殊教育の教育課程における情報教育の位置づけを明確にすることと共に、教育活動全体を支援するアクセシビリティの検討を重ねる必要がある。
(5) 重複障害児の教育
今回の調査研究を進めるにあたって、想定する対象児のイメージを明確にする必要があった。前述のように、「重複障害児」といっても障害名でも特定の医学的所見があるわけでもなく、単に複数の態様をもつ障害を併せ持っているという個別の「状況」を表すだけのことばだからである。
そこでこの研究部会では、中・軽度の知的発達の障害と、軽い運動機能障害を重複してもつ児童・生徒を想定対象として検討を進めることとした。こうした対象児は、障害内容の程度の差はあれ肢体不自由養護学校児童生徒の大半を占めており、精神薄弱養護学校にも多く在籍している実態がある。なお一般的に重複障害児というと「重度重複障害児」と呼ばれる医療的ケア(鼻腔栄養や、痰の吸引など生命安全のために日常的な医療的な介護を必要とすること)の必要なきわめて障害の重い子どもたちをイメージしてしまいがちである。盲・ろう・養護学校でも「重複障害児学級」というものが存在し、普通学級に対して教員配置基準がより手厚くなっている。
こうした子どもたちに対するインターネットの意味など、まだ検討する余地は多く残っているが、これらは障害状況や知的発達などの個別差がさらに大きく、教育目標としてなにをおくか、教育方法としてなにを選択するかはきわめて個別的な問題となり、アクセシビリティ支援に関しても普遍性を求めることそのものが困難である。
a. 重複障害児のイメージと特性
検討のために想定したのは、「脳性麻痺(まひ)」により知的な発達と運動機能にそれぞれ障害のある児童・生徒である。脳性麻痺とは、ポリオに代表される脊髄性小児麻痺(ワクチンの普及により、現在はほとんどなくなったが、30年ほど前までは肢体不自由養護学校の児童・生徒の大部分を占めた。)と異なり、周産期から乳児期までに何らかの外的要因で中枢神経系(脳細胞)に損傷を受け、その結果知的発達と運動機能に障害を持ったという症例で脳性小児麻痺とも呼ばれる。脊髄から先の末梢神経系に麻痺のある場合は、限定された部位の運動機能障害があるわけだが、中枢神経系の障害の場合、大脳のどこにどの程度のダメージを受けるかによって障害の状況も大きく異なる。
あえてこうした対象児を想定した理由は、脳性麻痺をはじめとした外因性精神薄弱児(大脳に損傷があるための知的発達障害、ただし成長してから事故などで脳細胞に障害を負ったものは「脳障害」として区別されている)には特徴的な感覚・認知障害があるとされている。後述するが、それらは発達の未分化な子どもにはある程度共通してみられる特性でもあることから、インターネットの教育利用のための環境要件を検討する上で意味があるのではないかと考えた。
b. 脳性麻痺児の感覚・認知特性(これらのすべての特徴があるというわけではなく、個体差は大きい)
・図と地の関係理解の困難
図形認知の上で、視覚情報の目的部分(図)と背景(地)の関係を分離して認知しにくい。すなわち、背景に複雑な模様があるとそれに感覚的に引きずられてしまい、本来見分けなければならない図形を認知することができなくなる。
・刺激に対する転導性が高い
今集中しなければならないことがあっても、他の雑多な刺激に無作為に反応してしまい、課題をこなすことができない。
・固執性が高い
一つの刺激にこだわり出すと状況に応じて臨機応変に対応するということができない。
・新しい環境に適応しにくい
新しい刺激(新奇性刺激)より慣れている刺激(親近性刺激)にこだわり、パターン化した行動に陥りやすい。
なお、知的発達の障害(精神薄弱)とは、歴年齢(実際の年齢)に対して知的発達年齢が遅れていることを指すわけだが、その遅れの程度や他の障害との重複の状態によって大きく配慮点も異なってくる。
精神薄弱児の一般的な傾向としては、抽象的な思考や類推が困難であり、より具体的な経験を元にした学習活動の方が理解されやすいとされている。そこで伝統的な精神薄弱教育では、生活や作業等を通した経験学習が中心となっている。
こうしたイメージから、特殊教育関係者の中でも精神薄弱児がコンピュータやインターネットを使うことに対して批判的な声や疑問を述べる意見も多い。
しかし、先に述べたように精神薄弱児はとりわけ個に応じて配慮点や学習プロセス(どういった手順で物事を理解していくか)が大きく異なる。また、知的理解の「機能」が障害されているというより、「発達」が遅れているわけだから、歴年齢相当には追いつけないとしても、確実に成長発達を遂げていく。
そうした個別性や教育による成長の可能性を考慮せず、精神薄弱児のコンピュータやインターネット利用を一方的に否定するのは、偏見以外のなにものでもない。知的レベルの高さや高学歴が人間の価値のバロメータとされている現状では、知的な障害のある人々の力は本来より不当に低く見られ、人間性そのものまで低く価値づけられる傾向がある。最近の動向として、雇用や障害者スポーツなどの世界でもようやく彼らを人間として同格に扱おうとする見方がでてきたが、日常指導にあたっている教員間にさえ、十分な共通理解が保たれているとは言い難い。
c. 教育活動を進める上での配慮点
前項で示したような特性は、ある意味ではどんな子どもにも幼少時には見られる傾向である。そこで、これらに対する配慮点を求めることは、多くの子どもたちに反映できる要素を含んでいる。実際にインターネットを使った教育活動を展開するにあたっては、これらの特性や教育的なねらいが展開しやすいようなソフトウェア、ハードウェア、教育環境に対する総合的な配慮が必要である。
具体的には、さまざまな教育活動を想定し、その教育的なねらいに合わせた配慮点を洗い出すこととした。それらが融合して初めてよりよい教育環境が整えられる。ただし、これらはあくまで机上で検討された「試案」にすぎないため、今後実践や研究開発などを通して検証していく必要があろう。
