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![]() 「わたしたちアップリアン」第7回のコンクールは省庁の再編成もあって大幅に遅れて開催され、作品が集まるのかさえも危ぶまれた。しかしこの時に集まった作品群は、とても大きな予感を感じさせるものでした。その代表格だったのが「わたしたちアップリアン」です。当時は個人情報(児童の名前や写真などの扱い)の扱いについて曖昧な情報が錯綜していたために、多くの先生たちが公開を前提としているホームページでのまとめ方について悩んでいる時期でした。8つのキャラクターが登場した「わたしたちアップリアン」は、作品の中でキャラクターになった子ども達がイキイキと描かれていました。この方法は、多くの先生方を「こんな方法があったのか」と感嘆させ、まるでヒット曲が生まれる時のように全国にサッと広まっていったのです。メールを使って全国の小学校との交流や調べたことに関しては自分たちの意見がハッキリ盛り込まれています。彼らが残したものは後輩にはもちろん、全国の先生や小学生に刺激を与え、今でも良質なお手本として全国からリンクされています。
アップリアンは新種の蜂や蟹を発見したり、りんごの品種改良をしたというような大それたことをしたわけではありません。 ※
アップリアン8名は、女の子も含め全員野球部に入っていました。この様子はテレビの番組でも取り上げられました。
いつも「みんなで・・・」という意識を強く感じていました。北の街から届いたアップリアンの便り(作品)はいつも心を温かくさせてくれ、思わずホームページの小さな写真に「頑張れっ!」と声をかけたくなるような作品でした。
※賞はいずれもマイタウンマップ・コンクールの授賞暦のみ紹介。 |
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