4.実施授業・交流




(G)成果・課題

(a)教員の感想・評価

 当日の接続は特別なトラブルもなく、流れるように日米児童間での文化交流を行うことができたため、成功である考える。
 交流の内容は高品質画像ということもあり、Eメールに代表されるキャラクタレベルの文化交流だけではなく、互いに実のある交流を行うことができた。特に、身体を使ったダンスや歌の交流などの、動画システムの特徴ならではの交流ができたことは、非常に喜ばしいことであった。プロジェクターから拡大投影され、そしてはっきり見える大きな映像には、アメリカの子どもたちや学校の「現在」が映っており、スピーカーからは次々と生の英語が聞こえてくる。そこには、「現在」という時間を自分たちと共有するアメリカの姿が見えてきた。
 今年度本校では、海外からの児童や教師が来校し、一緒に合唱をしたり、給食を食べたり遊んだりする機会に恵まれてきた。そのような海外の人達との直接交流を多く経験しているため、私自身としては、今回のような「フレーム」を通した間接的な交流は、直接体験のような刺激が見込まれないため、多くの児童が興味を示さないのではないかと考えていた。しかし実際交流を行ってみると、そのような心配は杞憂であり、児童は非常に喜びそして興奮していた。今まで、直接お客として本校に多くの海外からの児童や教師を受け入れてきたのであるが、それらとはまた違う感覚でとらえていたようである。この児童の感覚は、私にとっては予想外であった。この1つの答えとして、次のように分析を行ってみた。海外から本校へ来られる方は、子どもたちにとって「客」であり自分たちは「主」であり、「客」をもてなす必要があるという感覚でとらえているのではないだろうか。けれども今回のテレビ会議システムを使った交流は、「主」と「客」という感覚ではなくお互いが「友」という感覚で今一歩身近にとらえていたと考える。そしてそこには「直接交流」とか「間接交流」という媒体問題ではなく、相手に対して自分たちがどのような意識を持つかということに鍵があるのではないだろうか。「現在」という時間を共有し、自分たちの目の前の画面は「現在のアメリカ」の一部の姿であり、さらにそれを自分たちだけが独占している。そういった贅沢な感覚は、国境を越えて同じ地球に住んでいるという感覚を呼び起こしたに違いない。今回のように高品質映像ならではの交流体験だからこそ、こういった感覚で交流できたと考える。実際に交流相手の顔を見ながら、そして滑らかに歌や音楽の交流をすることは、あたかも海外を肌で感じることに相当するほどの大きな収穫であった。
 また、課題意識を持たせるかということについては、「交流においてインタラクティブ性をどこまで追求するか。」という問いの1つの答えがここにあると考える。小学生どうしにおけるインタラクティブ性の追求には多くの課題があると考える。それは年齢を考えた発達段階にも関係がある。例えば、同じ日本語を使っても1つの共通のテーマをもとに話し合うだけの満足な能力はまだ小学校段階では、形成されていたいからである。それを訓練する段階が小学生である。さらに他国の言語を媒体とする場合、意思疎通の難しさがさらに増加する。
 では、どうすればインタラクティブに児童に積極的を持たせることができるのだろうか。やはり、そこには課題としてのモチベーションの高まりが必要だと考える。この会議を通じて何がしたいのか、何を自分が求めているのかという自分探しが必要だと考える。このように自分の課題が理解できてからこそ、より深くそして新たな展開を望むことができるのではないのだろうか。
 今回参加した第3学年児童の中の数名は、このTV会議以前に手紙のやりとりを行っており、TV会議において相手と正対し、手紙の質問に対して返事をすることができた。このように事前にやりとりをすることにより、TV会議の会場の向こうにいる人間をターゲットとして捜そうとするモチベーションがそこには見つけられた。こういった、課題意識を持つことで気持ちは高まってくる。そして、TV会議だけですべてを解決しようとするのではなく、あくまでもコミュニケーションを形成する1つの手段としてとらえていくなかで子どもたちの自分に対するだけではなく、相手に対する思いやりや文化の相違を抵抗無く受け入れることができるのではないだろうか。
 1つのパフォーマンスをカメラのレンズに向かって行った後、スピーカーから伝わってくる一見無機質な拍手な音ではあるが、その音の中に相手の存在を感じ自分の存在と相手との共有を直接感じていたように思う。

(b)課題

(1)教室

 今回の交流は、映像を中心として構成したため歌やダンスなどを中心におり込んだ交流となった。参加者は課外と言うこともあり、希望者を募ったのであるが3学年と6学年合わせた約40名の児童にとっては、パソコンルームは正面に設置された画面を眺めるだけのスペースしかなかった。
 今回は少し無理をして狭いながらの空間を工夫し、ダンスを踊ったり独楽を回したりするパフォーマンスがなんとかできた。文化の交流を念頭におけば、ある程度の空間や広さは必要である。体育館や多目的ホールなどの広い空間で交流を行うことができれば、実際このような空間の広さに頭を悩まされることはなかった。

<音響について>
 気のつきにくい部分が音響である。ともすれば、テレビ会議では映像の品質や大きさに目が奪われがちであるが、実のところ音響のセッティングは大切である。なぜならば、人間の目は多少間引かれた画像も自分の脳でその差分を自己流に再構成し脳内映像として再構成するが間引かれた音響は、脳内で再構成ができないからである。具体的には、多少ノイズの入った画面は見ることができても、傷のはいったレコードは聴くに堪えられないのがその例である。
 当然、大きな会場になればなるほど大音量が必要になるが、それはハウリングとの戦いの開始でもある。今回使用したPolycomにはハウリング防止装置が内蔵されており、うまく作動したため、大きな音でもハウリングに悩まされることはなかった。もし、このような機器のない場合せめて音質を細かく操作できるイコライザーやフィルター、指向性マイクが必要だと考える。