(1) 体制
特殊教育分野でインターネットの教育利用を試行・実践している教育関係者と、障害者へのコンピュータ利用に取り組んでいるコンピュータ関連企業とからなる研究グループにより本研究を進めた。
表6.5.2.1 研究グループ構成委員(敬称略)
所属 | 氏名 | |
主 査 | 神奈川県立第二教育センター 教育調査研究室(企画情報班)研修指導主事 |
田村 順一 |
副主査 | 東京都立光明養護学校高等部教諭 | 金森 克浩 |
委 員 | 淑徳大学発達臨床研究センター専任所員社 会学部社会福祉学科兼任講師 |
阿部 秀樹 |
委 員 | 京都府立南山城養護学校教諭 | 大森 直也 |
委 員 | 東北大学大学院情報科学研究科情報システム 評価学研究室博士後期課程3年 |
小林 巌 |
委 員 | 徳島県立ひのみね養護学校 | 島 治伸 |
委 員 | 国立特殊教育総合研究所教育工学研究部 特殊教育情報研究室室長 |
松本 廣 |
委 員 | 株式会社日立製作所情報事業本部製品企画 本部情報機器アクセシビリテイ推進室技師 |
安藤 研吾 |
委 員 | マイクロソフト株式会社教育ビジネス事業部長 | 岩田 修 |
委 員 | 富士通株式会社第四パツケージ部技師補 | 伊藤 智之 |
委 員 | 日本アイ・ビー・エム株式会社官公庁システ ム事業部インダストリー・ソリューション営 業部福祉ソリューション |
飯塚 慎司 |
委 員 | 日本電気株式会社第一C&Cシステム事業本部 市場開発部システム課長 |
北風 晴司 |
委 員 | 日本アイ・ビー・エム株式会社スベシャル・ 二ーズ・システム(SNS)センター主任 |
関根 千佳 |
委 員 | App1edisabi1ityCenter チーフアドバイザー | 花岡 里美 |
(2) 研究会の実施
委員会で検討を進めた。継続して検討が必要なものについては、メーリングリストを活用した。
表6.5.2.2 会議の実施状況
会議名 | 開催日 | 議事 |
第1会検討会議 | 平成9年10月16日 | ・研究の目的、狙いについて ・年間計画について |
第2会検討会議 | 平成9年11月7日 | ・ソフトウェアの要件について(概論) |
第3会検討会議 | 平成9年12月12日 | ・具体的なソフトウェアの要件 メーラー、プラウザヘの要求事項 その他のソフトヘの要求事項 |
第4会検討会議 | 平成10年1月14日 | ・第3会検討会議の続き |
第5会検討会議 | 平成10年2月10日 | ・報告書について |
第6会検討会議 | 平成10年3月3日 | ・報告書のとりまとめ |
(3) 討議された課題
・インターネットの教育利用
教材・教具としてのインターネット利用と、コミニュケーションの道具としてのインターネット利用の相違について検討を進めた。
障害児童・生徒がインターネットを利用するためのソフトウェア・ハードウェアの要件をまとめるに当たっては、この両面から考察した。
・ソフトウェア・ハードウェアの要件
ユニバーサルデゼインの動向に注意を払い、障害児童・生徒のための特別な仕組みではなく、誰にとっても便利なソフトウェア・ハードウェアであるためにはどうあれば良いのかと言う観点で検討を進めた。
メーラー、ブラウザ、ホワイトボード等のツールを利用する為に必要な機能について検討した。さらに、ソフトウェアとハードウェアが連携したアクセシビリティの改善についても検討した。
6.5.3 インターネット利用におけるアクセシビリティ環境の調査
(1) ブラウザのアクセシビリティ環境の現状
本報告書ではインターネットの利用者である重複障害児を、中・軽度の知的発達の障害と軽い運動機能障害を併せ持つ子どもたちと想定している。このような子どもたちは、視覚的な認知に困難があったり、上肢に障害があるため標準のキーボードやマウスの操作が困難であったりすることが多い。このため、このような子どもたちが、例えばブラウザなどを利用するときには、以下がアクセシビリティ環境として求められる要件と考えられる。
1) 画面のポイントなどがわかりやすい(見分け易い)こと。
2) 標準のキーボードやマウス以外のデバイスで操作できること。
そこで、このような子どもたちがブラウザを利用するときのアクセシビリティが、現在提供されているブラウザにおいて、どの程度実現されているかを調査する事とした。
その現状を踏まえた上で、目の前にいるこのような子どもたちが必要としているアクセシビリティや今後よりよいアクセシビリティを提供していくための考え方やその在り方を探ってみたいと考えた。
a. マウスによるポイントの色の指定
インターネット・エクスプローラー4.0(以下、IE4.0と略す。)では、色ダイアログボックス(図6.5.3.1参照)に「ポイント時に色を変える」という設定がある。
図6.5.3.1 マウスによるポイントの色の指定
この設定をONとし、その下にある「ポイント時の色」を指定する(図6.5.3. 1では緑色を指定)と、ブラウザの画面(図6.5.3.2)において、マウスカーソルがハイパーリンクを指定してある文字にポイントすると、その文字が指定された色(緑色)に変わる。
図6.5.3.2 ブラウザの画面(マウスカーソルのポイントにより色が変わる)
この機能は、子どもたちがマウスなどのポインティング・デバイスを操作してブラウザを使用するときに、現在ポイントされている箇所が色の変化で示されるため、わかりやすい機能であると思われる。
しかし、html文書のソースファイルにおいて、ポインタの文字の色が指定されている場合(図6.5.3.2の3.ではフォントカラーに青色を指定)、その色(青色)指定が優先され、この機能は動作しない。
b. キーボード・ナビゲーションによるポイントの色の指定
キーボード・ナビゲーションは、マウスなどのポインティング・デバイス以外の操作によりGUIなどのソフトウェアを操作することを求めているユーザー(運動障害児など)のために配慮され、提供されている機能である。
