小学生低学年では、主に生活科でのケナフの活用が有効である。1997年宮崎大学教育学部附属小学校の鵜戸周成教諭は、子供との対話から生まれた単元「やってみよう ◯◯◯を!」の授業実践をおこなった。さらに1998年3年生に進級した子供たちと同校中西英教諭が行った総合学習「ケナフからひろがる夢」から、定点観測の効果と課題を述べていくことにする。
生活科でこのような活動があった。
中庭へ出ていったA児。A児は友達に葉っぱを見せて、「これ葉っぱ(実はケナフの葉)。葉脈があるよ、紙になるっちゃが。」と自慢げに会話をしている。「ケナフだったら、根井先生(理科専科)が詳しいよ。」「よし、理科室に行ってみよう。」と行って理科室へ走って行ってしまった。しばらくして、理科専科とある約束(5年生と一緒にケナフについて学習をすること)をして教室にもどってきた。
子供に身近に感じられるようになったケナフは、まさに子供たちにとって格好の素材になっていた。「やってみよう ◯◯◯」の原動力にケナフ栽培が効果をあげているのである。学習が進むと以下のような子供たちの姿がみえた。
理科室でケナフについて理科専科の話を聞き、「葉からではなく、茎から紙を作る」ことに驚きながら教室に帰ってくる。早速、理科専科から聞いたケナフの秘密やケナフ紙ができるまでなどを画用紙に表した。「見つけたよ掲示板」に掲示し、みんなにケナフの秘密等を紹介した。また5年生の理科学習に参加した。勿論、2年生のA児・B児は生活科の時間での活動である。ケナフの枝を細かく砕く作業等を体験する。ミキサーにかけて細かく砕く作業にも挑戦した。(T2と理科専科が対応。)インターネットでも作り方を調べた。そして実際に紙を作る活動に入る。水槽に砕いたケナフをすくって乾かし、アイロンをかけ、でき上がり。数時間、この活動にこだわった。できた葉書大のケナフ の紙を「見つけたよ掲示板」に張ったり、友達や先生に配ったりして他の友達や先生とのかかわりを深めた。
このような生活科の学習が進むと、他の子供たちが、ケナフ作りに挑戦したり、昼休み時間にもA児・B児を中心に紙を作ったりする活動が数日続いた。
|
B児他数名は、次単元の「郵便ごっこ」の活動で、作ったケナフ紙(葉書)で自分あての手紙を書き、投函したのである。
このような学習をふりかえって、鵜戸教諭は次のように述べている。
・活動のきっかけは子供がもっていること。
・教師が待つ構えをもつことで、子供は安心して活動に浸れること。
・子供は活動の成否以上に、活動そのものを大事にしていること。
子供は教科や時間など大人の価値の押し付けを嫌がっていること。常に教科や時間などの枠を越えて、自分のよさを発揮したいと総合的に学習を進めていること。
教師の支援(継続体験の場)も重要であること。
1998年総合わかたけ(総合的な学習の時間の試行的実践の場)がスタートした。
中西教諭は全国発芽マップで行った全国一斉種子蒔き(1998年5月20日正午)を共通体験の場として位置づけ、そこからふくらむ子供の思いから学習を構想したのである。子供はそのときのことを次のように日記に書いている。
「この土は粒が大きいからこの小さい鉢の穴からふるって粒を小さくしよう。」「◯◯君すごい!私もやってみよう!」と言いながら収穫したケナフの種を植える子供たち。「この紙ちょっと、粒が大きいね。ミキサーにかけるのが短かったのかな?」「ケナフを煮る時間が短かったんじゃないのかな?」と、すいた紙を指で確かめながら自分たちの取組をふりかえる子供たち。自分の取組のよさを友だちから誉められたり、自分たちの取組をふりかえることで、自らのよさを一層伸ばしている姿も見られた。
さらに子供たちは、自分の取り組みたい活動を進めていく中で、すぐに解決できないことや自分たちの力ではできないことに出くわした。子供たちは、失敗を繰り返しながらも自分たちの力で何とかしようとしたのである。ケナフの紙すきの道具がなくて、自分たちで、落ちていた木切れを拾ってきて失敗しながらも布と画鋲で紙すきセットを作り上げた。この紙すきセットを使ってできた紙は本当の意味で子供たちのものになったと思われる。
このように子供たちはインターネットの支えを得ながら、ケナフの継続観察を続けてきたのである。
その結果として子供の問題意識の芽生えや解決に向けての意欲の高まりにつながったのである