徳島県・阿南市「伊島」の旅

涙の連絡船ならぬ、嵐の連絡船

 台風が過ぎ去ったのを確認して、夜行バスで東京を出た。徳島についたのは朝7時前、本土(四国)から1便で伊島に渡るために徳島駅始発の牟岐線に何としても乗りたかったのだ。すでに台風は去っていたが、台風が南から湿った空気を呼び込んで、徳島県地方に記録的な被害を与えていた。
 バスを降りて、強い雨にせかされるように駅に駆け込んだ。阿南市方面に向かう列車への乗り換え時間はわずかに3分だけ、3番線ホームは陸橋を渡った向こう側だった。ホームへ向かう階段を駆け下りた時に見えた時計の時刻はすでに発車時刻。列車の扉も閉まっている、「やっぱり、駄目かぁ。」と思った瞬間、このあとに出来る2便までの5時間近くの待ち時間をどうするか等が頭を駆け巡った(都市交通では良く見かける光景だが、10分おきに電車がくるわけではない。)。最後の2、3段を力なく降りる。しかし、そんな私の残念そうな仕草に車内の人は不思議そうな顔をして見ていた。よく扉を見ると自動扉でなく、「手動扉」と書いてある。これが私にとっての最初の非日常体験となった。

 「間に合ったぁ〜あ。」

 何とか無事に徳島駅から始発に乗ることができたが連絡船が欠航になっていれば、結局のところ予定は振り出しに戻ってしまう。まるで双六のようだ。列車から見える吉野川の水位も尋常な様子ではないし、激しい風に揺れる木々を見ながら、連絡船の欠航を覚悟するしかなかった。40分程すると、阿南市に近づき雨あしは弱まりつつあったが、風は依然として強く吹いていた。

 連絡船の発着港がある阿波橘駅に着いた頃には雨が上がっていた。兎に角、連絡船の方へと向かう。少し道を間違ったので、またしても出航予定時刻ギリギリになってしまった。目印のガソリンスタンドが見え、数台の車が行き来する様子を見ると、運転者が降ろした人に手を振っていた。どうも連絡船が動きそうな気配がその光景に漂っていた。急いで発券所らしき所に駆け込んで、居眠りしていたお婆さんを叩きおこして乗船券を買い、連絡船に飛び乗った。

 この悪天候の中、上出来の予定進行だった。連絡船の座席に腰をおろした私はひそかにガッツポーズをとった。出発した連絡船は潮の流れを横切るように航行するので、波が高ければそれなりの結果となる。同乗した島民らしき人が何度も悲鳴を上げたので、船は相当に揺れたようだった。

 30分ほど経って、エンジン音が弱まる。目的地についたらしい。実はこの伊島へ向かう1便というのは実は直行便だった(私はまったく気づいていなかったが)。到着した時に、私はまだここは「椿泊(途中の停泊先)」だと思っていたので、窓から見える光景をまだ伊島ではないと思っていたのだ。その勘違いに気づいたのは乗客全員が降りてしばらくしてからで、私は慌てて船を下りた。つまり私は、これまで劇的な乗り継ぎをしてきたのに、この旅の最初の感動場面を見事に逸してしまったのだ。

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