IE4.0では、html文書のソースファイルのbodyタグで、alink(アクティブリンク)の色を指定を記述すると、その色がキーボード・ナビゲーションによるポイントに反映される。
例えば、<body alink="#FF0000">・・・</body>と記述し、アクティブリンクを「赤色」に指定すると、ブラウザの画面は、図6.5.3.3のようにキーボード・ナビゲーションによるポイントの波線枠内の文字が「赤色」に変わる。
図6.5.3.3ブラウザの画面
(キーボード・ナビゲーションによりポイントの色が変わる)
これまでのキーボード・ナビゲーションによるポイントの表示は波線枠のみであり、波線枠のコントラストが低かったため分かりにくかった。IE4.0では、アクティブリンクの色指定がキーボード・ナビゲーションによるポイントの表示に反映されるため、次項(3)で述べるシリアルキー・ディバイス(Wing-SKなど)を使用して操作スイッチによりキーボード・ナビゲーションの機能を使用する子どもたちに有用であると思われる。
なお、html文書のソースファイルに、alink(アクティブリンク)の色の指定がないと、波線枠内の文字の色は変化しない。また、アクティブリンクの指定によりキーボード・ナビゲーションのポイントの色が変化していても、マウスカーソルによるポイントがあったときには、前述の「マウスによるポイントの色の指定」が優先される。
前項同様、html文書のソースファイルにおいて、ポインタの文字の色が指定されている場合(図6.5.3.3ではフォントカラーに青色を指定)、その色(青色)指定が優先され、この機能は動作しない。
(2) キーボード操作によるブラウザの利用
キーボード・ナビゲーションは、前述のようにポインティング・ディバイス以外の操作によりGUIなどのソフトウェアを操作することを求めているユーザーのために提供されており、〔Tabキー〕を押すことによりブラウザのポインタを移動し、〔Enterキー〕で確定する機能である。(キーボード・ナビゲーションにはこの他の機能も提供されている)。
したがって、マウスなどの操作は困難であるが、キーボードカバーなどを併用するとキーボードの操作が可能である子どもたちは、キーボードを操作することによりプラウザを利用することができる。このとき、不随意運動がある子どもたちにはキーリピートのキャンセルなどを設定する必要がある。
a . 操作スイッチによるブラウザの利用
コンピュータの外部に接続した操作スイツチを使用できる子どもたちは、図4のようにキーボード・ナビゲーションに対応するキー入力信号を、シリアルキー・デバイスを使用してシリアル・ポートから入力することにより、ブラウザを利用することができる。
図6.5.3.4.外部スイツチによるブラウザの利用
a-1.1 点自動走査(オートスキャン)方式による利用
図6.5.3.4において、コンピュータはユーザー補助のシリアルキーを作動させておく。
1) 操作スイッチがONの状態のとき、シリアルキー・ディバイスは自動的に繰り返し〔Tabキー〕のシリアルキー信号をコンピュータのシリアル・ポートに送出する。
2) 操作スイッチをOFFすると、シリアルキー・ディバイスは(Enterキー〕のシリアルキー信号を送出する。
これにより、1点の外部スイッチによりブラウザを利用することができる。
a-2.2 点逐次走査(ステップスキャン)方式による利用
@操作スイッチ〔A〕をONすると、ONになる度にシリアルキー・ディバイスは〔Tabキー〕の信号を送出する。
A操作スイッチ〔B〕をONすると、〔Enterキー〕の信号を送出する。
これにより、2点の外部スイッチによりブラウザを利用することができる。
同様に、3点以上の操作スイッチを操作できる子どもたちに対しても、シリアルキー・ディバイスの機能を設定することにより、自動走査(オートスキャン)方式や逐次走査(ステップスキャン)方式などの入力方式に対応することができる。
b. Webサイトコンテンツのhtml文書記述の提案
前記の調査により、キーボード・カバーやコンピュータの外部に接続した操作スイッチを使用してキーボード・ナビゲーションを使用する利用者を配慮したhtml文書の記述を提案することができる。
b-1. bodyタグでalink(アクティブリンク)の色を指定する。
アクティブリンクの色を指定することにより、キーボード・ナビゲーションによるポイントがわかりやすくなる。ここで指定する色は、背景色とコントラストのある色であることは当然である。また、ページやサイトが異なっても、キーボード・ナビゲーションによるポイントの色が統一されていることも必要と思われる。(例えば、一般的に未表示のポイントは青色、表示済みのポイントは茶色が使用されているので、キーボード・ナビゲーションによるポイントは赤色が適当と思われる。)
b-2. フォントカラーの指定を避ける
前述のように、アクティブリンクの色を指定しても、フォントカラーが指定されているとフォントカラーの色指定が優先されるため、キーボード・ナビゲーションによるポイントが波線枠のみになり、ポイントの識別が困難になる。このため、キーボード・ナビゲーションによるWebサイトコンテンツの利用者を配慮して、フォントカラーの指定は避けるべきであると思われる。
(3) アクセシビリティ環境の提供の在り方
今回は、本報告書で想定している重複障害児に有用なブラウザの機能を、IE4. 0について調査した。IE4.0では、1)マウスによるポイントの色の指定、2)キーボード・ナビゲーションによるポイントの色の指定、が可能であった。これらの機能は、視覚的な認知に困難がある子どもたちやキーボード・ナビゲーションを利用する子どもたちに有効な機能であると思われた。また、現在広く利用されているIE3.
