兵庫・岡山県:あの巣塔をさがして

クラス全員が見送られた校庭に立つ

翌朝、始発に乗るために豊岡の駅に。日本海をまわって津山に向かう・・・

 豊岡から山陰線で曇天の日本海を見ながら鳥取まで向う、鳥取からは一転して山の間を抜けるように第3セクターの智頭急行で姫新線と交わる佐用へ。佐用駅では1時間ほど待ち時間があったので暫し途中下車。予報通り段々と雲行きは怪しくなり、小粒の雨が降り始めた。小さな商店街でパンを買い、駅へともどる。ここからは約1時間ほどで津山に到着する。津山は岡山市の北部に位置し、美作(加茂町、阿波村、勝北町、久米町)地方の中心都市である。第5回くらいまでは熊本とともにコンピュータを使った教育が盛んに行われ、以前から応募の多かった地域です。

 数年前から、「ホームページ作品に限らず、地域での活動をデジタルで発表できるものであれば事務局に相談してください」と呼びかけている。

 第12回の締切間際に、津山市立西小学校の先生から「クラス全員で街のパンフレットを作ったんですけど応募できますか?」というメールが届いた。

 -事務局-
「審査員全員に見てもらうために部数が必要ですが・・・可能ですか?」

 -先生-
「予算の関係で残りの部数は20部ほどしかありません」
 -事務局-
「何のソフトで作りました?PDFファイルにできそうですか?」

 -先生-
「表紙のデータはありませんが、中身のデータはあります」
 -事務局-
「表紙はコピーをとって、中身のコンテンツはPDFで公開しましょう」

 -先生-
「今晩中には、一つにまとめ送付します。しばらくお待ちいただけますでしょうか?」
 -事務局-
「了解しました」

 何度かメールでやり取りをして、PDFファイルにして応募できるのではないかということになり、締切日ギリギリまで対応してもらった。その作品に紹介された街は津山の観光・名跡というよりも学校の傍の街並みが小学生らしい目線でまとめられていたものだった。特に紹介に使用された写真は、単純に被写体に向けてシャッター押したものではなく、構図に意図が感じられてとても良い街の紹介だと思った。残念ながらその年は入賞には至らなかったが、数人の実行委員からも確かな評価を得たのです。そして翌年、同じクラスがホームページ作品に挑戦し、なんと3つの省から大臣賞候補に推された。私はその最終選考のゆくえを見ながら心の中で拍手を送って「良かったなぁ」と2年がかりの苦労を称えた。

 最終選考会の日は、その日のうちに入賞者への書類をまとめ郵便局に投函する。そして最後に最終選考に残った候補者のところへ嬉しいお知らせと辛いお知らせを朝までかかってメールするのが毎年の決まりごとになっている。あまり寝る間もなく、翌朝には喜びのメールが届く、これもやはり例年通り。その津山から届いたメールは文面からは爆発するような喜びが伺えた。この年の表彰式には、なんとこの津山からクラス全員が夜通しでバスに乗って表彰式に来てくれた。遠く岡山からクラス全員40人(校長先生と3人の先生と共に)が参加してくれた。予備席をフル稼働させ、立ち見のでる表彰式になったのだ。この回もいろんな意味で感動と自信を来場者に与えただろう。

 西小学校を目指し、縫うように小雨の津山の街を歩いた・・・。大きな道から入るとそこは正門ではなく裏門だった。ぐるっとまわり、正門から校庭に・・・。ここで、東京に向かう前日の夜、親御さんに見送られてバスでやってきた姿を想像し、霧雨から、本降りになり始めたその場にしばらく立っていた・・・。

 津山の駅に戻る途中ではいくつもの印象に残るお店を見つけ、当時の懐かしい気持ちが蘇った。そして岡山に戻るJR津山線では、以前に入賞した学校の名前が多くあらわれ、通りすぎただけだが、こんな街から作品が届いていたんだなぁと再認識。(2008.6.28/kun.)

ページトップ
ページトップ