8.情報テクノロジーと教育、そしてKIDLINKの願い

             ---国際化WGに参加して

                                         島崎 勇     林間小学校

1.    はじめに
 「KIDLINKへの参加」プロジェクトが、国際化の重点企画に採用されたという事で、私も国際化WGに参加する事になった。しかし、国際化の企画の中では、最後発、遅れに遅れての出発であった。実際には、6月、7月で、相当詳しい計画は出来上がっていたのだが、参加校が見つからず、事務局のお骨折りで、やっと小学校5校、中学校3校がそろったのが、97年10月に入ってからであった。そして97年10月25日、やっと一回目の会議を開いたのであった。
 だが、そこに、翻訳チームの候補として主婦の方々も参加されており、「具体的に何をどうするのか、分からない」という不安の中から質問の連発で、これから実践していく参加校の打ち合わせが十分に出来たとは言えないスタートであった。
 国際化の他の企画が、高校生を中心にして、華々しく活躍されている中で、いつもいつも小さくなって参加していた。さすがに、訓練された高校生だ。具体的な活動をどんどんこなし、新しい境地を開拓していた。そんな報告の一つひとつを聞いていて、「小学校は、いったい、どうしたらいいんだろう」とそればかり考え、悩んでいたのである。
 98年の7月は、「日本で国際会議を」、こんなすばらしい機会に参加する事ができた。ちょうど「KIDLINKへの参加」企画もあるので、「ノルウェーからオッドさんを招待してもらった。オッドさんが直接日本の関係者に話をしてくれる。「これで日本のKIDLINK活動もやっとスタート出来る」そんな思いがした。
 また、ペルーで開かれるKIDLINKの世界大会にも事務局からの派遣で参加する事ができた。重ね重ね、感謝している。

2.    情報テクノロジーとコンピュータ、そして教育
 「世は正に情報化時代」と言われた事もあった。しかし最近では、あまりそういう表現はされない。それだけ、情報活用が当たり前になった事を意味している。また、実際、日に日に新しい技術が開発され、日々の生活の場に登場している。そんな時代にあって、
100年前の3Rsと同じ考えで教育をしなくてはならないのだろうか。特に日本の学校教育は、明治5年の学制発布以来、どれだけ変わったというのだろうか。実質的には、何も変わっていないと言えるのではないだろうか。

チョークと教科書
 黒板を背に教師が教科書を持って立ち、子どもたちは銘々自席で教科書を開き、ノートをとる。黒板に教師が何か書こうものなら、話を聞くより先に、ノートに写す。
 なぜそうなるのか。それは、そのノートから試験が出るから、、、、、

コンピュータを使った授業
  遠足に行った。「では、コンピュータで作文を書かせよう。」そして一時間かけた。二、三行の文を印刷して、時間は終わってしまった。
  新しいソフトが入った。「それは、使わせなければならない」そして一時間かけた。教師の説明で一時間が終わってしまった。こども達は、ただマウスを動かした。
結局、日本の場合には、コンピュータを使うとはいえ、基本的に明治5年の学制以来の「おえらい教師が、色々と博識であり、何も知らない子どもたちに、知識をさずけてやる」その場が学校教育なのだ、と言い切ってもいいだろう。
 このごろ、何回も書いている事がある。

 「1992年、初めての海外旅行で、ニュージーランドに行った。そこで、小学校を訪問したとき、彼らは、スペインで開かれていたオリンピックを題材に、一ヶ月かけて、その事から学習を作っていた。それぞれの学年でそれぞれの課題をオリンピックに関して作っていた。そこには、夢にまで見た教育が実際におこなわれていた。」

スタンドアローンで導入された日本のコンピュータ
 アメリカは、16ビットのコンピュータの時でさえ、コンピュータはLANで学校に導入された。例え、一年生のこどもでも、自分のIDを持ち、パスワードを入力して、コンピュータの学習を始めた。だから、インターネットが入っても、それは、世界が広がるだけで、何の違和感もない。ところが、日本は、コンピュータが高価でソフトも高い。結局、スタンドアローンで導入され、せめてもの気持ちと、画面の監視だけができるLANでお茶を濁していた。そのつけが、今、回ってきた。学校現場では、コンピュータの導入とLANの導入とインターネットの導入とが同時になされる事になった。そして、「お上の申し伝えである、使わなければならないのだ」と、、、現場はますます混乱を拡大していく。

 

やっと具体的になってきたテレビ会議システム
 1993年8月、私は、ノルウェーの
CPAWの世界会議に参加していた。そこで、日本からわざわざテレビ電話を持っていってプレゼンした人がいた。その日本のお相手が、たかぎようこ氏という事は記憶にあったが、その高木洋子さんが、国際化WGでいつもお隣させてもらっていた高木さんである事が実感できたのが、やっとこの会議の終わる時になってからだった。
 私自身は、1993年にその現場に居合わせておりながら、距離を置いていたのだ。それはあまりに高額な回線料を考えたら一般に出来るものではなかったからだ。しかし、最近になって、企業レベルのすばらしいテレビ会議システムだけでなく、簡便に出来るテレビ会議システムも開発されてきた。まだまだ画面が小さかったりするが、音はそこそこ通り、不便はなくなってきた。

3.教育の事、KIDLINKの願い
 情報テクノロジーは日に日に進歩しているが、果たしてそれに見合う教育の進歩はあるのであろうか。教科書片手にチョーク一本、黒板を背に子どもたちに問題を出し、答えさせて、黒板にまとめていく。子どもたちは、授業に参加するというより、ノート取りに忙しい。
 確かに、一方で、華々しく新しい取り組みだといって、いろんな取り組みが紹介されている。毎年のように研究発表をしている学校もある。しかし、その学校が研究指定が終わってまでも、予算が付かない中で、その研究を維持していくことが出来るのだろうか。
 産業からの要請でハイテクを使うのもいいが、今、始めなければならない事は、「教育の側から現代を見て、教育自身を問い直す事」ではないだろうか。KIDLINKの海外での成功は、それを教えてくれる。オッドさん自身、よく言うのは、「ハイテクでなくても、ローテクでも出来ることはいっぱいあるではないか。大事なことは、技術にあるのではなく、ハート。お互いがどれだけ心を通わす事ができるのか、ではないのか」と。これはコミュニケーションの基本であるはずだ。 Heart to heart communicationとは、昨年のKIDLINKの世界会議で確認されたKIDLINKの方法である。
 「言葉が違っても、文化が違っても、お互いがコミュニケーション出来るのだよ」と、KIDLINKは教えているように思う。なぜ、日本からの参加が少ないのか。私としては、日本の教育についてもっと研究を続けたいと思っている。

4.    おわりに
 この一年半、委員のみなさん、事務局のみなさんには、ほんとにお世話になりました。ありがとうございました。なかなか「
KIDLINKへの参加」プロジェクトがスタートせず、恐る恐る参加を始めた会議でしたが、とても有意義な一年半を過ごさせてもらいました。

 

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