0やネットスケープ・コミュニケータ4.0などのブラウザが、3)キーボード・ナビケーションをサポートしている、ことも確認された。さらに、本稿でコンピュータの外部に接続した操作スイッチを使用してブラウザを操作できることを確認した際に、4)シリアルキーの機能を利用した。このシリアルキーは、日本においてはWhdows95が提供されたことにより利用できるようになった機能である。(なお、シリアルキーは現在マッキントシュでも利用できる。)
今回の調査で注目されたこれらの機能は、ブラウザやWindows95などのOSに標準機能としてサポートされていることが重要であると考えられた。すなわち、これらの機能が提供さてていることにより、マイノリティなニーズに対しても特別なソフトウェアを必要とせずに、マウスや標準キーボードなどの操作が困難な子どもたちが操作スイッチを使用し、しかもポイントの色を指定することにより分かりやすい画面でブラウザを操作できることが確認された。
また、これらの機能は一般に提供するブラウザやOSのなかに、マイノリティな利用者の二ーズを考慮して設計され供給されている。これは、製品や環境を可能な限り最大限、改造や特別な設計を必要とすることなく,全ての人々にとって使いやすく設計し供給しようとするユニバーサルデザインの考えと軌を一にすると考えることができる。
今回の調査で確認されたマイノリティな利用者の二ーズを考慮した機能は、後述するように重複障害児がインターネットを利用するときに求められるアクセシビリティ環境をすべて可能にしている訳ではない。しかし、現状でこれらの有効な機能がユニバーサルデザインの考えを基にして提供されていることは評価することができよう。
なお、今回の調査では、マウスによるポイントの色の指定とキーボード・ナビゲーションによるポイントの色の指定の機能は、IE4.0以外のブラウザでは確認できなかった。今後このような機能が一般的に利用されるブラウザ等にも広くサポートされることが望まれる。
(1) メーラー(電子メールソフト)を利用した指導の意義
そもそも人間のコミュニケーションとは何だろうか。簡単に言えば「同一イメージの共有」ではないかと思うが、共有しようとするイメージとその方法は実に多様かつ複雑である。
障害のある子どもたちは、個々の障害の実態によって様々とは言え、程度の多少は (以下メール)の活用は、障害のある子どものコミュニケーションに視点をあてた実践と言うことができそうである。
・障害児のおかれている社会的背景
障害のある子どもたちは、盲・聾・養護学校に通学することが多く、その校区は一般の小・中学校校区より広いことになる。当然、登下校の時間は長くなることが多く、居住地と全く離れた寄宿舎で生活することもありうる。個々の障害に応じた指導を受けるために、地域のコミュニケーションから遠くなるということは、いずれ地域の中で生活しなければならない子どもたちにとっては、切実な問題である。
個々の障害に応じた「社会参加と自立」が現在の障害児教育に強く求められるわけだが、逆に言うと、障害があることで社会参加の機会が狭められている、自立が困難な状況に置かれているということを忘れてはならない。
そして、彼らには、障害(Disability)によるコミュニケーションの困難と、社会的状況によるコミュニケーション環境の不利(Handicaps)があわせてあるのである。
・表現手段の道具として
一般的にインターネットと言うと、WWWのネットサーフィンを差すことが多く、当初は「居ながらにして世界一周」というようなキャッチフレーズから想定されるように・移動困難な子どもたちが世界を広げるためのツールとしてとらえる教育活動の視点が多かった。もちろんそのような使い方もあっていいわけだが、100校プロジェクトに参加している東京都立光明養護学校(肢体不自由)などでは、Web上で発表した作品に対して、一般の人からメールが届き、さらに作品作りの意欲が増したという報告もある。
メーカーのテレビCM等では、インターネットを情報を一方的に得るものであるかのように偏って伝えている傾向があるが、.むしろ自分を表現する「場」としての機能にも着目したいと思う。ここでも明らかなように、すでにメールとホームページによる情報発信は限りなく融合しており、必ずしもWWWとメールを厳密に分けることはできなくなっているし、また、あえて区別する必要もないと考える。大切なのは自分の考え、活動、自分自身を情報として他の誰かと共有していくということではないだろうか。
また・現時点ではメールはテキストデータをやりとりすることが中心だが、子どもの二ーズによってはテキストデータ以外(画像や音声など)のデータや、それらを組み合わせたものをコミュニケーション手段として利用するということを考えてもいいと思う。
・障害を軽減・解消する道具
電子メールは距離に関係なく、瞬時にやりとりできるという即時性がある。そのあたりが郵便によるやりとりとは違うところである。もちろん現在ならFAXなどもあるわけだが、コンピュータを介することで、視覚の障害があったとしても音声出力を利用するなどの手だてを講じることで障害を軽減・解消することもできる。
さらには、主体的なコミュニケーションの経験を増やすために、障害に応じた種々のアクセシビリティ上の工夫を行うことで一人でコンピュータを操作し、相手とやりとりすることもできる。
また、対面ではコミュニケーションが成立しにくいような運動機能や発音・発語に障害のある子ども達のように会話や意思伝達に時間がかかったとしても、仮に入力に時間がかかるにしてもメールを書いて相手に送ることができれば、読む側としては相手の障害を意識しないで意思交換に専念できるということもある。
さらには、テキストデータのやりとりにこだわらず、シンボルコミュニケーションを日常行っている子どもなら、シンボルを直接送ってコミュニケーションを行うこともでき、手書きの文字を画像データとしてやりとりすることで、必ずしもテキスト入力をする必要もないと考えることができる。
・社会との接点
障害児教育は教育活動全般を通して「社会参加と自立」の基礎となる「自己決定・選択」の力を持った人格形成を行うことが大切である。情報の真偽を確かめたり、膨大な錯そうした情報の中から自らに必要な情報を引き出すなどの力は社会経験の少ない、ましてや知的に遅れのあるこども達にとっては非常に難しいことであり、第一「興味のある事象」が何なのか自分でもまだわからないということもめずらしくはない。