(2)ネットワーク

 周知のようにインターネットは一度に数多くの利用が可能なため、同時に大量のトラフィックが流れれば、通信速度は低下する。今回の交流の時刻は、日本側は朝の7:30〜8:30、米国時刻は17:30〜18:30と、ともにビジネス時間帯以外であった。そのため事前実験においては、使用した機材のPolycomの利用できる最大値である768kbpsまでの転送は可能であった。この速さはでは、秒30フレームというテレビ並の交流が可能である。しかし、本番ではその速度では利用できず256kbpsで交流を開始した。本番ではなぜ768kbpsの速度の確保ができなかったかの理由は不明であるが、まずは交流をするという安全策をとり256kbpsでの交流となった。交流途中、回線の転送レートをあげることに成功し最終的には768kbpsで接続を行うことができた。
 この翌日、韓国を中心にサイバーテロがあり韓国ではインターネットが数時間にわたって麻痺をするという多くの被害を被った。このように、まだインターネットの回線は不確定要素を多数含んでおり、準備側としては、どのような事態になってもあわてることないよう、臨機応変な態勢がまだ必要である。

<ポート及び決裁権について>
 ファイヤーウオールが設置されるのはどの国の教育機関においても必要であり、日米両国とも設定されていた。そのため、当然のことながらPolycomでの使用されるポートはふさがれていた。このポートのオープンが無ければPolycomを使った高品位な映像交流の実現は不可能であった。幸いなことにJohnson氏の努力により、事前テスト及び交流本番においてのみそのポートの利用が許可された。さらに驚くことに、この許可を得るまでにはほんの2,3日しかかからず、教育効果の内容を考えながら早急に判断をし、対処をして行くアメリカ側の迅速かつ応用力のある行政にはただただ呆然とするばかりである。

(3)設備及び機材

 Polycomはカメラと一体型であり、その筐体も小さく取り扱いは簡単である。またテレビやインターネットなどへの接続についてはビデオカメラをテレビなどに接続する技能があれば、十分である。残念なことにその設定方法についてはまだまだ専門的知識を必要とする。そのためインターネットについてのある程度の技能と知識が必要である。また、価格も安いとは言えずこれらもその課題と考えられる。


(4)サポート体制

<通訳について>
 今回の会議の通訳は、日本側の司会者が兼任した。一見、両会場2カ所同時に通訳が必要と思われがちであるが、それぞれの会場で通訳がいれば通訳するための時間が2倍かかるわけであり、その翻訳するニュアンスも少しずつ違うため誤解も生じやすい。通訳の業務はできるだけ一人の人間が行うことが望ましいと考える。そういった意味で、今回司会兼通訳にあたった日本側の司会兼通訳は小学校の教諭と言うこともあり、子ども向けに優しく訳すことができ子どもたちの理解に役だった。
<コーディネイターについて>
 テレビ会議を行おうとしてネットワークやコンピュータだけ準備しても、会議をやりたいだけの気持ちだけでも実現は不可能である。ではどうして今回はこのようにうまく事が運んだのか。それは、今回の会議のために支援を惜しまない協力的な人物の存在や、運営を行う互いの人間関係ではないかと痛切に感じている。今回のそもそもの会議のきっかけはFMFの開催したMTPプログラムである。このプログラムに基づいて、本校職員がワシントンに滞在し時期をずらして海外教員が本校に滞在した。これらの滞在期間が、互いに親密な関係を気づいていたからこそ、そしてお互いの意志通りやすくなり実現できたと考える。また技術者だけが存在しても難しく、教師だけでも存在しても難しい。技術者と教師との間にも意志の疎通が要求される。それはネットワークの状況に応じてどのような交流を行うかが決定される要素を含むからである。 このような人間関係をどのように構築をどのように構築していくかはなかなか表現しにくい。このような人間関係の構築は、モノサシではかれる物でもなくなかなか表現しにくい。けれども非常に大切な人間関係である。
 そういった技術者や交流相手同士の間を橋渡しする人間の必要性には、なかなか気づきにくい。今回も米国の学校のインターネット事情がわからず、開催直前まで渡米を躊躇した。なぜならば米国に先に述べたようにある程度のコンピュータやネットワークが理解でき、学校教育や交流内容、児童の発達段階や文化などのソフト的な理解のある立場の人間が存在しているか不明であったからである。
 もちろん、一般的な契約や仕様書があれば、話の展開が早いかもしれない。けれども臨機応変に対応することやその場での計画変更によっては、交流内容はどんどんと練り上げられ良い物にかわっていく。計画段階ではなかなか読み切れなかった場合はこのような方法でどんどんと良くなっていく。こういう展開を考えれば、今後様々な人の立場を理解しコーディネートする立場の人間が国際交流の実現には必要である。

(5)時差の問題について

 ワシントンD.Cと日本では時差が14時間ある。この違いをどう埋めるかも、大きな課題であった。ほぼ昼夜が反転するという時差の違いに加え米国での治安を考えれば、児童を早朝からの登校や遅く学校に残してまでひきとめることができない。何度かの話し合いの結果、日本が朝の7:30そしてワシントンが17:30という時刻が適切だろうと落ち着いた。ただ、サマータイムになれば時差が13時間となるため、同時刻でのミーティングはさらに難しくなる。
 このようにして同時開催の難しい時差を克服したのであるが、児童は同じ時間、時刻を共有していることに対して意味を感じ、喜んでいた。
 今回のテレビ会議も早朝7:30は日課外であるため、参加者は基本的には保護者の同意を得た児童のみに限定され、教育課程とはカウントしていない。



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