徳島県・そらの郷へつながる街

そらの郷へ「奥祖谷」

今年も、また旅に・・・。

昨年の反省を元に、大まかな行き先は決めているものの、「いつ、何処」で・・・と決めないで行動(旅)することにした。そして出発地点は昨年同様、徳島から始まった・・・。そしてその幕開けはやはり雨だった・・・。
昨年、伊島の帰りに勢いがついて三好郡まで足を伸ばした。さらにその先に「大好き奥祖谷!」でチュニジア共和国賞を受賞した落合小学校がある東祖谷山村に向かった・・・。

四国の真中あたりに位置する阿波池田からバスで79番目の停留所を目指す。52番目(多分)の停留所「かずら橋」を過ぎると、観光でこの路線バスに乗り込む人はいなくなる。私の乗った始発バスも既に9時を過ぎていた。沢山のご老人が乗ってきて急にバスの中が賑やかに・・・。

 老人「どこまで行くのかね。(多分、そう言われたのだろう)」

 旅人「落合小学校です。」

 老人「なら仕方ねえなぁ・・・(これは方言ではなかった)」

 旅人「・・・。(何が仕方ないんだろう???)」

どうやら、このご老人は毎朝、このバスのこの席(私が座っている場所)に座っているらしかった。これはこのご老人の日常なのです。その後、20分程隣同士で目的地までバスに揺られる・・・どうやら、お孫さんが落合小学校に通っているらしい。方言がわかる部分とそうでない部分があるので、会話は弾んだり、萎んだりした・・・(笑)。

かつて・・・。

10時過ぎ、バス停「落合小学校前」に到着。探す間もなく、目の前に着いた。というより、バスは1時間以上、1本道を進んできた訳で、仮に何処で降りたとしても、迷うことはなかっただろう。
私は、この落合小学校には強い印象が残っていた。それは、インターネットが世の中に普及する前に、四国の秘境からホームページ作品が寄せられた記憶があったからである。手タグ(※)でホームページをつくらなければならなかった時代に、「どうして?都市部の学校でなく、こんな場所から・・・」と思った。


手タグ。ホームページをつくるための専用ソフトウェアなどを使用せずに、テキストエディタを使って編集すること。

結果的にその作品は、受賞作品とはならなかったが私には強い印象が残った。この落合小学校も実は伊島小学校と同様、へき地の小学校とされている。インターネット環境も伊島と同じく、以前までは「光ファイバー」で結ばれていたが、今ではナローバンドに戻っている。私が何年もの間「どんな学校なんだろう・・・」と思っていた想いが今回の旅で明らかになる。

雲の上の街(そらの郷)・・・。

雨の中、山から靄が出て、紅葉前の奥祖谷の街は神秘的な景色で迎えてくれた。途中バスの窓から「そらの郷」という看板をみつけた。まったくそうかも知れない・・・この雨は私に幸いした。雲の上に街がある景色があちこちで見られた。
子供の頃、私はこういう路線を走るバスの運転手は神様に見えた。何度となく難所を切り抜け、無作法に駐車された車も難なく通り過ぎて行く。今回は、小学校を起点にバスで来た道をじっくり見て帰ることにした。落合小学校を少し下ったところに、祖谷そばをだす「そば道場」がある。これを食べるために、何も腹に入れずにここまで来た。バスから見たところ、暖簾がかかっていなかった。どうやら大体10時過ぎに開店するらしい。少し時間を潰してから、戻ってくると暖簾がかかっていた。ここまで来て、食べずに帰ったのでは、街の皆さまに申し訳ない。良かったです(笑)。

橋の跡・・・。

道の途中、いくつかの橋の跡らしきものを見つけた。昔はその橋を中心に生活があったことを想像するとワクワクする・・・。そして、この道の先には、平家の武家屋敷や、かずら橋など観光スポットがたくさんある。その紹介は、落合小学校の子供たちや地域の方々にお任せして、そろそろ、足も疲れ、傘なしではいられなくなったので、次のバス停まで急いだ・・・。

バス停が見えてきた。ふと後ろを振り返ると、

  バスがやってきた・・・。迷わず、飛び乗った。

程なく雨が本降りに。
疲れもあって、そのままバスの中で眠ってしまった。 (2005.10.11/kun.)

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