インターネットは双方向のメディアであるから、情報検索・収集だけでなく、情報発信の機能がある。社会からの反響が次の興味へとつながり、社会と接する機会をふやすことができるというわけである。
知的な遅れのある子どもたちにとっては情報検索より情報発信の方が容易であるという場面もあるだろうし、障害のある子どもとやりとりすることで社会の方も彼らを知り、心理的にも歩み寄ってくると考えることができよう。
・楽しさを共有する
コミュニケーションの力を伸ばす為の様々な実践を考えるとき、インターネットの利用が必ずしも必須ではない。しかし、メールを利用して自己表現をし、生身の相手から「○○くん」と直接語りかけられることで、さらにつぎのコミュニケーション意欲へとつながるなら、それは非常に有効な教育手段ということができる。
メールが「つなぐ」のは人と人の関係である。楽しいことでも、日頃の何気ない生活でも内容は何でも良いのであって、そういうコミュニケーションを通して、自分も相手もお互いを「人」として認識すること、障害があってもなくても重くても軽くても、関係をつなぐということ、そういう方向で電子メールが活用されるならそれはすばらしいことである。
・指導上の留意点・課題
電子メールは非常に便利で、手軽なコミュニケーション手段である。しかし、たとえばホームページを見て「交流しましょう」というメールが届き、返事を出したとしてもそれだけで交流が進むとは限らない。担当者が繰り返しやりとりをして、交流の計画を立てるなり、意思の疎通を十分した上でないと、立ち消えとなる例も少なくはない。
そういう意味ではメールが人と人との関係をつなぐ道具ではあるが、あくまで何をどのようにつないでいくのか、どのような関係を作っていくのかは、指導にあたる音あるいは支援にあたる当事者同志が考えていくベきことではないかと思う。
(2) ブラウザを使った実践と課題
授業の中で生徒たちに「インターネットを見てみようか」と言って、いわゆるネットサーフィン的に、生徒の興味のあるホームページを探索することがある。
それぞれに好きな芸能人の情報のホームページであったり、生徒の出身の市町村のホームページ(本校は施設併設の養護学校)であったりするわけだが、重複障害児に対して現行の一般的なブラウザを使用する上で、その操作手順のわかりにくさと、ブラウザによって表示される情報の認知的なわかりにくさが、問題となってくる場合が多い。
また、これはパソコンそのものに言えることでもあるが、何らかの補助的な入力装置が使えるか否かも非常に大事な要件になってくる。これらは、指導者側の意図する学習内容や目的、また、その学習の方法によって左右されることも大きいが、ブラウザそのものが授業を組み立てる指導者にとってもわかりやすいものである必要性も考えられた。
一般的に、ホームページ(Webサイトコンテンツ)を見せるという授業構成を考えた上で、子どもたちのいわゆる経験領域の不足を補うことを目的とした授業の組み立てを行うのか、それとも、パソコンの操作によってディスプレイに表示される情報が変化することを認知させることを目的とするのか、また、その操作そのものを学習することを目的とするのかなど、いくつかの視点から授業を組み立てることが出来る。
もっとも、これらのどれかを主たる目的として考え、それに付随する他の課題を加味して複合的に授業を組み立てることがもっとも多いが、いずれにしても、現行のブラウザの持つわかりにくさや、表示される情報の生徒に対するわかりにくさが、ひとつの問題となっていることには間違いない。
それは、たとえば、日常的に触れることの多いテレビ視聴と同じようなイメージで、児童・生徒に提示させられる場合を考えてみると理解し易い。テレビ視聴の場合には、あらかじめ授業者が放送時間帯やチャンネルを調べておくことで(場合によっては、あらかじめ授業者がVTRに録画することによって)、スイッチを入れれば目的の放送番組を見ることが出来る。
生徒自身が作業をするにしても電源スイッチを入れることとチャンネルを合わせること、あるいは音量の調整をすることさえできれば、彼自身の目的を達することが出来る。これらは、リモコンスイッチの利用(必要に応じて部分的な改造や汎用リモコンの利用もある)によって可能な場合が多い。すなわち、かなり限定された範囲内で授業の目的に沿った利用が出来るのである。
ところが一方、一般的な汎用のブラウザを使う場合には、自由度が高すぎることもあって、テレビ視聴による学習内容の組み立てとは完全に異なった準備の必要性が出てくるのである。
それでは、どのようなブラウザが必要なのかと言うと、一言で言うとフレキシブルなカスタマイズが可能なことである。たとえば、操作性で言えば文字やボタンの大きさや位置が容易に変更が出来ることであり、生徒の実態によってはボタンそのものを見えなくできる必要性も出てくる。あるいは、外部入力装置との容易な接続(たとえばタッチパネルやシリアルインターフェースに完全対応しているなど)や、音声読み上げ機能・ズーム表示機能などもあれば使いやすくなる。表示された情報の背景色を変えてしまうことができれば、目的となる情報をより引き立てることもできる。
実際に、授業者が授業の事前準備をする場合には、特定のホームページをあらかじめいくつか登録しておくことができ、それを、たとえばテレビのチャンネルを切り替えるように簡単な操作によってそれらを呼び出せるようになっておれば、それぞれの授業者の意図する学習内容や教育目標を、指導案段階で容易に確認したり授業準備をすることができる。また、生徒の反応をある程度予想することが可能であり、個に応じた学習内容を考えていくことも可能になるはずである。場合によっては、スイッチオンでダイアルアップ接続をしてブラウザが立ち上がるというような設定も可能であることも望ましい。
いずれにしても、それぞれの学習内容に応じたカスタマイズが可能で、かつ、それが容易に行えるブラウザが開発されるようになれば、重複障害児の教育にとって、生徒にも教員にも「わかりやすく」なると思われる。授業の組み立てや学習内容及びその指導方法を考えるのは教師なので、授業の担当教師が事前に容易に準備のできるブラウザ環境が必要になってくるであろうし、逆に考えれば、容易に使えるブラウザ環境が整備されれば、どの教師も身構えることなく授業に組み入れることが可能となるわけである。
