第1章●国際交流のねらい

 インターネットを用いた国際交流を行いたいという希望は多い。また,すでに実践を行っている学校もある。これらの実践を通して何が得られるのであろうか。いくつかまとめておきたい。

1. 交流自身に意義があること

 日本のある学校は,アメリカの学校とテーマを決めて,電子メールで交流している。これを,英語で表現する。授業の中で,この実践を行っているが,この実践も興味深い。英語で交流することは,生徒にとっては簡単ではない。辞書を何度も引きながらようやくメールを書いた。そして,初めて相手から返事のメールをもらった時,自分の英語のメッセージが相手に伝わったんだという驚きで,感動したという感想を,生徒は素直に述べている。コミュニケーションは,それだけで意義がある。外国に行って,はじめて英語が通じた時の喜びを誰もが体験しているに違いない。交流とは,そのこと自身に意義がある。それは,相手が物言わぬ教科書ではなく,生きている本物の人間だからであろう。

2. 相手を知ること

 先の生徒の交流は,やがてテーマが若者の宗教観になったと言う。現代の日本の若者が宗教に興味を持っているとは考えられない。しかし,外国の同じ世代の若者が,自分はこのように考えるという意見をしっかり持っていることを,日本の生徒が学んだと述べている。外国に行った時,むやみに宗教について非難したり賛同したりしてはいけないこと,宗教が生活や価値観の基礎になっていることを,学んだと言う。

 教室の講義でいくら説明しても,なかなか実感として理解しにくい。しかし交流を通して,考え方の違いを学ぶことができる。それは,相手の考え方,つまり文化を知ることに通じている。

 さらにテーマに関連したホームページはあまり読む気がしないが,自分に向けられたメールは早く読みたい,書いてあることを早く知りたいという気持ちになったと,生徒は述べている。生きている相手がいることが,交流の原動力と言えよう。

3. 自分を知ること

 やがて,この学校では生徒達が交流の内容を分析して,レポートにまとめる学習にまで発展した。レポートを書く段階になって,改めてこれまでの電子メールの内容を見直した。その時,いくつか気付くことがあった。これをコミュニケーションについてというテーマにまとめ,レポートにしたと言う。これは,気付くことの素晴らしさを,教えている。

 そうか,こういう意味だったのか,こういうふうに考えれば良いのかという気付きが,もう一度自分を見直すことに通じるのである。

 現代の教育では,自己評価の重要性が強調されてきた。これは,自分で考え,自分で評価せよということである。評価するという行為は,これまで教員の仕事であって,生徒のする学習活動ではなかった。しかし,自分で自分を知ること,内省することの意義を見出したのである。生きた相手との交流を通して,自分を知る学習まで結び付けたい。

4. 協同学習によって発展させること

 上記の実践は,学期の終わり頃になって,ホームページを作成することまで発展した。日米で共同のホームページを作成しようということになった。そのホームページを作成する段階になって,生徒達が相互に教えたり教えられたりする風景が見られるようになった。これまでの授業にはなかった光景である。生徒達が意欲を持って,活動に取り組むようになった。生徒達はこのことに意義を見出し,多くの生徒達が積極的に取り組むようになった。協同して学習することは,そのこと自身から多くのことを学ぶ。クラスの相手がこんな特技を持っていたのかという驚きがあった。やがて,海を超えた共同作品が出来上がったと言う。

 これまでの教育は競争であった。入学試験という競争によって,生徒を勉強に駆り立てるという傾向があった。ネットワークの活用は,競争から協調に変えた。もちろん競争も重要であるが,協調して学習するという環境を,インターネットは提供していると言える。

 国際交流は,実践である。生きている相手や現実にぶつかることによって,本物の学習をさせようとするねらいがそこにある。


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