青森県・アップリアンに会いに行く

「わたしたちアップリアン」

 第7回のコンクールは省庁の再編成もあって大幅に遅れて開催され、作品が集まるのかさえも危ぶまれた。しかしこの時に集まった作品群は、とても大きな予感を感じさせるものでした。その代表格だったのが「わたしたちアップリアン」です。当時は個人情報(児童の名前や写真などの扱い)の扱いについて曖昧な情報が錯綜していたために、多くの先生たちが公開を前提としているホームページでのまとめ方について悩んでいる時期でした。8つのキャラクターが登場した「わたしたちアップリアン」は、作品の中でキャラクターになった子ども達がイキイキと描かれていました。この方法は、多くの先生方を「こんな方法があったのか」と感嘆させ、まるでヒット曲が生まれる時のように全国にサッと広まっていったのです。メールを使って全国の小学校との交流や調べたことに関しては自分たちの意見がハッキリ盛り込まれています。彼らが残したものは後輩にはもちろん、全国の先生や小学生に刺激を与え、今でも良質なお手本として全国からリンクされています。

アップリアンは新種の蜂や蟹を発見したり、りんごの品種改良をしたというような大それたことをしたわけではありません。
 草薙小学校に入学して担任の奈良岡先生と出会い、とても楽しい6年間を過ごしました。アップリアンが生まれた3年生の時には、弘前で活躍していた花田先生という力強い味方が加わります。さらに校長先生が応援、地域からは校庭の傍にあるりんご農家のおじいちゃん(須藤さん)、農協の吉崎さんとアップリアンを見守る人の輪が整っていきました。そうした環境の中で、草薙にある自然と向き合い、身の丈に合った学習をみんなで協力して完成させました。
 何故、あんなにもアップリアンは魅力的だったのでしょう・・・私はこう思うのです。8人はそれぞれに個性を持ちながらも、互いに仲間の長所も短所がよく理解できていたのではないかと思います。だから、放課後の校庭で頑張った野球と同じように自分のポジションに責任を持つことができたのでしょう(※)。


アップリアン8名は、女の子も含め全員野球部に入っていました。この様子はテレビの番組でも取り上げられました。

いつも「みんなで・・・」という意識を強く感じていました。北の街から届いたアップリアンの便り(作品)はいつも心を温かくさせてくれ、思わずホームページの小さな写真に「頑張れっ!」と声をかけたくなるような作品でした。
 弘前の豊かな自然の中で伸び伸びと暮らし、周りの環境や人たちに恵まれたアップリアンたちはとても幸運だったと思います。でも、もっと幸せだったのはネットワークを通じて彼らと触れあえた私たちの方ではないかと思うのです。


平成12年度(3年生時):
わたしたちアップリアン(文部科学大臣奨励賞小学生の部)
平成13年度 (4年生時):
すてきがいっぱいわたしたちの草薙(時事通信社賞)
平成14年度(5年生時):
真っ赤なりんごが おいしいりんご?(内閣総理大臣賞)
平成15年度(6年生時):
あずましいなあ!津軽のくらし(松下視聴覚教育研究財団賞)

※賞はいずれもマイタウンマップ・コンクールの授賞暦のみ紹介。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15  まえへつぎへ
ページトップ
ページトップ