(3) 情報発信(ホームページ等)を利用した指導の意義と課題
・情報発信の意義について
これまでも肢体不自由教育の現場においては運動障害によって、表現する機能を補うためにゴム判、電動タイプライター、ワープロ、コンピュータなどが活用され、学習の自助具として利用されてきた。また、これらの機器では自らの意思を伝える大切な生活機器としての側面もあった。しかし、表現する道具があればすなわち、自由に何でも表現することが出来るわけではない。他者を意識することによってはじめて、表現する意味や自己を考えることが出来るはずである。
知的に障害が無く、本人のモチベーションがある場合には、道具を得るだけで、コンピュータ等の機器は有効に働くことになるが、重い障害や知的な障害などによって他者を意識する経験の少ない子どもたちにとってはその段階からの段階的な指導が大切になってくる。
これまでも、パソコン通信で社会との接点を作り、コミュニケーションの場を豊かにする実践は行われてきた。しかし、
a. やりとりする情報の形が「文字」べースであること
b. ある特定のネットワークの中に限られてしまうこと
c. ネットワーク独特の操作方法に限定されること
などの問題もあった。しかし、インターネットの普及によりこれらの問題が解決しつつある。
ホームページ(Webサイトコンテンツ)を使った情報発信の実践では、文字だけでなく、自分の絵や写真などを載せることでも表現の場が見いだせる。また、多くの人に自分の作品を見てもらうことができ、様々な評価を受けることが出来る。
またHTMLなど共通の表現形式での記述が可能であるため、汎用性が高く、またホームページ作成などもプログラミングを意識することなく作成することが可能になっている。
・指導にあたっての課題について
ネットワークを使った表現の場は障害のある子どもたちへの社会への接点として有効な道具となり得る、がしかし「社会」自身が持つ様々な側面もあり、コミュニケーションの相手としての「優しい受け手」を持つことも大切な要素である。
パソコン通信の問題点として特宰のネットワークに限られてしまうと書いたが、はじめのうちは限られた関係の中で、適切に評価してもらえる関係があることも、良い面としてとらえることが出来る。ホームページによる情報発信でもただWebサイトコンテンツをあげるだけでなく、はじめのうちにはそれに対して、何らかのメッセージを与えてくれるような相手を作っておくと良いと考える。
重複障害児に対するインターネットを利用した教育活動を行うにあたり、どのような環境条件が想定できるかについて検討を進めた。これらは研究委員のこれまでの実践や経験に照らした一つの試案として示されたものであり、当然ながらここに取り上げたものが配慮すべきアクセシビリティ要件のすべてというわけではない。おそらく今後教育実践の中での試行錯誤と開発研究が必要となろう。
重複障害児がインターネットを用いて学習を進めるにあたって、あるいは教員が教育活動を展開するにあたって必要と考えられる要件を抽出するために、あらゆる教育活動を通じて横断的に求められる要件、情報活用力をのばすためにインターネットブラウザはどのような機能のものが求められるか、交流やコミュニケーション能力を伸ばすためにメーラーにはどんな機能が求められるか、さらには情報発信のためのホームページ作りやその他の活用にはなにが必要か、といった観点に分けて検討を進めた。
(1) 共通的に求められる要件
・ハードウェア要件
一般的インフラ整備として、校内LANの設備はほしい。いきなりインターネット接続するのではなく、模擬的な学習をしたり、教室の日常的な学習場面から自然にインターネットを用いた学習に移行できるような設備でありたい。
コンピュータそのものに対してのあり方だが、多様なニーズをもつ子どもの個別な教育目標に応じたきめ細かな展開を実現させるためにも、設定変更の容易なコンピュータ、壊れにくい丈夫さが求められる。
画面を触れば入力ができる透過型のタッチパネルは操作点と作用点が一致しているため、あらゆる教育活動で有効である。
・ソフトウェア要件
個に応じてきめ細かく設定の変えられる「カスタマイズ性」が必要だが、その設定方法は限りなく容易でないと日常的に利用されなくなる。
・その他
既存のインターネット利用の形態や発想にとらわれることなく、機器の設置や利用等について、子どもを中心に考える必要がある。機器やシステムの都合に子どもを合わせさせるのでなく、子どもの側の二ーズに周辺の条件を合わせることができるような校内の共通理解と学校内外の支援体制が必要となる。
(2) ブラウザに求められる要件
・ハードウェア要件
高速で安定したネットワーク環境が必要である。ダイアルアップ接続の場合は、利用したいときに確実に接続できることが重要である。いったんそこでつまづくと学習の雰囲気や意欲を壊してしまうことになりかねない。
タッチパネルやキーボードナビゲーション機能などを用いた外部スイッチ、センサーなどが接続でき、簡便な入力方法が確保されている必要がある。
・ソフトウェア要件
図と地の関係に配慮して、Webサイトコンテンツの背景を任意に消すことのできる機能が欲しい。
画面上の情報(ツールボタンやロゴなど)はかえって集中を妨げる場合もあるので、必要な上位方だけを表示できるよう、カスタマイズできるとよい。
文字やボタンの大きさが任意に変更できると、タッチパネルを用いた操作でも誤差が少なくなり、画面も単純化されて見やすくなる。
漢字仮名交じり文の画面情報をひらがなに翻訳したり、音声で読み上げる機能が欲しい。
操作のヒントを任意にカスタマイズでき、バルーンの形(マンガの吹き出しのように)でヒントを必要とする部分に表示できるとよい。
ブラウジングしているとき、自分がどの階層のデータを見ているかわからなくなる場合があるので、階層構造が図でわかりやすく示されているとよい。
(3) メーラーに求められる要件
・ハードウェア要件
入出力の支援はいずれにしろ必要。入力ではタッチパネルやその子どもにとって使いやすいスイツチ類を選択できるようにする。キーボードが使えないとメール交換ができないというのでは利用の可能性を狭めることになる。
出力には、相手の声が転送される(電話とは異なるので、あいさつ程度の一言の音声ファイルが添付でき、自動再生されればよい)ことも含めて音声化が必要。
・ソフトウェア要件
空間的なつながりが視覚的に見えるよう、つながる経過や送信している様子がアニメーションで表示されたり、先方の顔写真などが表示されるとよい。
メールでの交流は、多くは相手が特定されているのだから、アドレスをキーボードから打つのではなく、相手の顔写真などのアイコンをクリックするだけでつながるとよい。
文書作成支援として、絵カードを選択すると簡単な文章が作成できるシステム、あるいはシンボルによるコミュニケーションを使えるようにしてはどうか。
語彙は限定してもよいから、その子どもがよく使う単語や言い回しを先読みする変換辞書がほしい。
文字だけのコミュニケーションでは、語彙力のある子どもしか問われなくなるので、画像や絵などが添付でき、相手のメーラー上に自動的に表示する機能が欲しい。
図6.5.5.1メーラーの画面
・その他
手紙でも、電話でもないインターネットメールの良さは、お互いが自分のべースで情報発信・受信ができること、画像や音声が添付できることにある。
よって、デジタルカメラやマイクを組み合わせ、簡単に発信情報画面が作れるようなシステムが必要である。
(4) Webサイトコンテンツの制作、その他の活用例と求められる要件
・ハードウェア要件
情報発信のためのホームページ作成には、他のケースと同様入出力の支援が必要である。
また既存のデジタルカメラや音声入力機器などの組み合わせでもよいから、一体化して操作の簡便なホームページ作成システムがあるとよい。
・ソフトウェア要件
前記ハードウェアと一体になった簡易なホームページビルダーがほしい。これは小学校等での利用にあたって幼少児などにもメリットがあるはずである。
簡単な描画ツール、簡単な操作のアニメーション作成ツール、音声ツール、スタンプのような画像データが自由に付加できるような統合的なホームページ作成ツールがあれば、重複障害児に限らず、幼少児から高齢者まで多くの人が情報発信に気軽に取り組めるようになる。
・その他
その他のインターネット活用例として、仮想空間で社会経験を相互に代理体験できる「バーチャルシティ」、テレビ電話のようなリアルタイムのやりとりをする「Cu-SeeMe」、スポーツテストの結果を各学校から発信して収集し、記録を集計してランキングと表彰をWeb上で行う「バーチャル運動会」、絵などの作品を発信して集約し、Webサイトコンテンツで展示会を行う「バーチャル文化祭」、センサーとインターフェースを介して実際に引っ張って勝敗を競う「バーチャル綱引き」など、現行の機器を組み合わせることで、さまざまな教育活動を行うことができるアイディアがある。
学校外の人や空間、社会に対して実感を伴った関わりを持つために、こうした今までのインターネットを用いた教育の既成概念にとらわれない活動の工夫が有効である。これらの教育活動のためには、そう特殊な機器やソフトウェアが必要というわけではないが、適切な組み合わせによって効果的な教育活動が展開できるさまざまな可能性がある。
(1) アクセシビリティからユニバーサルデサインヘ
本研究では、仮想的に重複障害児(脳性麻痺児を想定した中・軽度の知的障害と軽い運動機能障害を併せ持つ児童・生徒)のインターネットを活用した教育活動と、それに応じたアクセシビリティ支援のあり方について調査研究をしてきた。
情報を読みとる感覚器官に障害のある場合、あるいは具体的な操作に関わる運動機能に障害がある場合、その障害を補完することで確実に得られるものが変わってくる。
それならば、個の尊厳を守るためにも、あらゆるアクセシビリティ支援の手だてを講じるべきである。
こうしたアクセシビリティ支援の技術はまだ十分に研究がなされているとは言い難く、決して採算の合う分野ではないことから、メーカー等が企業として取り組むには困難な面があることも理解できる。しかし、その技術やノウハウが一部の人にしか還元できないから積極的に開発できないとか、福祉の分野の課題であるから公的機関が行えばよいと、もし考えているハードウェア、ソフトウェアメーカー等があるとすれば、それは誤りである。
言い古されたことばではあるが、「障害のある人にでも使いやすいものは、すべての人にとっても使いやすい」のである。メーカーは品物を作って売り、利潤を得るだけのために存在しているのではなく、その品物を社会に送り出すことを通じて社会・文化の進歩と充実、人類の幸福に貢献しているのである。企業体である以上、利潤を追求することは当然のことであるが、その一方でものを作り出し、社会に広めていくことに対する責任と自覚も必要である。従って、その作り出した品物によって得られる便利さを社会のあらゆる人のために供給していく責務がある。これは障害者のためだけの措置を要求しているのではない。
もはやコンピュータやソフトウェアは一部のマニアの道具ではなく、メーカーもそう宣伝しているはずである。社会はさまざまな人々がいて構成されている。(それをノーマライゼーションという)その中には人種や性別、年齢も異なり、障害のある人をはじめとしてさまざまな支援二ーズをもつ人々がいる。まして我が国は、あと20年足らずで世界一の高齢化した社会を迎えることになる。アクセシビリティ支援は、特殊な人たちだけのためのサービスではなく、明日の自分たちを含むすべての人々にとって必要な技術なのである。
このことについては、本研究の研究会の中で繰り返し議論されたことである。そして、この研究部会に参加いただいている各メーカーの障害者対応セクションの方々は、ほとんど例外なくこうした姿勢を充分理解して仕事に取り組まれていることもわかった。これは現場で指導にあたっている者たちにとっても心強いことであった。
さて、重複障害児にとって必要と考えられる要件を検討していく中でわかったことは、こうしたアクセシビリティ支援のノウハウをふまえてさえいれば、障害児教育においては必ず特殊な機器を開発しなければならないわけではなく、既存の技術でも適切に組み合わされ、効果的に利用されれば教育効果を上げられるケースもあるのではないかということである。また、既存のOSやブラウザにもある程度は障害児・者が利用できる機能を持つものもある。ところが、意外とこれらの事実が知られていない。
特殊教育というと、何かと特別な機器を一人一人に開発しなければならないと考えられがちであるし、確かにそれが必要な人たちもいる。しかし、大部分の子どもたちは、基本的に使いやすい、人に優しいコンピュータとネットワークシステムがあれば、あとは教育による成長発達の中で自分なりに使えるようになっていくのである。とりわけ知的な障害のある子どもたちの中でも中・軽度の子どもたちは、適切に教えていけば確実にコンピュータもインターネットも学習し、身につけていくのである。
今回の研究でもっとも強調したいのは、実はこのことである。
障害児のためだけでなく、誰もが使いやすいコンピュータやネットワーク環境要件を考えることが、結果的に多くの支援二ーズをもつ人々を支えることになり、その中に障害児も含まれているのである。さまざまな二ーズのある人を想定し、誰をも利用対象から外さないよう、またその恩恵を共有できるように設計、開発し、社会に提供していくというグローバルな発想を「ユニバーサルデザイン」という。今後各メーカー、公的機関、各学校、障害者自身等が一致連携して、この発想の具体化に向けて研究を進めていく必要があるのではなかろうか。
(2) 教育活動にとげ込むインターネット
本研究を通じて今ひとつ検討されてきたことは、教育活動としてのインターネットのあり方の見直しである。新しいメディアであり、教育素材であるインターネットは、どうしてもインターネットを活用すること自体の方が前面に出た検討がなされがちである。しかし、この場合インターネットは教育活動を行う上での手段であって、目的ではないはずである。こうした手段と目的の混同は過渡期にはよく起こりがちなことである。
インターネットの利用を特別な活動とするのでなく、日常の教育活動の中にさりげなくとけ込ませるには、教室からアクセスできるようにすることや、子どもたちが大きなストレスなくインターネットに関わることができるようなアクセシビリティ支援も含めた機器や環境整備が必要である。
しかし、なにより大切なのは、インターネットを通じて得られる教育的な意義を、指導にあたる教員がきちんと共通理解をし、教育課程の中に位置づけていくことであろう。
特殊教育における情報教育をどう進めていくかについて、まだようやく研究や実践が始まったばかりである。すでに100校プロジェクト実践研究でも取り組んでいるように、視覚障害や運動機能障害(肢体不自由)の分野ではアクセシビリティ支援の技術や総合的な支援機関のシステム化が大きな課題として話題になっている。
ところが、知的障害をもつ子どもたち(精神薄弱養護学校く特殊学級、肢体不自由養護学校や他の学校種の重複障害学級に在籍している、特殊教育対象児としては圧倒的多数の子どもたち)に対しては、先に述べたような生活適応と経験主義に裏打ちされた伝統的な教育観により、機器やメディアを活用することそのものへの共通理解が進んでいない。
これまで、重複障害児や知的発達のある障害児は、自己認知や自己決定といったごく人間的な意思の表明を必ずしも認められてこなかった。そうしたことは望んでもできない特性を持った障害であると考えられてきたのは歴史的事実である。しかし現実は必ずしもそうではなく、そのように幼少期から教育してきたために自己決定力を持たないかのように育てられてきたにすきない。そろそろこうした固定的な障害児観から脱却する必要があるのではないだろうか。
情報メディアの発展は、我々情報化社会を生きる人間に、自己とは何かという大きな命題を突きつけている。誰もが情報発信ができ、また情報を受けることのできるインターネット上の世界は、どこにもまとめ役も責任者もいない。すべては自己責任において参加することを原則とした仮想空間である。そこに参加することによって我々は世界の情報を瞬時に共有化する事ができるが、そこにある情報の価値判断と利用は自分の責任で行うことになる。これはきわめて明確な自己意識と善悪を判断する力を必要とする。いわゆるメディアリテラシーである。
高度情報化社会は、こういった素養を誰もが持つことによって初めて成立しうる。
従って学校教育も、これまでのように一方的に教師から子どもに情報伝達がされるだけでは成り立たなくなり、インターネットを教育活動に利用することから、正しい自己決定力を学ぶことができる。インターネットの教育利用が急速に注目されている背景にはこういった展望があると考えられる。
さて、このようにして展開する21世紀の社会(あるいは学校教育)に障害児も同じように参加しているのである。彼らにも、いや障害ゆえに情報過疎に追いやられかねない彼らこそ、適切な情報教育を通じて、自己の確立をめざす教育を受ける権利がある。それが、新たな形態での社会参加につながっていくのである。
(3) つながりあうことの喜びと意義
インターネットは、その名の通り世界中に張り巡らされた情報の網である。そして学校にとっては、これまで何かと閉鎖社会を構成していた学校から世界に開かれた窓である。その先には人間がいる。人種や性別や国籍や、個人の立場の違いはあっても、そこにネットワークの力を借りてつながり合うことで初めてお互いが多くの学習をする。人間は社会の動物であり、つながりあい、協力し合うことによってより多くの成長がはかれる。
障害のある子どもたちも例外ではなく、保護者、教師、友達などいろいろな人間との出会いと共感によって成長発達を遂げるのである。障害のゆえに移動や交流にどうしても不利を免れないこれらの子どもたちにとって、インターネットをはじめとする広域ネットワークは、非常に大きな教育的意義を持っている。
100校プロジェクトの実践研究の中でも、子どもたちがもっとも目を輝かせ、意欲的に取り組んだのは、ネットワークを通じた人との関わりであり、交流であった。つながり合う喜びは何者にも勝るのである。
しかし現状のコンピュータ環境やインターネット環境は、それ自体が発展途上であるため、障害児をはじめとした支援二ーズの必要な人々にとって決して使いよい、優しいインフラにはなり得ていない。本研究で検討されてきたように、特別な機器が必要なケースばかりではなく、多くは一般の技術の有機的な連携と工夫によって格段に使いやすい教育環境を構築することができると考えられる。
それを妨げているのは、障害児の情報教育に対する共通理解の不足、研究の不足にある。21世紀に向けての情報活用力あるいは障害児の自己決定力の育成につながる新しい教育観に、教育者も社会も慣れていないことも一つの課題である。
障害者が情報にアクセスする権利は、国連の障害者権利宣言でも、国内法(障害者基本法)でも明確に規定されている。今後、関係者と障害児・者自身の参加による検討の場が必要と考えられる。本研究が、そのための一つのきっかけとなれば幸いである。